• 締切済み

わたしはなぜここに存在するのか?

なぜわたしは今ここにいるのですか? なぜ生まれてきたのですか? なぜ過去にも今も多分未来にも存在し続けるのですか? なぜ生きているのですか? 存在しなくなった場合はどうなるのですか? よろしくお願いします。

みんなの回答

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1677)
回答No.25

あなたにしか出来ない使命があるからです。

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回答No.24

アナタが仰る「此処」とは「何処」なのでしょうか?

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  • aaplaapl
  • ベストアンサー率40% (6/15)
回答No.23

あなたにとって、存在とは何ですか? あなたも存在です。 あなたが生まれ、生きて、死ぬ。 存在そのものは無くなることができるのでしょうか? 答えは、存在のすべては、今までも存在してきたし、今も存在するし、これからも存在し続けます。ただそれだけです。そこには「なぜ」という言葉は必要ないのです。本気で知りたいのであれば、「チャネリング本」で検索してみてください。

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noname#74145
noname#74145
回答No.22

なぜわたしは今ここにいるのですか? なぜ生まれてきたのですか? なぜ過去にも今も多分未来にも存在し続けるのですか? なぜ生きているのですか? 存在しなくなった場合はどうなるのですか? 皆さんそれぞれの立場から回答をして頂いていますがごもっともと思いますね。 そもそもこのような疑問が生まれるのは貴方が高度な知能を持った種だからでミジンコやパンダではそのような疑問を抱く事は無いでしょう。偶然に偶然が重なって地球が生まれ更に偶然が重なって貴方が今ここに居る。 これに科学的な理由を付けようとすれば気が遠くなるほどの偶然の結果と言えるし宗教的な理由なら神の意思と言えるし逆説的な言い方なら存在する知的生命体がたまたま貴方であったとも言えるし。 まあどのような回答をご希望か存じませんが色々考え悩む事は決して無駄にはなりませんから自分なりの答えを模索してみては如何ですか。

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回答No.21

>なぜ過去にも今も多分未来にも存在し続けるのですか? このご質問に鍵があると思います。 過去にも存在していたとする過去はどこにもありません。 未来に多分存在し続けるとするその未来も存在していません。 で、今存在するとするその今とは、過去からやってきて未来に続くのではなくて あなたにとって常に今が今であり続けるということをあなたがやっているのです。 この驚異的能力故に、このご質問が成り立っています。 真の今は、あなたにとっての今とは完全に異質なのです。 昨日も今日も明日も私は私である・・・という連続性を否定しているのではなくて それを作り上げているのが私の本性であるということです。 他のご質問は、この鍵で開けた扉の向こう側にあると思うのですが、 答えは一様ではありません。 これは、あなたとか私というものが存在と非存在の狭間で打ち震えていているからであって、 >存在しなくなった場合 に初めて非存在であるが故に完全な存在となります。

