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不存在の証明はかなり困難か不可能なもの?

莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)の回答

回答No.31

 ☆qsxdrfvgyhさん⇒つまり、「究極なる存在」という特殊な存在の場合、  ★投稿者⇒ここから先に進めません。究極存在は“特殊な存在”という表現が観念内容を表すことばだというなら、それはおかしい。究極くらい尤もありきたり、一般的、遍在根源的である。  ☆qsxdrfvgyhさん⇒完全な円や円周率と同様に、有為の世界の側にはなく、有為の世界の裏側にぴったりと貼り付いた無為の世界に属しているようだと思いませんか?そこを探究するのが、知の営みだと思っています。そして、かなり困難でもあると思います。  ★投稿者⇒日本語として“無為”と“有為”が対比の意味のことばとは存じておりません。 http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E6%9C%89%E7%82%BA/m0u/ それでも、ここの件を整合的に理解・読解しようと致しましたが、仰せの“無為の世界”という言語表現により、私は観念を構想・構築することが出来ませんでした。“無為の世界”は存じてはおりますが。  ☆qsxdrfvgyhさん⇒「知と論理」の壁は厚いわけですが、「知と論理」を超える必要がある点には、疑問が残ります。矛盾点を正しく見て(正見)、正しく考え(正思)、矛盾の無い論を探るという困難な道を歩むものだけが、哲学するものだと思います。その困難は、想像を絶するほどだと思うのです。  ★投稿者⇒そのとおりに存じます。人の営みとして当然ですね。人間や自然、そして神の為しことは允にみな想像を絶するものではあります。知と論理を捨てることが信仰や宗教だとは私もおもいません。それは杖であり、草鞋です。つまり投稿者も幸せな善男善女にはなれませんで、蓑笠をまとい、杖を頼りに、長い草鞋を履いて、70数年です。 筋道立てて考えることをしないでは歩けないという意味です。一笠(頭蓋骨)、一蓑(肉体)、一杖(脊柱)の長い草鞋です。  ☆qsxdrfvgyhさん⇒知と論が家来だとすると、意のままに操れるという意味でしょうか。 矛盾の無い論を見つけ出す苦労は、大変なもので、とても家来だとは思えません。  投稿者⇒それが主人ではないという意味でしかありません。そうしている自分をいえ、その奥の存在を一笠(頭蓋骨)一蓑一杖そして長い草鞋で参内しているのです。日々。  ☆qsxdrfvgyhさん⇒少しだけ、立ち位置が違っているようですが、それはお互い様のようです。  ★投稿者⇒文章上、ここの意味は解釈ができません。しかしご説明は求めていません。  ☆qsxdrfvgyhさん⇒しかし、「論を超える」と言われてしまえば、論を探究する者としては、隔絶した感があるわけです。  ★投稿者⇒ここで“しかし”という接続詞があることが理解できません。しかしご説明は求めていません。なお、投稿者は単なる頭の中の論理操作、演繹の範囲、そういう作業だけでは限界があるということを、申し上げているつもりです。  ☆qsxdrfvgyhさん⇒失礼な表現になってしまった部分は、申し訳ありませんでした。  ★投稿者⇒どういたしまして。  ☆qsxdrfvgyhさん⇒実態を見たとき、論の矛盾が見えますが、そのときに論を超えて解消することが、パラダイムシフトだとすると、それは正しいご意見であり、共通認識でもあります。つまり、全く別の論への転換ならば、同意見です。論を超越した当為だと言われると、ちょっと違うと思ってしまいます。  ★投稿者⇒先に、縷々述べてあるとおりであります。哲学者は・・の甲虫のようだとジェームス博士がどうの、とはこれは百三の愛と認識でしたっけ、あるいは次郎の三太郎だったかな。それはそれで結構だと存じます。そういう世界で操作している様子を拝見することが有ります。  他者として傍観しております。収穫のない好事家のような気がしてまいります。  無論私たちも徹底して論は大切にしますが、それを差し向けること、それの役割を見極めております。  山上の星空は山上にいき、不可視の滝は不可視の自己に参内して経験します。  民主主義はここでは通用しません、来ないものにはわからない。 論理の操作、探求ではない。  山を登らない人とは、いえ少しでも上ろうとしない人との共通認識は難しいと存じます。  そういう意図のある人には、どんなに低いところを上っている、お互い同士でも、共有ができます。正に天上の方と、麓・裾野で道を探している人との平等、民主主義です。  それを敢えて手招いているのが、巷間の宗教っていうのでしょうか。  でもこの身はあぁいうのを相手している閑はもち得ないでおりますが。  この身の言説を捉え、且つは、なぞり、同じであるとか評論する人もおられますが。  そういう宗教の教説に失礼であります、この身如きの類似などを、とやこうおおせられるのは。  日本語、ことばですから、類似となることもあるのでしょう。  心ならずも親しいご存在としてまだ、受け入れることが出来ず、ことばの端々にともすれば、突き放す感情が出ている事を白状します。  允に自分らしくなく、無念といえばそれだけです。  精進の至らなさでしょう。  qsxdrfvgyhさんの表層存在ならざる、お方に申し訳なく存じます。

qsxdrfvgyh
質問者

お礼

本題に関連した点で言えば、 僕に対する「親しさの不存在」は、確実にあるようです。 本人からの証言ですから、間違いないでしょう。 そして、別の点で収穫であり、再確認できたことは、 「論を超える」ということは、確かに重要だと思うようになりました。 つまり、フィーリングとして感じる「直観」が、「論を超える」きっかけになり、 パラダイムシフトできた天才たちには、その「直観力」とか「ひらめき」が認められたという事例を思い出しました。 「直観力」や「ひらめき」が、「論を超える」原動力になると気付きました。論だけではないと分かりました。再認識しました。ありがとうございました。

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