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JR(国鉄)の車両転属について

昔、JRやさらに国鉄時代におもに103系が大活躍していた頃、車両の転属も頻繁に行なわれていたような覚えもあります。そのような際、ラインカラーが同一色の電車区の場合でも新たに塗り直していたのでしょうか?? それともそうゆう手間を省けるように極力、ラインカラーが同一色の電車区への転属をすすめていたのでしょうか??    例をあげると、中原区⇔津田沼区  浦和区⇔京葉区 川越区⇔松戸区  などです。 

みんなの回答

  • s-samrai
  • ベストアンサー率33% (35/105)
回答No.5

>ラインカラーが同一色の電車区への転属をすすめていたのでしょうか?? それはないと思います。 仮にそうだとしても、それなら松戸区からはほとんど転属できなくなります。 (常磐線快速色は他にないので) 確かに色が同じならその手間は省けますが、 他にも行先表示幕の交換や場合によっては ATS等の保安装置の着脱も必要になります。 本来なら転属と同時に塗色を変更するのですが、 重要部検査などが近い場合、とりあえず検査までそのまま運転して、 検査で塗り替えることもあったようです。 ちなみにかつて営団(当時)東西線に8000系が運転されていたときも、 紫帯のままドア上に「東西線」ステッカーを貼っていました。

robocchi
質問者

お礼

あっ、なるほど。 行き先表示器の付け替えもあったわけですね。

  • sss457180
  • ベストアンサー率34% (398/1162)
回答No.4

混色編成。懐かしいですね~。なんていうと年齢がばれてしまいますね。。。 103系のみならず、東海道線と横須賀線の間でも車両のやりくりの 関係から113系での混色編成(オレンジと緑の東海カラーと、 クリーム色と紺色の横須賀線カラーの混色)というのもありましたよ。

  • ceeda34
  • ベストアンサー率36% (517/1418)
回答No.3

今はなき石原裕次郎の刑事ドラマ「太陽にほえろ」に103系の混色編成が登場しています。 実名でしかも、「犯人は103系の混色編成が嫌いなんだ!」とか名(迷?)推理を披露して、103系混色編成に爆弾を持って突っ込もうとした鉄道マニアの犯人を、見事に七曲署の刑事が逮捕しています。 この混色編成は常磐快速線に実際に登場していたもので、そのまま実名でご出演しました(笑) 太陽にほえろで実名で登場した人物、建物、名称、団体などはたぶん後にも先にもこの103系混色編成だけだったはずです。 この放送があったのは1984年だったはずですので、山手線に205系が投入される直前です。 (山手線に205系が登場したのは1985年。1987年にはJRになった。) 201系の中央快速線投入完了が1985年で、放送時の1984年はすでに武蔵小金井と豊田はほとんどが201系になってましたので、103系が大量に転属していた時期で、京浜東北線で1984年に全線ATCが開始されている関係で、ATC非対応の低運車とかの転属も激しかったのです。 そのため、103系の動きは活発でした。 ですが、配属先のラインカラーに合わせる手間暇がなく、混色編成が結構出たり、ラインカラーと違う編成が登場して、正面に「●●線」とかステッカーを貼ったりしていました。 決して、色を考慮していたとは思えませんね。

  • hiroki0527
  • ベストアンサー率22% (1101/4910)
回答No.2

元々混色編成が普通だったのが「横浜線」でした。 一応ラインカラーは山手線と同じウグイス色だったのですが、どうも予備車輌が京浜東北線車輌と共通だったのか、混色がごく普通に走っていました。 なので、当時の鉄道車輌模型に「横浜線編成」なんて混色編成があった記憶があります。 No1の方が書いている「レインボーカラー」は横浜線でも走っており、当時見て「いくら何でも・・・」と思った記憶はありますし、乗った電車の車輌に張ってある路線案内シールが大阪環状線(だったよなあ)そのままだった時にはちょっとワクワクしてしまいました。 ちなみに横浜線は京浜東北線との誤乗防止に前面に「横浜線」と書いた看板を付けていましたので、混色に関しては意外といい加減。 ミニコミ誌に横浜線のラインカラーを利用者に聞いた記事があったのですが、誰も「黄緑色」と答えず「青と黄緑」と答えていたのが今では笑えます。

回答No.1

「国電」の車両転配属を行う場合、転属先をラインカラーが同一の線区のみに絞ると転配属の制約が非常に厳しくなるため、基本的にラインカラーは考慮せずに転配属が行われていました。 そのため、国鉄時代はカナリアイエローの総武緩行線に中央線オレンジの車両が混じっている、というような感じの混色編成がいろいろな線区で時々走っていました。 当然のことながら、利用客の誤乗防止のために先頭車両前面や側面のドア上にその線区名の入ったステッカー(線区によってはステッカーの地色がラインカラー色だった)を貼っていましたが、それでもどこの線区から来たのかが丸分かりのため、たらい回し感は否めませんでした。 そして、その究極が常磐快速線で1ヶ月ほど見ることが出来た5色混色(山手・ウグイス、京浜東北・ブルー、総武中央緩行・カナリアエイロー、中央快速・オレンジバーミリオン、常磐・エメラルドグリーン)編成です。 首都圏で走っている103系の全てのラインカラーが1本に凝縮された空前絶後の編成は当時のファンの注目を浴び、また「5色の電車」というサブタイトルでサスペンスもの的なテレビドラマのネタにもなるなど、ファン以外の目も引いたようです。 混色編成の記録 http://otorikk.gooside.com/konsyoku/konsyoku-index.htm 混色編成 http://www11.ocn.ne.jp/~jnr80s/photo_jnr_konshoku.htm 転属により混色となった車両は、検査期限が来ればその線区のラインカラーに塗り替えられましたが(ラインカラー同一線区転属の場合は、当然のことながら塗り替えは行われなかった)、検査期限の長い車についても工場に特別入場して塗り替えられるということはあまり無かったようです。 ところが、国鉄時代はダイヤ改正時や新車投入の際の玉突き転属発生時の風物詩ともいえた混色編成ですが、関東圏では国鉄民営化を境にパッタリと見られなくなります。 もちろん、以前と同様に車両転属は頻繁に行われていたために混色の発生する機会はあったのですが、他線区転属に際して工場に臨時入場して転属先線区のラインカラーに塗り直してから転属を行うようになったためです。 これは、時のJR東日本社長?が混色編成を見て、「あんな斑色の編成は旅客サービスとしてなっとらん!塗り直しなさい!」と一喝した為であるとも言われています。 ですので、JRになってからは関東圏では混色編成を見ることは全くなくなりましたね。

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