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正しい宗教とは?

皆さんこんにちは。 私が昔読んだ本なのですが、死後どうすれば天国に 行くことができず、地獄に落ちるのか? 現世で何をすればあの世で罪が重くなるのか? と、いうような内容の事を書いていました。 この世でする殺人などは、それほど罪が重くもないらしく 現世で一番罪が重いのは、誤った宗教を広める事らしいの ですが、その誤った宗教というのがいまいち、よくわかりません。 おそらくその意味は、本当の教えを正確に広めないといけない。 というような事だろうと思うのですが。 でも、どの宗教が正しく、どの宗教が誤っているか、というのは、 結構判断が難しいのではないかと思っています。 しかし、お金がたくさん必要な宗教や、なんか変な商売を して利益を上げなくてはいけない宗教は、私のような素人目で 見ても「あやしい」とは思っています。 では正しい宗教や、誤っている宗教を見分ける基準は、他に 何かありますでしょうか?

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  • wiz0621
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回答No.11

聖典にそう記載してあるのならば、その宗教観を持つ人にとって それが絶対的な真実です。それは神(間違いを犯さない絶対者)の言葉を 記載したものなのですから。つまり神の言葉=聖典を否定する教えこそが 誤った宗教と言えます。 ここまでが質問の答えです。 さて、以下はその間違った宗教を信ずる私の意見です。 聖典がもし人間の手によって書かれていたらどうでしょうか? "宗教的"にはありえない話ですが聖典の成立した経緯を見ていけば、 さらに面白い事実が見えるかもしれません。 宗教はその形成において信徒を確保する必要があります。 信徒がいなければ宗教はただの"個人の妄想"で片付けられます。 例えば最大勢力を誇るキリスト教。かの宗教は極言すれば ただのユダヤ教の異端(平たくいうとパクリ)です。 当然古代世界において力を持つためには信徒を獲得する必要があり、 多くのライバルを打ち破る必要がありました。その権力闘争ゲームの舞台となった 古代ローマでは定期的に異なる宗教が"流行"していました。 平和や隣人愛を謳い、大規模なお祭りを行ったイシス教。 密教的な儀式・限られた人間だけに知識を授けるミトラス教など まぁ好きな人には堪らない教義でしょうね。現代宗教もこのあたりと大差ありませんし。 キリスト教はこれらの宗教の人気の出そうな部分だけを切り取り聖書に書き加えました。 一方で評判の悪かった部分は批判の対象とします。後者が前述の誤った宗教となるわけです。 また、本質的に相容れない他の宗教の場合には徹底的に攻撃します。 つまり、イエス・キリスト以上の存在が登場した場合にはそれを絶対に認めることがありません。 一例を挙げると、聖書の記述には"空を飛ぶ"奇跡を起こした預言者に対して キリスト教徒が一斉に石を投げつけて打ち落とし、「飛べないじゃないか、詐欺師め!」と ボコボコにする話があります。無茶苦茶ですがキリスト教の価値観からすれば当然の行為です。 彼を認めてしまったら、信徒がすべて取られ、自分たちの勢力が弱くなりますから。 この"詐欺師"の宗教、これもやはり誤った宗教となります。 こうした高度な柔軟性を維持した結果、キリスト教徒は最大勢力となります。 この権力闘争の歴史を記したのが聖典なわけです。聖典とそれに基づく教義なんて その程度の代物なのですから、あなたが気に病む必要は無いと思いますよ。 以上、異端者であり詐欺師の意見でした。地獄行ってきます。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー すばらしい。 貴方はすべてをわかった上で、自分の信じた道を 歩んでいるとお見受けしました。 わからずに信仰するのか、わかった上で信仰するのかは、 同じ信仰するにしても、たいへんな違いだと思います。 何がどうであれ、信じた道を歩むというのも、りっぱな 事だと思います。 またそれは宗教だけでなく、思想なんかもそうですね。 右翼も左翼思想もどちらが正しいなど、誰にもわからない 事で、皆信念を持ってやっていますからねー ご回答ありがとうございました。

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その他の回答 (20)

回答No.10

・正しい宗教=人を幸せにする ・間違った宗教=人を不幸にする

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー 間違いないです! 私もそう思います。 ご回答ありがとうございました。

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noname#152554
noname#152554
回答No.9

