モノはコトである。と捉えていたようです。
§1 まづ ひとのあり方をどのように捉えたか。
心のあり方として こうです。狩猟・採集・漁労というように自然界にあるモノを そのまま取る作業に従事して生活するときには モノに取り憑いた心でした。原始心性と言います。
やがて その心の中に 時間が流れ出します。稲であれば 野生の稲を採集するのではなく みづからが季節とともに栽培するようになった。育てるという作業とともに 時間の経過を伴なうことにより 歴史知性を獲得します。おそらく子どもを育てるという仕事が役立っているのでしょう。
その後 この歴史知性であれば 何でも出来るという超知性も現われましたが それは措いておきます。
これら三つは 順番に ヨリ原始心性(自然への寄り・依り・憑り)→イリ歴史知性(自然と歴史への入り)→ヨセ超歴史知性(イリ知性を嵩にきて何ものに対してもその下には立つまいとする寄せの知性・痴性)というあり方です。
§2 イリ歴史知性は 世界をどう捉えたか。
モノおよびコトとして認識したようです。結論として こうです。
モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主)
コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主)
↓ ↓ ↓
自然・社会・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ
この範式において 次の図式も得られます。
モノの木――――――ねこ(根子)――――――生命の木
日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)
モノは どちらかと言うと 質料・身体であり コトは エネルギ・精神にかかわります。
記紀には おほたたねこ(大田田根子)や みまきいりひこ(御真木入彦)が登場します。同時代の人物であり 後者は 市長を務め 前者は 一市民で オホモノヌシのカミの子であったと言います。《イリヒコ歴史知性》の霊性のしからしめる認識でした。
§3 ネコ・ヒコらの生活とその後
つまり オホタタ(田田)ネコが 田を耕し(田返し) イリヒコが その知性をもって 世界に《入り》するということは 精神を耕すというものでした。植林あるいは薬草による医学にも 精を出しました。
つまりは 一人のひとが 《根子(身体)‐日子(精神)》の連関から成る存在でした。あるいは《根子(市民)‐日子(公民)》の連関構造なる社会的存在のことです。
やがて そこへ ヨセ超歴史知性が出現し――たとえば オキナガタラシヒメ(息長足姫=神功皇后)は 《神を帰(よ)せたまひき》とある―― 日子は もっぱらの公民として立ち そのスーパー歴史知性によって やしろ(社会)を 二階建てとしたという歴史につながっていくわけです。
木から木の実を採る仕事が 稲から米を育てる仕事に移るにつれ 今度は 木の実や稲の実のほうから ものごとを捉え考えるに到ります。あたまの中で 利潤が先行するわけです。実りを 《まつり(かみとの共食)》において いただく生活から すでに二階建てになったその第二階にあって 《まつりごと(天の神との添い寝)》のもとに まつりごと(政治)をとりおこなう。ネコ市民はこれに従うという社会生活になった。巨大古墳として《結実》しました。――土木も発達したわけですが 何に活用するかですよね。
《まつり》のときのふつうの和の生活を 《まつりごと》は やまと(大和)の国として 上から 号令することになりました。まぁ ゆたかになったわけですけれど。
うんぬん。うんぬん。
このように ネコ市民が ヒコ(いや スーパー日子)公民に 道を一歩ゆづるというのも 日本的霊性のしからしむるところであるかも知れません。もっとも ネコ市民の中には もっぱらのヒコ公民に寄っていき ゆする・たかるという習性を会得したものもいるようです。
はてさて 日本的霊性の行方は いづこへ?
お礼
ありがとうござおました。