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回答No.20

貴方が今の疑問を抱くようになったのは、貴方が人間だからと思います。人間以外の生き物はそういう疑問は抱きません。人間は頭の上にもう一つ頭を重ねてそれで不安になったり、苦しんだり、或いは疑問の虜になってしまいます。 貴方の疑問を解く事はあなたしか出来ません。貴方はその答えを知っています。そうでなければ貴方は疑問は抱かないからです。貴方の中の誰かが、貴方の自我意識に疑問を抱かせています。その答えを得る方法が有ります。それは自分自身を知る事、見性或いは悟りを開くという事です。是は何も特別な事では有りません。自分に疑問を抱かせているものを自分自身が直に捕まえるという事です。 他の言い方をするなら、自分自身を悩ませていた者と出会うという事です。他の言い方をするなら、貴方が抱いた疑問は貴方の内からの「実存」からの問いかけです。貴方が子供の頃には何の疑いも持たなかったと思います。たぶん13歳とか14歳頃から疑問を抱きは始めたかと思います。 今言った事が関係して来ます。聖書には「天国に一番近い存在は幼子」とあります。これは脳の機能の関係からです、幼子には分別するだけの脳の能力がないからです。脳に分別する能力が付いた事を「知恵のリンゴを食べた」と云います。ちょうど人が人間として悩みが始まる頃と時を同じくしています。 その能力とは脳の機能の分化が完成する事を意味しています。それは左脳としての能力、右脳としての能力と云う事になります。或る記事を載せてみます、是はウエキペデアというインターネットの記事です。 ロジャー・スペリー(Roger Wolcott Sperry、1913年8月20日 - 1994年4月17日) はアメリカ合衆国の神経心理学者。デイヴィッド・ヒューベル、トルステン・ウ ィーセルとともに、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。1989年にはア メリカ国家科学賞(行動・社会科学部門)を受賞している。 ハートフォードにて生まれ、西ハートフォードにて育つ。11才のとき、父親が死 去。オベリン大学に通い、1935年に英語の学士号を取得、1937年に心理学の修士 号を取得した。1941年にシカゴ大学より動物学のPh.D.を取得。その後ハーバー ド大学の心理学者カール・ラシュレーのもとで研究を行った。 スペリーの実験以前には、いくつかの研究結果から大脳の大部分は分化しておらず、 代替可能と考えられていた(例:ラシュレーの等能説、量作用説)。彼は初期の 実験でこれが誤りであること、すなわち発達期を過ぎると脳の神経回路がほぼ固定 化することを示した。 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的 で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、一方の脳半球に依存する ことが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。 この業績の中に、左脳の得意の分野、右脳に得意な分野が有る事、又重複しますが、『それぞれ独立した意識』が存在する事を実証した事です。ですが自我意識は左脳の意識です。分別が専門の脳です。分別するという事は、計算機で割り切れる事が条件になります。割り切れるという事は「有限」と云う意味を含んでいます。 私たちの自我意識は分別脳の働きです。ですが心の中を観察した時には必ず二つの意識が有るような気がします。心が争ったり、妥協したりと云う経験です。又ほかの話に聞こえますが、自分が何も考えていなくても自分の心に湧き上がってくるアイデアや、自分が何を意識しなくても行動がしっかりと出来るとき時などです。頭で考え無くとも歩く事も、運転する事も出来ています。危ないと思うときは考えていなくてもひとりでに足はブレーキペダルを踏んでいます。 是がどういう事かと云うと、無意識の働きに因る処です。この事を東洋の「無」と云います。無は何もない事ではないのです。自我がないところに働くものを無と云います。処がその無にも意識が有ります。考えが有るのです。そこの処を詳しく解説しているのが「禅」と云うものです。 その無の意識は、左脳の分別出来ない所を補っています。分別出来ない所とは、無限とか永遠とか、感情とか、感動とかの分野です。つまり割り切れない分野や、矛盾した割り切れない問題などや、将来の問題などです。「結婚をしよう」と決心するのは、右脳の閃きに大いに関係が有ります。自我意識が決心したように見えますが、論理的に、合理的に計算ずくで、割り切って「結婚しよう」と云う決断は出来ないものです。 その直感を司っているのが見性しようとしているその相手となります。それを示す例を挙げてみます。「禅問答」が解けたかどうかを聞く時の問いとは、「生死の問題が解決したかどうか」と云う事なのです。悟りが開けたという時はその「無の意識」と出会う事なのです。それは分別脳がその問題を解き事が出来ない、不可能という事を認めた時になります。 そのために「禅問答」は分別脳では解く事が出来ない問題となっています。その事を本当に知るためには命がけの決心が必要とされます。それが「百尺の竿頭からもう一歩先に出ろ」と云う言葉になります。そして命がけで頑張ったけれど自分には(自我意識、或いは左脳)には出来ないと、分かった時が「大死一番」と云うことになります。 その時に自我意識には(脳の機能から云って)出来なかった問題を、無分別脳が出て来て問題をいとも簡単に解いてしまいます。この事で全ての問題が解決します。今まで抱いてきた疑問、悩み、苦しみなどが全て解決します。悩みの解消、不安の解消、疑問の解消と云う事になります。なぜならばそれらは心の対立と矛盾と云う風に置き換えても良いからです。すなわち自分で問題を作って自分で悩んでいるからです。 悩みも苦しみも疑問も、全て自分自身で作って自分自身で勝手に悩んでいます。これらの解決は、薬を飲んでも解決できにくいと云えます。自分で自分に答える他は無いのかも知れません。参考になるものは鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。沢山書かれています、そして自分で見性経験をしている為に、ポイントが良く押さえられていて、読む方には、大変分かり易いところが有ると思うからです。

