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『どもること (きつおん)』人の言動・態度をどうお考えですか?

皆さんにお聞きしたいのですが、『どもる』人を見かけた方は多いと思いますが、どういった話し方をする人かといとこちらが「あなたのお名前は?」と聞くと『どもる』人は「た、た、た、たろう」または相手が言おうとする瞬間から3,4秒後にやっと「・・・・たろう」としゃべる話し方ですが、こういった返事を聞いてどのような人と受け止めますが? ある著名な心理学者の方が言うには、 このようなどもる人は『他者への関心の欠如』から生じているといわれています。またはどもる人は「他の人間と一緒になれないという『無能力』を示している」とも言っています。 どもる人の話し方には『ためらいの姿勢』が見られる。彼にも社会感情が残っているので仲間たちと関係を持つように迫られるのだが、彼は『自分を低く評価』していて、『試されるのではないか』と恐れるために、それが彼の社会感情と争うことになり、話すときにためらうことになる。 また、きつおん(どもり)のある人は他者と交わろうとはしませんが、1人のときはたいてい上手に話せるという証拠を私はたくさん持っています。見事に読んだり、朗詠することさえできるかもしれません。 それゆえ、どもりは『他者に対する態度の表現としか解釈することしかできません』 どもりが何か微妙でわけの分からない器質的な欠陥によって引き起こされると私が考えているとしたら、どうしてどもりのある人を治療することができるでしょう。1人でいるときはすんなりしゃべれるのに人前でいつもどもってしまうのは『どもりが患者の周囲の人に出しているサイン』だからです。 患者は信用されている場面では、どもりの強さと数が減るが、『強調能力が限界に達するとどもりが強くみられる』。電話をかけているときにどもるのは『相手への思いやりの無さ』を相手に伝えようとしているからと考えられている。 どもりの治療は『どもることへのこだわり』をやめさせることです。 患者の訴えは『症状へ目を向けさせるものなのです』。 と心理学者は言っておられます。 私は、どもったりするのは人を変えよう変えようとしているため自分はこんなにどもることに苦しんでいるんだということを相手に訴え続け常に人を非難し続けている(または人を信頼できない)が原因、ひきがねとなってどもる症状が出ていると思われるのですが、かといってそのようなことが分からなければ、症状は出続けるでしょう。ただし、どのような悲惨な環境で育ってきていてもどもらない人はどもらないし、どもりを治す努力をこれでもかというぐらい何十年にわたって努力し続けてもちっとも良くならない。だから、どもりを治す努力をすること自体に時間を費やすこと自体がどもりをさらに悪化させているような気がします。また、自分はどもるから他のことでは人には負けないとそのほかのことをすることつまりどもりと関係のないことに努力を費やすこと自体もどもりを治すことになっていると思われ、結局なにも努力するな(がんばることをやめろ)ということになると思われます。

みんなの回答

  • nyon-tan
  • ベストアンサー率15% (58/382)
回答No.2

ここは論文発表の場ではありません(・ω・`) どもりといえば、ざこば師匠ですな どうにも反する印象をうけますがどうでしょう? 質問の様式を整えまたおいでください

回答No.1

何を聞きたいのか、も少し端的に。

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