難しい理屈を延々と書いてる回答者もいるようですが・・・。 >お金がたくさん必要な宗教や、なんか変な商売をして >利益を上げなくてはいけない宗教は、私のような素人目で >見ても「あやしい」とは思っています ↑ 正しい。 これは、「あやしい」のでは無く、「誤った宗教」です。 >この世でする殺人などは、それほど罪が重くもないらしく ↑ 危ない、危ない・・・ 信者の数とか理屈など、関係有りません。 「殺人」を「正当化」したり、「聖戦」などを唱える。 こんなモノは「宗教」では無い。 それだけは、言い切れます。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー やはりそうですかー 攻められて自分を守る戦いなら、やむえないのですが 自ら攻めていくのは、聖戦なんかではないですね。 ただの侵略戦争ですよね。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.8

これからの宗教のあり方について思っていることがあります。 でも深く考えているわけではありません。単にスタートライン、出発点についてです。あるいは宗教心の基本、土台、と言ったものです。 宗教を考えようとすると、善とか悪といった観念が必須になります。 神や悪魔、天国(浄土)や地獄と言う世界も必ず出てきますね。 神のつかさどる世界は善、悪魔のつかさどる世界は悪、との定義は誰しも認めていることだと思います。そして世の宗教と言うと神や仏の教えであるとも受け止められています。(悪魔の宗教なんてのもあるようですが) だから宗教に関心を持つということは、善の世界に関心を持つと言うことのはずです。 でもまだまだご利益信仰的な気持ちや、霊能の世界への興味から、宗教に関心を持つという事が多いかと思います。それは善の世界へ、と言う純粋な気持ちに濁りが生じるように思います。(決して悪などと思っているわけではありません) そこで、好ましい信仰心を持つために、また、神や仏の善の世界を求めるに当たって、自身の好ましい心、良心(人を思いやる優しさとか、よりよい人間になろうという向上心とか)を基本に、土台にすることを提案します。 人間は宇宙の精神に神や悪魔を感じ取りました。そして自分の心にも好ましい心や、好ましくない心のあることを認識できます。 と言うことは、宇宙の精神も人の心も同質、同じものであると思えます。我々の好ましいほうの心は、神の心につながっている、神の心の反映したものだ、と受け止めてもいいのではないでしょうか。 好ましいほうの心、良心を出発点として、あるいは原点にして、天にまします神や仏の世界を思うようにする。それが、これからの好ましい宗教のあり方ではないかと考えています。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー >だから宗教に関心を持つということは、善の世界に関心を 持つと言うことのはずです。 あ、それはいえるかもしれませんね。 信仰する人自体は、たしかにそうですね。 ただ、その人の心を利用して悪意のあるエセ宗教を 故意に始める人は、いけないということなんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.7

宗教戦争の因であり、宗教戦争が残虐になりがちな因、 戦争にならなくても同じ人間どおしなのに、信仰外の人に冷たい心となってしまったりする原因、 これは哲学から(厳密な思索過程から)の答えの必要な世界でもあると思っていますが、 人間の情としても黙っていられない点があります。 今は、自分自身の生き方が悩んでいる最中ですので、哲学からの答えのほうはここでは止めます。 むずかしいです。 多くの宗教の信仰者が もともとは存在のすばらしさへの謙虚さをいざなうために悟ったようなすばらしい方が作った宗教なのでしょうが、その真実への謙虚さというよりも それを真実と信じること自体を信仰と捕らえてしまっていて、かつ そこに精神的にもすがってしまっている人達が多いですから、    厳密な思索展開は それなりに深い真実そのものではあるのですから、それを読むだけで心が傷ついたり 悩みに落ち込んだりしてしまう人達もおおぜい考えられえるからです。 しかし、「言うべきは言う」 ことも必要といった長い注意深い過程が哲学に加えてその表現に必要となると 私は思っているからです。 どの宗教もというわけでなないでしょうが、多くの宗教が奥の深い教えを持っています。 平和も人と人とのおもいやりの大切さや暖かい心の必要性も説いています。   でもそれが 残酷な世界へと結びついてしまう仕組みや、心理には、だまっているだけにはいかないのです。 ひとつだけ、これだけは、私たちが怒りを持って言ってもいいことがあると思います。 それは地獄という概念についてです。 悪を犯さないための方便として考えられたものでしょうが、もし、それがその宗教の中で絶対の事実として語られているのならば、 それは偽者の宗教であるか、そういうふうに言う人が偽者の教師だと言うことだけは、 言っていいことだと思います。 もし、神なり その宇宙の法則が 弱い人間の罪をとがめるために永遠の地獄を設定したというのならば、 その苦しみはなんら人間を高めてくれる成長させてくれるものではないのですから、そんな残忍な話はないわけで、 はてさて、悪人だという理由をつけて、弱い人間をそんな世界に落とすような悪魔としてさへ考えがたいような心の冷たい神様なり宇宙の法則なりは、 どうせ、信用できないと思いませんか? つまり、善人だって、いっしょうけんめい生きてる人だっていつ気ままに地獄に落としてしまうかもしれないような冷たさが そこにあったとしたら、    というか、永遠ですよ。 それが事実であるはずがないということなのです。 これだけは はっきり言うべきだし、私は 理論もなにも、 なんであれ主張します。 まして、こんな冷たい物語が 宗教戦争や争いの因になっているなんて、悲しすぎます。 馬鹿みたいな回答となってしまったかもしれませんが、 ジョンレノンの「宗教の無い世界を思い描いてごらん、どんなにすばらしいか」という歌詞の音楽の叫びのほうが、 よほど大事です。 悲しいです。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー 私も思うに。。 仮に神がいれば人々を苦しめるような地獄は存在しない。 仮に神がいなければ、地獄はあるかもしれない。 その地獄は現世のことかもしれないし、神が いようが、いまいが地獄は人間が作り出した 産物かもしれない。 のような感じかもしれませんねー ご回答ありがとうございまsた。