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回答No.19

>なぜわたしは今ここにいるのですか? 解りません。 >なぜ生まれてきたのですか? 解りません。 >なぜ過去にも今も多分未来にも存在し続けるのですか? 生まれる前とかに存続していたのかも、死んでから以後存続し続けるのかも解りませんし、 すでに書きましたようになぜ今存続しているのかの謎もわかりません。 >なぜ生きているのですか? 解りにくい設問なのですが、存在と「生きている」ということを別に考えていらっしゃいますか?   存在ということでしたら、すでに書いたとおりですし、  なぜ生物なんだろう?ということも なぜ生物としての連綿として命の連鎖の中に「わたし」はいるのだろう?ということも まったく解りません。 >存在しなくなった場合はどうなるのですか? この質問の意味も解りづらいのですが、 もし私が存在しなくなったら、私は存在しなくなるのだろうと思います。 物質とか他の人の意識とかはそれにまったく影響されずに存在してると思いますが、 これじゃあ答えになってませんよね。 結局 すべて解らないのですが、 哲学するということは、ものごとを深く広く総合的に考えるということでもあり、かつ厳密、綿密に、より明晰性を求めての思索という感じのものと思いますが、 上記の質問には、そのような哲学を真剣に考える人ほど答えは出てこないこととも思います。  でも解らなくても、私はこの60年間生きてきて、この存在が あまりにもすばらしい、あまりにも奥の深い存在であることなら知っています。 もしその全部を書くとしたら、何百冊という本でも書ききれないのじゃないかと思うほどの量となってしまうと思います。 その中で、この疑問と関わるような設問と答えとかを いくつも持っていますので、 重要と思われることをいくつか書いてみます。 何かぴたっと感じるものがあればいいなと思います。 (1)まず、「わたしはなぜ」あるいは「なぜわたしは」の「私」とは何かということですが、 この私は 千葉県の銚子からすこ外れた飯岡というところで生まれたうまれながらのチョウシッパズレですが、とよく人に自己紹介しますが、 そこでとれた私が、「でもチョウシッパズレではないです。」と自己紹介したとしても 私は私、同じにんげんです。   その私とはという点についてなのですが、 20歳ごろのことでしょうか、 3歳以前に習志野というところに両親とともに住んでいたらしいのですが、 そのころ親しかったという近所のおばさんから、其の頃の私の事を聞いたことがあります。 「あれ、 あんたが あの~ちゃんなの? まったく変わっちゃって!、いやおもしろい子供だったのよ。おぼえてないでしょ。  私の娘(そのおばさんの子供)と友達でね。よく遊びにきたんだけど、 私の娘にチュウしてあげるから あがっていいですか?とか言ってほんとに手にキスをして入ってきたのよ。 何度もね。 」    ええええええ^^。 ま  まるで わたしと別人じゃないですか(^^);。 つまり 今107kaさんが使っている「わたし」も、わたしがここで使ってる「わたし」も、 それは自己記憶体という記憶意識としてのまとまりをもった意識存在であるわけで、  たとえそれが自分であったとしても それ以外の自分を人から聞いても「わたし」とは別なひと、あるいは「べつな坊や」として感じてしまう存在ということになるわけです。 (2)しかしながら、私は3歳の頃 肺炎で死にそうになっていて、ペニシリンがなんとか海外から空輸されてそれがぎりぎり間に合って命をとりとめたそうなのですが、   また写真を見ると、太っていて健康そうでまるでそれ以後と以前とでは別人ですが、 両親がそのぐらいのことで見まちがうわけはないので、私は その時にそっと病院とかで取り替えられた人物などではなく(^^)、ちゃんと私の母から生まれた同一人物であることも解ります。 意識体としての私と、意識外であっても私である私との両方の共通項は、その時何なのかと考えたときの答えが、 私にとって大きな価値の一つとなる宝物でした。 答えは、両方ともに、 たとえほん少ししか生きられなかったとしても、存続し得なかったとしても、 未来永劫、過去幾百億年、しかも宇宙のはて何億光年さがしても他にはひとりもいない、 ほかにさがしようのないかけがえのない命である点です。 あなたのいう「わたし」も わたしの言っている「わたし」もです。 (3)にもかかわらずわたしは頑丈な体の持ち主でもありました。 あるいじめにあうまえまではです。 大人からの差別のともなういじめ、これによって私は こんどこそ徹底して心身衰弱していきました。  ちょうどこれから生きられるとものごころついた頃、 わたしは、ふたたび重い肺炎でなんども死に掛かっています。    息苦しいなんてものじゃないのです。 息がはげしい痛みをともないますし、ともかくそれどころじゃないです。 そんな中で、 あるとき、右の肺胞は全部つぶれ、左の肺胞もあとわずかとなったときに、私は 医者が後3日の命です。覚悟してくださいというのをはっきりと聞いてしまったのです。 これからこそ生きられると思っていたのにという 絶望は 苦しみを増幅させています。 でも私はまだ意識がありました。 もう耐えることなんかとっくにできなくなったままです。 でも そんな中で まずすごい存在となったのは なんと「自転車」でした。 これだけですと意味解らないと思いますので説明します。 私は きゅうに自転車に乗りたくなったのです。 自転車にのって 町を村を山を野原を 風の中 雨の中を、森の緑の中を、小川のそばを、その草いきれのなかを、木々から砂にこぼれるゆれる光の中を、 木々の風の音の中を、海辺を 丘を 丘からながめる雲を 青空を夕焼けを 一番星を、自転車をこいでこいで、はしらせてはしらせて、どこまでも、世界中を旅していきたかった。   いやだ いやだ 死にたくない。 死にたくないんだ。  たった自転車がその時命ほどもの重みとなった理由です。 が、三日後はとうとう訪れました。 でも その時病気は峠を越え、ふたたび、ぎりぎりでわたしは助かっています。 >なぜわたしは今ここにいるのですか? >なぜ生まれてきたのですか? >なぜ過去にも今も多分未来にも存在し続けるのですか? >なぜ生きているのですか? ぜんぶ 私には解りません。  でも 60歳の「わたし」という記憶体には、 107kaさん、 あの時夢見た「自転車」の重みより 以上のはるかにたくさんのそして豊かですばらしい記憶が たくさんの宝物としてありますよ。  いっしょうけんめい 生きてないときにはなにもありませんでしたけどね。  でも、いっしょうけんめい人間的に生きようとしたときに、 わたしは今もワーキングプアですが、 本にも書ききれない宝の山を見つけてきましたよ。 書ききれないですけど、音楽もその一つです。お金では変えないたからものがその時には山ほどあるということです。 この存在にはです。 なぜかはわかりません。 でももし、若い人達が 同じ宝を見つけてくれるのならば、わたしは、もういつ消えてなくなったっていいです。 私自身はね。  なぜ存在してしまったのかわからない以上、其の力でふたたび「わたし」は存在するかもしれません。 未来永劫に? でもそこで最後に大事なのは、いつも新鮮な心でいられるかです。  そしたら、 いついなくなったってやがていいと思えるようにもなりますし、未来永劫に生きる魂も、見つかりますよ。  何故?というそのような宇宙にぽっかり穴の開いたような謎は たぶん、その時だけ 誰の心から解けてゆくとおもいます。

