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吉本隆明の思想について

littlekissの回答

回答No.13

こんばんは、brageloneさん。 *********************************************************************************** 江藤淳が こんなことを言っています。掲げておきます。  ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  だから 個人的な欲求不満は われわれが皮膚で仕切られた個人である限りは その範囲で処理すべきことであって 一般的社会正義に解消すべきものではない。  もし政治をやろうというなら その政治をやろうという決意のもとに立って 踏み切らなければならない。つまり正義のためにではなく 進んで悪を行なう決意がなければならない。それは人間が社会生活を通じてでなければ存在できないのだから仕方がない。  人間の共同生活を支えているのは いわば生の根源的な力に根ざしている暗い衝動でしょう。政治は この力に触れなければ 動いていかない。そのためには 常識的に考えたら 嫌なことでもあえてしなければならないだろうと思う。だからスターリンなども あながちに排斥しようとは思わない。それは一つの様態だろうと思う。  これは実は家庭を治める上にも通じるのです。家族関係は一面で倫理だが他面では政治ですから。  (前掲の吉本隆明との対談) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そうすると たとえ どんな悪でも すべて情報公開すべし となるでしょうか。隠しているから おもしろくないし ちっとも 良くはならないと言えるでしょうか。  どうでしょうね。  あるいは もし《復活》というのならば それは   ▲ 人間の共同生活を支えている・・・いわば生の根源的な力に根ざしている暗い衝動  ☆ を 明るいものへと どんでん返しすることも 関係しているかも知れませんが。 *********************************************************************************** ↑ この文章の中の ここの箇所 ↓ ● もし政治をやろうというなら その政治をやろうという決意のもとに立って 踏み切らなければならない。つまり正義のためにではなく 進んで悪を行なう決意がなければならない。それは人間が社会生活を通じてでなければ存在できないのだから仕方がない。 ここで出てくる“悪”ってなんだろう?と、しばらくつらつら考えてみた。 江藤氏といえば、1999年に自殺されている…。 『知恵子抄』が、ふと浮かぶ。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46669_25695.html “妻の介護” 【高村光太郎】 http://uraaozora.jpn.org/takamura.html 【 あの人の人生を知ろう~高村光太郎 】より一部抜粋 http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/koutarou.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 死の3年後、光太郎は30年に及ぶ2人の愛を綴った詩集「智恵子抄」を刊行 した(58歳)。 智恵子の死後、日本は太平洋戦争に突入。文学者や芸術家の大半が戦争に協力していくなか、人道 的詩人であったはずの光太郎もまた、戦意高揚を目的とした戦争詩を作ってしまう。終戦後、ほとんど の知識人が「時代のせいだった、仕方がなかった」と活動を続ける中で、光太郎はこうした態度をよしと せず、自らの戦争協力を深く後悔し、自己批判の為に岩手県花巻郊外の山間で、62歳から69歳まで 7年間の謹慎生活に入る。そこは周囲に人家のない孤立した山小屋で、たたみ三畳の小さな土間と 自分で切り開いた畑しかなかった。その地で、心の中に生きている智恵子と暮らした。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 『智恵子抄』は、智恵子の死後に書かれたもの。 後に高村光太郎は謹慎生活(隠遁生活)を送っている。 謹慎生活(隠遁生活)を送ることになった理由が“自らの戦争協力を深く後悔して”とあるが、それが本当の理由だろうか?理由の一つではあったことではあろうが一番大きな理由は『智恵子抄』を世に出してしまったことではなかったか。もの書きの性とでもいうのか、その身の洗い浚いを吐き出すことによって作品はリアリティさを増す。いまはいない智恵子、智恵子の気持ち(人権)よりも自身の気持ちのままに筆を走らせた。二人の秘め事として留置くことを、智恵子を知らぬ人にまで智恵子を知らしめてしまったことへの自戒にあったのではないだろうか。