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言葉と意志はどちらが先かという問題

具体的にこれと同じ単語が使われているかどうかは分かりませんが、 「『言葉』と『意志』はどちらが先に生まれたか」 という内容の問題について、何か情報をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。 この問題を提起した人の名前や、どういった経緯で生まれた問題・議論ですとか、 あるいはどこそこで同じ内容のものを見たなどでも結構です。 (当方、哲学は大学の一般教養レベルです) だいぶ以前にどこかで聞いて以来、正確なことに行き当たりません。 とてももやっとしています。

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回答No.5

お邪魔します。 ハンナ・アーレントによれば、「意志という能力は、古代の哲学ではまったく知られていませんでした。パウロとアウグスティヌスが考察するまでは、意志という能力のもつおそるべき複雑さが発見されていなかったのです。」 との事で、私たちの内面である精神というものを、理性とか知性とか感性とか意識等々に対して意志を弁別できるとすれば、「為すべし」「為すべからず」と言った意志の、それにもかかわらず必ず行為に結びつくとは限らない無力さから発見されたという、興味深い話ですね。 アーレントは別の文脈で「すでに指摘しましたように、古代には良心という現象は知られていませんでした。」として、良心=意志のように扱うところがあって、困ってしまうのですが。 日本の場合も「自由」という言葉の面白い説があります。 網野善彦氏によると、中世の「自由」は、あぶれもの、と言いますかヤクザのように、マイナスのイメージで使われていたそうです、現在の「自由」の概念は、中世のそれとはまるで反対のイメージですね。 ここで問題になるのは、言語と意志というよりは、言語と概念の関係になってしまいますが、当時において知られていなかった概念・観念は存在していたのか、ということですね。地動説が知られていない時代でも、地球は太陽の周りを廻っていたでしょうが、封建主義的時代に、現在の資本主義的経済体制は知られていませんでしたし、恐らく存在していなかったと言えると思います。さて、困りましたね。 この種類の問題で、わりと有名なのが、サピア=ウォーフの仮説ですね。 一般的には「言葉と思考はどちらが先か」という文脈で議論されています。 ソシュール言語学の関係では、「言葉はモノの名前か」と言う点から「言語と概念はどちらが先か」と言う議論もありますね、この二つは、関連する部分もあるようで、区別できるかどうかは微妙ですが。 サピア=ウォーフに関しては、このキーワードで検索すれば、結構出てきます。 ソシュールに関しては、丸山圭三郎あたりで、検索を絞ったほうが効率がよいと思います。 以上、言葉と意志に関しては、直接的なことは分かりませんが、良く似た問題を取り上げてみました、勘違いでしたら申し訳ありません。

その他の回答 (5)

  • yayuh
  • ベストアンサー率16% (7/42)
回答No.6

ラズロー博士監修のコスモスという本が最近出版されました。 それを読めばイメージできると思います。

回答No.4

 ことばを森羅万象、つまり人間の大元、つまり人間の根底たる神のことばとするなら、意志でしょう。  ヒンドゥのAUM、アーメン、チベットのフーム、日本の真言宗のオム(おん、サラバタタギャタとかいう、字はばけるだろうな、唵)。意志の元に意志たることばとしてのこれらが発せられた。  如何なる行為、生命、生活も意志なく始まるものは存在していない。始まらない。  というのが妥当で論理が合いませんか?  

noname#91529
noname#91529
回答No.3

ショーペンハウエル著 「意思の表象としての世界」では、 「意思が始まりである」と説いています。 同書の書評を手がかりに、 理解できる範囲で考えていけばいいと思います。

  • QES
  • ベストアンサー率29% (758/2561)
回答No.2

人は、物質の現象、受けた情報(経験)、自己の感覚、自己の判断、自己の行動の五つが相互にかつ複雑に作用する中で生きており、 言葉も意志もその結果の一つであり、二つのどっちが先かは意味がありません。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.1

こんな問題を提起した人の名前がことさら歴史に残り、もし大学の哲学の先生がそのことをもてはやしているとしたら、哲学者と呼ばれている先生方の見識や程度を疑われても、文句が言えないですね。 言葉が話せなくてもイヌにも猫にも決意や意志が存在していることは、それらを偏見なく観察している人には余りにも自明でしょう。ロバが強情なのは子供向けのお話にもなっているくらい、良く知られていますね。 実際の記録に残っていることですが、オオカミに育てられた少年は、話せることができるようなりませんでしたが、着せた服を食いちぎり、決して服を着ようとはしませんでした。彼には断固たる意志がありました。 蛙は、餌大の動く物には飛びつきますが、大きめの動く物を見ると飛んで逃げます。やばい、と思ったのでしょう。これは、赤ん坊が乳に吸い付く本能とは違いますね。赤ん坊は吸い付ける物なら何にでも吸い付きますが、蛙は、ちゃんと区別していますから。 植物にだって感覚がありますよ。その証拠に、いつも火を焚いている焼き物用の炉の近くに植えた木は、炉から遠ざかるように伸びていきます。それは不快感を感じているからという以外に説明のしようがありせんね。 人間を他の生物に比べて特別なものだと思っている連中は、まかり間違うと、自分達は特別な存在であり、キリスト教を理解できない他の「遅れた国」を民主化して幸福をもたらしてやるなどと言い出して、周りに害毒を流すどこかの国のようになってしまうとは思いませんか。

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