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  • edie
  • ベストアンサー率31% (156/502)
回答No.18

>なぜわたしは今ここにいるのですか? あなたという人を、必要としている人たちがいるから。 >なぜ生まれてきたのですか? あなたが、あなたの周りにいる人たちと出会うため。 >なぜ過去にも今も多分未来にも存在し続けるのですか? それが宿命であり、あなたの役目だから。 >なぜ生きているのですか? あなたが、人生という名の道を山あり谷ありいろんな事を経験しながら、少しずつ成長していくため。 >存在しなくなった場合はどうなるのですか? 「たましいの親元」に帰ります。

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  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.17

僕も考えたことがありますが、縁によって今ここに存在しているようです。 過去に何らかの行いをして、係りのあった人とまた係りを持って生きています。 過去にぽっと自己という物が現れた時、それがどういう経緯かはわかりかねますが、自己という物は消え去るということはなく、忘れるということによって、死が存在している のです。

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  • reki4649
  • ベストアンサー率21% (116/539)
回答No.16

哲学のカテで哲学の根底になるような「存在」について質問しているのに回答者の方達からすごいいわれ方をしていますね・・・・ あなたはなぜそこにいるのでしょうか? それは本当に今ですか? もしかしたら映画「マトリックス」のようにバーチャルリアリティが発達した未来のあなたが過去の生活を「体験」しているだけかもしれません。 そうなると今のあなたの身体は「無い」ですね。 もちろん目の前のPCも携帯も家も友達も世界丸ごと「無い」。 唯一つ確実に「ある」のは自分が存在するのか疑っている自分の「考え」だけ。 これをデカルトは 「我思うゆえに我あり」と言いました。 そしてこれを哲学の第一原理に置いたのです。 ですから本当にこういう事を考えて行きたいのであれば哲学を勉強されることをお勧めします。 それと質問の答えですが大昔にソクラテスが「私は知りえない」と言ってます。 これは「無知の知」と呼ばれています。 この辺りも勉強すると面白いですよ。

i07ka
質問者

補足

哲学的良回答です!

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このQ&Aのポイント
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