結果的に『智恵子抄』は社会的に評価を受け、高村光太郎の名声はさらにあがり妻の死によって生かされる。人の死によって生きる己が生。それゆえ常に智恵子の影に怯えていたのではないだろうか。翻って、江藤淳は『妻と私』を書き終えた後、自殺を図っている。高村光太郎と江藤淳、妻を失ったときの年齢はそれぞれちがうけれど両者共、もの書きを業としている。そして、妻のことを書くことにおいては共通している。妻の死後、生きながらえた者と、妻の死後、その命を自らの手で絶った者がここにいる。江藤淳は、自身の命を捧げることを以ってして“妻のことを書く”ことへの赦しをいまは亡き妻に乞うたのか。もの書きの性、書かずにはおれない。書かずにはおれないものはなんだったのか?“介護”という現実だったのだろうか?それとも、性の衝動だったのだろうか? 人が人をおもえども、おもうことがときに人を傷つけてしまう。 『句集 寒冷前線』吉本和子著 深夜叢書社 あとがきより一部抜粋 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 結婚して間もなく夫から「もし、あなたが表現者を志しているのだったら、別れたほうがいいと思う」と云われた。理由は、一つ家に二人の表現者がいては、家庭が上手く行く筈がないという事であった。吃驚したけれど夫は既に、二冊の本を自費出版していたし、ちょっと辛どい恋の後でもあったので、友人とも相談して「ま、子育ても表現のうちか」と納得することにした。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 吉本隆明は、吉本和子から文筆という活動を休止させている。文筆活動の休止は、表現の自由の拘束とも見えもしようが、そうではないように思う。和子いはく「ま、子育ても表現のうちか」と。ある意味、女はしたたかである。禁酒法時代ではないが、表現はなにも文筆で表すものばかりではないことを心得ている。無くば無いなりに器用にやりくりをしながらこっそり表現を模索。ものを書くにも身の内の蓄えがないことには実のあるものはでてこない。あたためにあたため70歳を過ぎて出した句集は初々しい。仮に結婚当初から文筆活動を続けていたならば70歳という年齢にさしかかったとき、この初々しさを保てていただろうか?流行に任せ誰も彼もが書き出版すれば、書店のスペースはきまっている、誰に読まれることも無くお蔵入りする書き物は後を絶たない。「もし、あなたが表現者を志しているのだったら、別れたほうがいいと思う」という言葉の中には、生存競争激しい過酷な文筆という闘う場に女を立たせたくはなかったんじゃないのかな。その女がましてや妻ならばなおのこと。男が女を守るものと、そこに男の存在意義をもつ男であったからではないだろうか。 【男女雇用機会均等法】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%87%E7%94%A8%E3%81%AE%E5%88%86%E9%87%8E%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%94%B7%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%9D%87%E7%AD%89%E3%81%AA%E6%A9%9F%E4%BC%9A%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%BE%85%E9%81%87%E3%81%AE%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B 〔変遷〕 1.1972年(昭和47年)7月1日-「勤労婦人福祉法」 2.1986年(昭和61年)4月1日-「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」 3・1997年(平成9年)10月1日-「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女性労働者の福祉の増進に関する法律」 4・1999年(平成11年)4月1日-「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」 5・2007年(平成19年)4月1日-改正法施行 男女雇用機会均等法の促進から、男女の働きにも変化が生れた 夫婦においては、共働きの家庭がその数を増す 外で働くのは男のみにかかわらず女も外へ働きに出ることが常態化 男の存在意義が薄れる 家を守る者がいなくなる 女の存在意義が薄れる 男女の性差がどんどん希薄化していく これほどまでに、女が外へ働きに出るようになったのは… 倒産、リストラ、生活苦…etc 働きに出らねば生活が立ち行かなくなる現実がそこにあるから 一つ屋根の下に二人の稼ぎ手、所帯主は一人

