• ベストアンサー

陰陽道からくる風習や行事を教えて下さい。

川原 文月(@bungetsu)の回答

回答No.2

こんにちは。 私のつたない解説をお読みいただき、ありがとうございました。 >>平安時代の初期に平城帝が嵯峨天皇に譲位したのち 移転を繰り返していますが、これなども方違えが目的だったんじゃないかなあ、と思ったりしますが どう思われますか? 歴史の解釈は、「迷信」「占い」とかを受け入れない「解釈」で成り立っています。 しかし、あなたのご指摘を考えると、 (1)平城天皇は、幼少より病弱であった。 (2)和銅元年(708)、元明天皇が平城京を開くにあたり、 「都というものは、百官の府であり、四海の人々が集まるところ、である。平城の地は、三方が山に囲まれ南が開け、占いにもかなっている」 という詔(みことのり)を出している。 (3)大同5年(810年)、平安京より遷都すべからずとの桓武天皇の勅を破って平安京にいる貴族たちに平城京への遷都の詔を出し、政権の掌握を図った。(ただし、嵯峨天皇によって、未然に防がれた)。 (4)「薬子の変」で平安京にいられなくなった。 薬子の変: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%AD%90%E3%81%AE%E5%A4%89 これらを「総合」して考えると、自らの病弱さを克服するため、また、人心を一新して自分の政権を確立するために、特に(2)への思いを馳せた、とも言えるかもしれませんね。

noname#82952
質問者

お礼

またまた回答ありがとうございます。 >歴史の解釈は、「迷信」「占い」とかを受け入れない「解釈」で成り立っています。 はー、そうなんですか。 でも昔の人が迷信や占いを信じていたことは確かだと思うんですね。 宮中には陰陽寮があったくらいですし。 迷信や占いを受け入れないというのは現代人の考え方で 古代の人々はそうではなかったのではと思います。 一般的な歴史の解釈において「おかしいなー」と感じることがありますが きっとそれは、「迷信」「占い」とかを受け入れない「解釈」だからなのかもしれないですね。 「迷信」「占い」を受け入れて歴史を考え直して見ると面白いのでは、と思いました。 平城帝の転居についての考察も参考になりました。 ありがとうございました。

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