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わたしはなぜここに存在するのか?

tumaritou1の回答

回答No.20

貴方が今の疑問を抱くようになったのは、貴方が人間だからと思います。人間以外の生き物はそういう疑問は抱きません。人間は頭の上にもう一つ頭を重ねてそれで不安になったり、苦しんだり、或いは疑問の虜になってしまいます。 貴方の疑問を解く事はあなたしか出来ません。貴方はその答えを知っています。そうでなければ貴方は疑問は抱かないからです。貴方の中の誰かが、貴方の自我意識に疑問を抱かせています。その答えを得る方法が有ります。それは自分自身を知る事、見性或いは悟りを開くという事です。是は何も特別な事では有りません。自分に疑問を抱かせているものを自分自身が直に捕まえるという事です。 他の言い方をするなら、自分自身を悩ませていた者と出会うという事です。他の言い方をするなら、貴方が抱いた疑問は貴方の内からの「実存」からの問いかけです。貴方が子供の頃には何の疑いも持たなかったと思います。たぶん13歳とか14歳頃から疑問を抱きは始めたかと思います。 今言った事が関係して来ます。聖書には「天国に一番近い存在は幼子」とあります。これは脳の機能の関係からです、幼子には分別するだけの脳の能力がないからです。脳に分別する能力が付いた事を「知恵のリンゴを食べた」と云います。ちょうど人が人間として悩みが始まる頃と時を同じくしています。 その能力とは脳の機能の分化が完成する事を意味しています。それは左脳としての能力、右脳としての能力と云う事になります。或る記事を載せてみます、是はウエキペデアというインターネットの記事です。 ロジャー・スペリー(Roger Wolcott Sperry、1913年8月20日 - 1994年4月17日) はアメリカ合衆国の神経心理学者。デイヴィッド・ヒューベル、トルステン・ウ ィーセルとともに、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。1989年にはア メリカ国家科学賞(行動・社会科学部門)を受賞している。 ハートフォードにて生まれ、西ハートフォードにて育つ。11才のとき、父親が死 去。オベリン大学に通い、1935年に英語の学士号を取得、1937年に心理学の修士 号を取得した。1941年にシカゴ大学より動物学のPh.D.を取得。その後ハーバー ド大学の心理学者カール・ラシュレーのもとで研究を行った。 スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、 代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の 実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定 化することを示した。 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的 で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、一方の脳半球に依存する ことが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。 この業績の中に、左脳の得意の分野、右脳に得意な分野が有る事、又重複しますが、『それぞれ独立した意識』が存在する事を実証した事です。ですが自我意識は左脳の意識です。分別が専門の脳です。分別するという事は、計算機で割り切れる事が条件になります。割り切れるという事は「有限」と云う意味を含んでいます。 私たちの自我意識は分別脳の働きです。ですが心の中を観察した時には必ず二つの意識が有るような気がします。心が争ったり、妥協したりと云う経験です。又ほかの話に聞こえますが、自分が何も考えていなくても自分の心に湧き上がってくるアイデアや、自分が何を意識しなくても行動がしっかりと出来るとき時などです。頭で考え無くとも歩く事も、運転する事も出来ています。危ないと思うときは考えていなくてもひとりでに足はブレーキペダルを踏んでいます。 是がどういう事かと云うと、無意識の働きに因る処です。この事を東洋の「無」と云います。無は何もない事ではないのです。自我がないところに働くものを無と云います。処がその無にも意識が有ります。考えが有るのです。そこの処を詳しく解説しているのが「禅」と云うものです。 その無の意識は、左脳の分別出来ない所を補っています。分別出来ない所とは、無限とか永遠とか、感情とか、感動とかの分野です。つまり割り切れない分野や、矛盾した割り切れない問題などや、将来の問題などです。「結婚をしよう」と決心するのは、右脳の閃きに大いに関係が有ります。自我意識が決心したように見えますが、論理的に、合理的に計算ずくで、割り切って「結婚しよう」と云う決断は出来ないものです。 その直感を司っているのが見性しようとしているその相手となります。それを示す例を挙げてみます。「禅問答」が解けたかどうかを聞く時の問いとは、「生死の問題が解決したかどうか」と云う事なのです。悟りが開けたという時はその「無の意識」と出会う事なのです。それは分別脳がその問題を解き事が出来ない、不可能という事を認めた時になります。 そのために「禅問答」は分別脳では解く事が出来ない問題となっています。その事を本当に知るためには命がけの決心が必要とされます。それが「百尺の竿頭からもう一歩先に出ろ」と云う言葉になります。そして命がけで頑張ったけれど自分には(自我意識、或いは左脳)には出来ないと、分かった時が「大死一番」と云うことになります。 その時に自我意識には(脳の機能から云って)出来なかった問題を、無分別脳が出て来て問題をいとも簡単に解いてしまいます。この事で全ての問題が解決します。今まで抱いてきた疑問、悩み、苦しみなどが全て解決します。悩みの解消、不安の解消、疑問の解消と云う事になります。なぜならばそれらは心の対立と矛盾と云う風に置き換えても良いからです。すなわち自分で問題を作って自分で悩んでいるからです。 悩みも苦しみも疑問も、全て自分自身で作って自分自身で勝手に悩んでいます。これらの解決は、薬を飲んでも解決できにくいと云えます。自分で自分に答える他は無いのかも知れません。参考になるものは鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。沢山書かれています、そして自分で見性経験をしている為に、ポイントが良く押さえられていて、読む方には、大変分かり易いところが有ると思うからです。

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