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JRの通勤型電車の編成についてです。
JRの通勤型電車の編成についてです。 かつて国鉄時代には関東でも関西でも101系や103系といった新性能型の国電車両でラインカラーの異なる路線間を移動した車両が塗装変更されずにそのままの色で編成に組み込まれた「混色編成」が半ば当たり前のように見られましたが、分割民営化後、JR東日本ではなぜ混色編成をやらなくなったのでしょうか? たとえ色の異なる路線間の車両の貸し借りでもきちんと塗装変更が行われていました。 なお、関西のJR西日本では現在でも混色編成が見られることがあります。
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>なぜ混色編成をやらなくなったのでしょうか? 塗装変更するには、車庫に入れて塗り直すまでに日数も費用も かかります。他の路線から持ってきているくらいだから即戦力で 動いてもらわないといけないときに、のんきに塗装替えで 何日間か車庫で居眠りなんかされてられない、という事情も ありますし、末期国鉄はとにかくお金なかったので経費削減の 意味合いもあったと思います。定期点検で車庫入りするまで 転属元の色でごまかしながら使ってたのですね。 しかし、 >なぜ混色編成をやらなくなったのでしょうか? のは、それが企業として当たり前のことだからです。JRは企業です。 混色編成なんて、お金がないことを露呈しているかのような 恥かしい編成です。趣味的に面白い対象だったとしても。 また、最近は塗装しないで帯の色を替えるだけのステンレス車が 大半となり、昔のように塗装の時間や費用がかからず、安価で 簡単に模様替えできるようになりました。逆に簡単に模様替え できてしまうために広告シールがべたべた貼られたりしてますが。 まあでも最近は鋼鉄車体であってもリバイバル国鉄塗装などに 変更したために混色で走ってたりする路線も多いですよね。 房総では東海道色と横須賀色の113系がつながって走ってたりも しますしね。
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- akak71
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昔は毎日、山手線の車庫が不足でしたので、山手線の池袋方面から京浜東北線の蒲田行きもありました。 現在はありません。 ーーーーーーーーーー ラインカラーは塗装でなく、テープらしい
お礼
それですね、103系を特集した鉄道雑誌に出ていましたよ。「京浜東北線における最初の103系列車は山手線の車両の蒲田電車区出入庫運用によるものだった」とありました。 どうもありがとうございました。
- FEX2053
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#1さんの話に加えて。 最近JR東は「各線区の車両はその線区専用で他線区に転用せず、使用後は基本的に廃車して新車で代替」という方針で運用しているんだそうです(例外は京浜東北線の209で本当は全部つぶす予定だったそうです)。ですので、需要調整で頻繁に複雑な転属があった国鉄時代と、微妙に配属の性格が違ってきているという面もあるんだと思います。
お礼
最近のJR東日本の車両方針は「後継車両が入ったらこれまでの車両は基本的に廃車」という方針になってきているのですね。。。山手線の205系はE231系500番台への入替え後、JR東日本管内に残った103系を完全淘汰するために大規模転属が行われていましたが、中央快速線の201系⇒E233系化では置き換えられた201系は他線区へは転属せず(京葉線へ転属した2本がありましたが、転属後これも早い段階で廃車)にすべて廃車となっています。 京浜東北線の209系は投入当初はとにかく「京浜東北線専用」との位置付けだったようでしたがE233系への置き換えを始めてしばらくしたら方針が変わり房総地区の113系の廃車と中央東線(高尾以西)の115系の廃車を現在、房総地区配置の211系を転用して行うべく209系の房総地区向けに近郊型化改造を昨年から始めています。といっても房総地区へ転用できるのはクハとモハユニットだけですから結局はサハは廃車になることに変わりはないのですが・・・。 国鉄時代には需要に関係なく車両を大きく動かすと国民の税金の無駄遣いにもなったものがあったようです?そのために車両を大きく動かす際にはとにかく少ない限られた車両数の中での厳しいやりくりをした結果があの混色編成だったのかもしれませんが? どうもありがとうございました。
お礼
国鉄時代は「国有鉄道」でしたから企業と言うわけではなく国というお役所が直営していた鉄道なわけで当然、塗装変更にまで国民の税金を使うわけにはいかず、また忙しい時に車庫(工場)で休ませておくわけにはいかずあちらこちらで混色編成が走っていたわけですね。 JRは国鉄とは違って企業ですから混色編成を走らせてお金がないことを宣伝していたらすぐにつぶれてしまうわけですね。JR東日本の当時の社長さんから混色編成に対して「旅客サービスがなっとらん!」と喝を入れられて混色編成は中止になったということも私は聞いたことがありました。 どうもありがとうございました。