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アイデンティティの問題ではなく、自分とは何か

arayata333の回答

回答No.4

同じ疑問なのだと思いますが、 私の脳の中からは、 もし、私の両親から私と同じ体つきの同じ性格の人間がこの同じ地球という珍しすぎる水のある星に生まれてきて、「私」自身が存在しなかったら? というふうに「私」について考えたことがあります。 私とは 《あきらかに存在しなかった(かもしれない)存在だ》と考えたら、この感受と記憶と意思決定の主体である「私」とは?   「謎」という存在であることがまず、はっきりしてきました。 私が 今立っている大地が何かこの主体の意思決定において謎の世界というのではなくて、あくまで大地は大地であるわけですが、 「存在全体の中で、謎の部分は謎のまま、」という感じです。 時間も空間も 同じ「謎」の地点に存在しています。 人間の脳には 永遠の時間も無限の空間も把握できないわけです。 そうするとその時間のいったいどこにブラックホールと位置づけられるのか? その空観のどこに宇宙の膨張の端を位置づけられるのか、 これもまったく把握不能のままだということになりますからね。 最近思うのですが、 哲学の歴史自体がこの「謎」の意味をとらえようとしてきた部分が大きいのかもしれないということです。 関連する文献は?とのことですが、 関連すると言えばすべての言葉と言う存在が、その疑問とまったく関連していないとは言えなくなってしまいそうです。 特に 関連思索ということであれば、 「個と関係の思索」とか、「神の存在の仮定」とか(私は 人間性とか感性が成長していけば、人間の良心が神を見つける、という考え方をして、神は実在すると思っているのですが、 あくまで理論的には仮定しかできないのではないかと思ってもいます。)が  理論的には近いかなと思います。 そのあたりの思索の世界から、その「謎」とさらに関わる関連視点という世界はさぐれると思います。 * 意思決定については、意思決定の経営論には生きる気合とかの面では学べても、 その生き物や人間としての全体像を探るのには、ややあらっぽすぎるかと思います。 記憶と意思決定論との間には、あらゆる意思決定論において重要な地点が隠されてると考えていますが、 たぶん、これは未来においてしかまとまったものは出てこないかと私は思っています。 その記憶と「私」という感覚との問題を扱ってるのは 心理学だと思います。 哲学でも扱ってきたのでしょうが、現代では 脳生理学が、そのへん一番実証的に研究されていて、その土台の上に心理学者がそのへんを扱っていると思えるからです。(すみません、私自身はかなり無学なもので、物事を深く考えたり推理したりするのは得意でも このへん大雑把です。) * そのへんの記憶と「私」と言う意識と言うことでしたら私自身の体験がおもしろそうです。 昔の解剖学とかでも、脳障害の事例で、脳の部位と障害の研究とかはなされていたようなのですが、それは記憶との全体的なかかわりを明らかにするようなものではなかったようです。  しかし、今の医学とか脳生理学でそのへんが実証的にきちっと明らかにされて無いとはとても考えられないです。 でも、これは、記憶障害とかを考えなくても、 私の場合は こんな感じでわかったことなのです。(子供の頃 めちゃくちゃ体を壊し、ちいさな記憶障害でしたら何度かあるのですが、 その体験からはそのへん何もわかりません。) その出来事自体子供の頃のことですが、わたしの両親とわたしが3歳以前に暮らしていたという町に 両親に連れられていった時のことです。 (私という人間には 3歳の頃重病で死にかかったところをちょうどペニシリンがぎりぎりに日本にとどき助かったという経過があるようなのですが、 写真を見てもそれ以前は 太っていてまるで別人なのですが^^) 近所のおばさんが、私を見て(中学生ぐらいだったと思います。年齢のあたりの記憶がはっきりしないのです。)なつかしそうに「えっ あなたが〇ちゃん? 大きくなったわねえ。  まったく別の人みたい^^。  まあ あのころは おませというかなんというのか、 わたしんちに、いつも遊びにきて、 〇ちゃん(その家の女の子)の手にキスをして「キスしてあげたから、あがっていい?」といいながらよ。 かってにどんどんあがってきてね。」     あの、私は晩生で、 あのキスも たしか30すぎてましたので^^  あのまさか  3歳以前に 初キスを、いや気軽の何度も何度もしていたなんて!!!!!♪ これはもう「私」ではない。 と思いました^-^・。 