noname#80116
質問者

お礼

 ★ 人が人をおもえども、おもうことがときに人を傷つけてしまう。  ☆ くだんの事件を放っておいた人をおもうばあい あぁ そうか と受け止めるのが おもうことだとおもいます。  受けとめたくないというのでしょうか。  おもったのだから 感謝せよということでしょうか。

noname#80116
質問者

補足

 littlekissさん ご投稿を寄せていただきありがたい思いです。  まづ 《Q:未来論》のほうで ご文章から勝手に引用したことを 事後的ながら おあやまり致します。すみませんでした。  ▲ 人が「緑色の太陽」を画いても僕はこれを非なりと言わないつもりである。  ☆ と高村光太郎が書いています。これは 《サイト【 あの人の人生を知ろう~高村光太郎 】》の中で  ▲ 当初の光太郎の詩は、「一切が人間を許さぬこの国では/それ(近代的自我)は反逆に他ならない」と、社会や芸術に対する、怒り、迷い、苦悩に満ちたものだったが・・・  ☆ とあるところを知りたいと思って 検索した結果です。  ▲ 高村光太郎:《緑色の太陽》~~~~~~~~~~~~~~~    http://www.aozora.gr.jp/cards/001168/files/46507_25640.html  僕は芸術界の絶対の自由(フライハイト)を求めている。従って、芸術家の PERSOENLICHKEIT(人格)に無限の権威を認めようとするのである。あらゆる意味において、芸術家を唯一箇の人間として考えたいのである。その PERSOENLICHKEIT を出発点としてその作品を SCHAETZEN(評価)したいのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ とも言っています。ただし この文章は それほど全部を読んでおかねばならないとも思えません。《サイト【高村光太郎】》における《智恵子抄》での自己解説でも述べていたかと思いますが かれの当初の態度は かのじょが仕事をするとなれば そのままに任せたというようだっと まづは 確認するためです。  それでも 家庭政治がうまく行かなかったとも言えるでしょうし それだからこそ 智恵子が家事を優先させるようになったことは 光太郎に責任があるとも言えるのかも知れません。  光太郎について それ以上の詳しいことは知らないので そしてまた 江藤淳の場合は かれが 右旋回してからは わたしはよき読者ではなくなったことより 晩年のことも ほとんど知りませんので これ以上は いま 詳しい議論には伸びません。  提起されている問題 すなわち  ★☆ 光太郎の戦後の山奥での謹慎生活や 江藤淳の妻を送ってからの自殺  ☆ の事例は 要するに 《家庭政治における悪とその共同自治》の問題だという見方を提出されてもいるわけですが これについては すべてを端折って 次のようにわたしは考えます。  ○ 男は 子ども時代に母親に面倒をみてもらって 世の中は まったくうまく行っていたという経験があり たぶん 無意識のうちにもその記憶が なにかと勝って 甘えたがる。  ○ したがって 出来ることなら 家事にかんして 妻に そういう母親の役をしてもらいたがる。  ○ 初めから 配偶者が自分の仕事を持っていたなら――または 家庭生活の途中で 仕事をしたいとなれば―― あとは 家庭政治は どこまでも 話し合いによって 役割分担とする。    ☆ 吉本隆明とその妻とのあいだに どういう会話があったか知りませんが 互いに合意を得たのであれば それに従ったということだと思います。それ以上の   ★ 新鮮さ  ☆ だとかは そのとおりなのかも知れませんが 上の考えから行けば 少々うがち過ぎであると思いましたが どうでしょう。  ▲ 各自は 能力に応じてはたらき 労働に応じて報酬を受ける。またさらに 能力に応じて働き 必要に応じて受け取る。  ☆ これは おそらく 人間の計画や管理によっては 達成され得ないと考えますが 或る種の理想です。しかも 現実には この未来社会へ向けて   ★ 【男女雇用機会均等法】 もしくは 男女平等  ☆ の問題が 前に課題として 横たわっています。いまのところ 話し合いで決めていく としか わたしには 勉強不足で言えない状態です。    ★ 男は女を守るもの  ☆ となるでしょうか。つまり   ○ 男は 連れ合いに 甘えたがる。  ☆ というところに対してです。

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    吉本隆明は多くの鋭い指摘を残して亡くなってしまいましたが、私は彼が「自分は軍国少年だった」と言って、思想を展開したことに大変、好感を持ってきました。 そして全学連運動などにも、鋭い批評を述べていて、同感するところの多い、批評家だったと思います。 全学連運動の随伴者だったころは、共産党を批判して、本来の革命はそんなものではない、と言っていたように覚えています。 その共産党批判にも私は引かれていたのですが、そのとき本来あるべき革命と言うことを主張していたように思われます。 つまり彼は真の革命を述べて、学生の人気を獲得していた、と思っています。 さて80年代に共産圏が崩壊して、今では革命を主張する人はほとんど居なくなった世界で、吉本氏は革命について、どういうことを言っていたのでしょうか? 私の知人に、「吉本氏は最近転向を宣言して、共産主義革命をあきらめていた」と言う人が居るのですが、いろいろ本を見ても、そういう書き物を見つけることができませんでした。 真の革命を叫んだ人なのだから、そこから転向することは大変重要なことだと思うので、この間の経緯について何かご存知でしたら、教えてください。

