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目の中に入れても痛くない
宜しくお願いします。 父親が娘を可愛がっている様子に使われることが多いですが、 目の中に入れても痛くない という表現があります。 なぜこういう言い方がありますでしょうか? (娘は目の中に物理的に入らないですよね)
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あり得ないことを大げさに表現することで相手の脳味噌を刺激し、こちらの感情をそこで使われている言葉以上の意味を込めて相手に伝えたいときに使われる常套手段の一つですね。他の例では、 「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ」 「おとといおいで」 「へそで茶湧かす、ちゃんちゃらおかしい」 まだまだ幾らでもありそうですね。
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- Ryo_ss
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コンタクトレンズの開発時,コンタクトレンズが当初10円玉より大きかったことご存知でしょうか? 現在の薄さで視力の落ちた人の手助けになるものになるまできっと何度も開発者は痛い思いをし,眼の中に物を入れるという恐怖と闘ったであろうと容易に想像できます。 それに,実際そうであったと,私は聞いたことがあります。 周囲の人間からは“目に物を入れるなどあいつの考えはおかしい!”とまで言われたとか…。 調べれば何かきちんとしたルーツがあるかも知れませんが,ここからは私の想像です。 *** コンタクトレンズが完成し売り出すことになった時,一番の問題は消費者の“眼の中に異物を入れることへの恐怖心を取り除くこと”だった。 せっかく完成したものを多くの人に活用してもらいたい!! 会議に会議を重ね,売り文句に決定した言葉が“目に入れても痛くない!”というもの。 さて,開発者の中にはお子さんをお持ちの方がいても勿論おかしくない。時代を考えると今より沢山いただろう。 “これをつけるようになったら,娘の,息子の顔がよく見えるようになった” と体験談を言って周ると,挑戦してみようと思う親御さんが増え,同じように口にする人が増えてきた。 そして開発は進み,次第にファッションとして若者にもとりいれられるようになった。 そこから,“大切な娘(息子)は,眼に入れても痛くないほど可愛い”という風に部分的に取り残され現在に至る。 *** これは本当に私の想像にすぎませんが,言葉は多く使われればたとえそれが間違いだったとしても使われたものの方が正しいとされるようになることもあるのが現状です。 10年後には“踏襲(とうしゅう)”を“踏襲(ふしゅう・とうしゅう)”として辞書に載っていても不思議ではありませんからね。 私の考えたような説があっても面白いと思いませんか? しかし,貴方の望むような確証もない上に学術的でなく申し訳ありません。
お礼
ご投稿ありがとうございました。 お返事が年を越してしまい申し訳ありません。 最初のコンタクトが10円玉より大きかったというのは初めてききました。 コンタクトという言葉を初めて見たのはドラえもんの単行本(1970年頃?)。 手術手袋という道具でのび太氏の眼をすねに移動しメガネがかけられないのでコンタクトをつけていました。何故か思い出せました。 コンタクトレンズのコピーとしてはよさそうですね。 Ryo_ssさんの新説、面白いと思います。
- bananasand
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最近開発されたコンタクトレンズ型ディスプレイのことです。 父親と娘とは関係のないことが判明しました。 とはいっても、コンタクトレンズと同じように毎日気を遣って管理して、大切に可愛がる必要はあります。
お礼
御投稿ありがとうございます。 ご冗談と思ったらURLをみてびっくり。 小生は多少は眼が悪いのですが、眼に物体を入れるのは抵抗あり コンタクトと胃カメラは一生お世話になりたくない。 自分が使うならスカウタータイプが良いと思います。 (失明した人の人工の眼という発展性はありますね)
- kyoromatu
- ベストアンサー率14% (746/5024)
>父親が娘を可愛がっている様子に使われることが多いですが、 と言うよりも祖父母が孫に対して使うことのほうが多いと思いますよ。 これはあくまでも例えばの慣用表現で諺ではありません 眼にはどんなものが入っても、異物として当然痛むわけですが、ものすごくその人にとって、何物にも・・(時には命にも代えられぬほど)、変えがたいほど大事で、愛しているもの、愛おしいものであれば、例え入れたとしても、自分自身・己と一体化というか同化するので痛くはないという解釈を素人考え私的にはしています。
お礼
御回答ありがとうございます。 この言い方ができたエピソードまたはお話があれば面白いと思いました。 眼に何物が入っても痛むのは良いとして、孫や娘を眼に入れてしまおうという発想が良いですね。日本で最初にこの表現を使った人はいるはずですが興味あります。
お礼
御回答ありがとうございます。 なるほど、表現の技法から来ていたものが慣用的になったということでありえないところが肝なのですね。 へそで茶を沸かす話ですが、相当前、片岡鶴太郎さんのおなかに水が入ったやかんをのせ、何人かでくすぐり続けたところ、30分だったか1時間かかってお湯は沸いたそうです。母がTVで見たとのことです。 (やらせっぽいですね)