そこから、私は、「私」のことを「記憶体の主体」と認識するようになったしだいです。  でありつつ、生まれた時の「私」と同じ「私」でもあるということなのです。  少し解かりにくくなりましたか? これは、意識はどこまで深く探索しても生物としてのこの体の仕組みと張りついて存在している という考えからくるものです。  このへんは生物学とかやはり哲学の世界だと思いますが、アカデミックな哲学の世界では無学なこともあり、推論からもどういった過去の哲学がそれをあつかっているのかは解かりません。  逆に 多くの西洋哲学がどうやら意識を肉体をは切り離して考えてきたようなのです。 神の存在を理論的に証明しようとしてそうなってしまったようなのです。 * 私は 死後肉体が土に帰ると同時に意識は消えてしまうと思っています。ということは「私」も消えてしまう、 ということです。 が、ここに神という仮定をおいた場合は、話は別なことになってきます。 キリスト教の「復活」の概念です。   詳しくは 私の考えでよければ詳しくつづけますけど、  ともかく神と言う「謎」の存在とは明らかに関わる知性の存在(超自然の存在と言います。)は、 私という「謎」の存在と関わっている存在なのですから、 ブラックホールとどのように関わってるかも「謎」のままにても、(天地創造主というのが物語りにすぎなくてもということなのですが解かりますでしょうか) 私の存在に関しては創造主と等しい力があるという感じの推論がなり立つということです。 「私」という「主体」が 実際に永遠に存在するかはともかく、そういう仮定は、簡単になりたってしまうというわけです。 * いずれにしても、この「謎」なる「私」とはなんなのか? ということなのですが、 それを社会的アイデンティテと別に考えたのはたぶん正しい哲学の道だと思います。 アイデンティティは 社会的なポジショニングによる心理的な安定感を意味しているものであり 言葉では「自己存在証明」となっていますが、「わたし」という存在の「謎」に迫るものとしては、むしろ話が逆だからです。 生産能力の無い人、 仕事をする頭も無い人、弱者が どこでどう泣いていようとも、存在すら無視される場合も社会ではあります。    あくまで「私」と同じように、 その人たちも「私」を認識する同じ人間として生きているわけです。 そういう「私」という存在とはどういう存在なのかという問いでないと私は価値のある哲学とは思えないものです。 ですのでアイデンティティをうんぬんする学者とかのお話は、まがい物の個の確立の話か、どこか」中途半端なままの思索段階なのか?と疑ってかかってしまうのです。 もちろん、その中からも学ぶべきことは見つかるでしょうけど、それが「自己存在証明」ということならば、おかしいです。 何の地位も無しにも、「私」は、存在を与えられている存在である。 ということまでは確かに確かだと思うからです。 * 実は、 これらの「謎」にもっとも迫る回答としての 私自身のある答えを回答したくなる者です。 「私」のごく当たり前の感性の進歩と関わること、あるいは充実とか幸せと関わるアイデンティティとは別な世界のことです。 しかし、この回答を独り言にはしたくないです。 koneko200さんが どういうふうに生きてきた方なのかとか そこからどのようなことを考えてきた人なのかとか、 短い文でその何かが少しでもわかる超能力とかまったく持っていない凡人です。    ここでいったん区切って、 そちらがもし 私の考え自体に興味がわきましたらということで、 それを補足要求質問と変えさせていただきたいと思います。 ここまでで 何か気がついたり、気になったり、 質問意図と違っていたりする点とか 感想でも疑問でも、なんでもいいですが、 何かコメントを  もしよろしければお願いいたしたいと思います。 よろしくお願いします。  

koneko200
質問者

補足

ええと、思考や意思決定のほうはあまり問題にしているわけではないんです。。説明がうまくなくてごめんなさい。 私も西洋哲学のように意識を切り離して考えていますが、どちらにしても不思議なことではないかと思います。(私の疑問についてはだいぶその内容が変わってくるとは思いますが) しかし、何をもって私の意識というのか私にはよくわかりません。私は、「私自身」というものを意識とも切り離して考えています。意識も私の体の一部である脳の働きだと思うからです。 アイデンティティよりももっと根本的な自分の存在への疑問だと思うのですが… でも、こういうことを神様に頼るならすぐ解決しそうですね。

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