  • にっぽん がんばれ。

     われわれは にんげんの前史を終えることができるか  § 1 ヒトの定義から入ります。  その昔 土地を囲ってここはおれのものだと宣言したと想定してみた場合 人間ということに関して前提とするべき公理に ふたつあると考えます。   (α) 主戦論を採るヒト:奪い合い・競争としての社会交通(マジハリ)   (ω) 非戦論を採るヒト:ユヅリアヒ。奴隷の状態にさえ甘んじる。           したがって競争し奪い合おうとする交通人は 社会という           ヤシロのその神棚(お二階)に祀っておく。(国ゆづりなるクセ)  § 2 ここから《権力》が生じますが これにもふたつの型があると見ます。   (あ) 第一次の権力関係:        ユヅリアヒの人間どうしにおいて――ということは ごくふつうに       自然本性としてのヒトどうしの間においても―― まなざしを相手       に上からそそぐ者とそしてこれを受ける者とに分かれる場合。        この場合には そのまなざしの上下関係が 互いにみとめあっ       ている自生的な性格のものと        そして一方が《アース(接地)役》を務めるかたちとなるようにそ       れが必ずしもよいことだとは思われない人為的・人工的な性格の       もの とがある。   (い) 第二次の権力関係:        第一次の《自生的な性格のもの》からにせよ《人工的な性格のも       の》からにせよ そのまなざしの上下関係を社会制度として固定さ       せようとして出来たもの。        身分関係。さらには その身分の世襲制。         特には 社会を《市民スサノヲ圏と公民アマテラス圏》との二階建       ての構造として固定する国家における身分制度としての社会力学       的な(=世間のシガラミなる)交通関係としての構造。        (その中で一階と二階とのあいだで流動性が保証されている社会       のあり方も 現実的ではある)。  § 3 階級ということ   (α)の主戦論を採るヒトが築く(い)の第二次の権力関係は 明らかに社会階級の関係として二階建てを成り立たせている。ヒトが品(クラス)ないし課税対象物として分けられ扱われる。   (ω)の非戦論を採るヒトが築く同じく(い)の第二次の権力関係は そのような階級関係を包み込んだ二階建てに成ると捉えられる。どういうことか?     言いかえると 非戦論によって服従の関係をえらんだそのことが すでにヒトの品による区分を飲んだかたちとなっている。   ぎゃくに言えば そこで身分制が強固にかたちづくられそれを保守する社会的な圧力が加えられたとしても もともとそのような社会力学は織り込み済みである。ゆづり終えている。   ゆえに――そうとうきびしいことだけれど―― そのお二階のえらいさんよ 気の済むまでご自由におやりなさい そのあと どこかでその二階へのアマアガリについて反省し人間にお成りなさいと心のどこかで言っている。   (α)の主戦論派にもとづく階級関係においては その新しい階級と古いのとのあいだで回転(レヲ゛リューション)が演じられる。  § 4 世界史的存在としての《一人ひとりとしてのわたし》  経済行為の形式ないしその社会的な制度として 資本主義は――あらゆるモノ・コトを商品として巻き込み その商品をつうじて交通するというよそよそしい形でではありながら 世界中のすべての人びとをやはり巻き込み一面ではその一様な形式による互いの交通を遠慮なく普遍的に行なわせるゆえに―― ヒトを誰をも世界史的な存在とすることとなった。  この資本主義――第一次の勤勉と第二次のガリ勉とから成る――の世界史的な展開の中で 階級の回転が行き着くところまで行き着き(つまり もはやいくら革命をやっても堂々巡りであると分かったところまで行き着き)  社会の神だなに祀られたお二階さんの王様ごっこがやはり行き着くところまで行き着くなら(――つまり もはや人民よユヅルことはこれ以上してくれるな われもユヅル側になってみたいわいと言い始めたなら――) (α)主戦論および(ω)非戦論それぞれの形式に分かれつつ自己形成してきたホモ・サピエンスは その潜在能力を全部出し切ったと言える地点に来るのではないか?  しかも 階級支配体制やお二階さんごっこ体制といったそれぞれの思想に真っ向から対立する民主制というかたちをすでにわれわれじんるいは採っている。  ふるいニンゲンは ほろびる。と思われます。  にんげんの前史を終えて後史――どんな?――に入ると見てよいのか?  そう見るのが ふさわしいのかどうか?  よろしくご教授ください。  われらが《あたらしいひと》とは どういう存在か?