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.6

何が正しく、何が間違っているかと言う判断のことを、価値観と呼んでいますね。その判断は貴方ではなくて、貴方の埋め込まれている文化がやるものなんです。ですから、もし貴方がその価値観に同意できなかったら、貴方はその文化に属していないことになる。その判断とのずれは宗教ばかりではなく、日々の生活や生き様のなかでも感じてしまうことがあります。 私は物理学を生業にしておりますが、物理屋の価値観は数学屋さんや工学屋さんの価値観とは全然違う。そして、物理屋が何が正しいか間違っているかを判断するためには、その文化の中にどっぷり浸かって、その価値観に心底染まってしまわなくてはなりません。 宗教も同じではないでしょうか。あらゆる学問の判断と同じように、もし貴方が正しい宗教や間違っている宗教を見分けたいのなら、貴方の生まれや遭遇などの偶然の成り行きで選んでしまった貴方の宗教の考え方に、どっぷり染まってしまわなくてはならないのだと思います。それ無しに、宗教の価値観を論じることは出来ないと思います。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー あ、そうなのでしょうね。 価値観によるものだとは、少しながら感じていました。 おっしゃるとおりです。 ご回答ありがとうございました。

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  • ecoshopQ
  • ベストアンサー率10% (18/172)
回答No.5

>その誤った宗教というのがいまいち、よくわかりません。 異端ということでしょう。 異端はどの宗教にもあります。初期のキリスト教は やがて異端に悩み、グノーシスの台頭で教会内部の 信者にさえ疑いの目を向けます。このころのキリス ト教は、まさにその「昔読んだ本」に書かれている ようなことを盛んに叫んでいました。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー そうですね。恐らくその異端とされることです。 これは時代により、かわってくるような気もします。 人の価値観が決めるのでしょうかね。 ご回答ありがとうございました。

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noname#140971
noname#140971
回答No.4

Q、宗教の正邪を見分ける基準とは? A、唯一の間違いない基準がありますよ。 それは、教義の正邪を判断する基準などではありません。 宗教の教義とは、そもそも天上の神々と人間との関わりに関するもの。 それらを定義しら教義のどれが正しいかは、これは誰も判りませんよ。 また、神の教えを伝えるものが教義だとしても、その正否は誰も判りません。 第一に、神に会ってインタビューしたもんでのなんでもないので当然。 第二に、神に会ってその正否を確認できる訳でもないでしょう。 また、正しいとか間違っているとかは、そもそも意味のないことですよ。 肝心なのは<信じられる教義であること><信じること>じゃーないですか? だとすれば、宗教の正邪を見分ける基準とは宗教の地上の問題との関わり様。 つまり、<神の名のもとに殺人を犯す宗教は邪教>ということ。 つまり、<神の名のもとに個人崇拝を求める宗教は邪教>ということ。 つまり、<神の名のもとに戦争行為を正当化する宗教は邪教>ということ。 宗教の正邪なんて思想・信条の自由ですから問う必要はサラサラないと思いますよ。 宗教の正邪をその天上に関わる教義・教えで判断するのは宗教の否定に通じること。 宗教の正邪は、ただただ、宗教組織と地上の問題への関わりで判断すればよいと思います。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー ありがとうございます。 つまり~の事はおっしゃるとおりだと思います。 常識的な問題なのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.3

まず本来の宗教は人の心のよりどころでなければなりません これは大前提ですどんなに有名な大きな宗教で有ってもこれを逸脱する宗教は邪教です 本来地獄とか天国自体も人間が考え出したものでホントは誰も分かりません行ったこと無いのですから 前世もこればかりは否定できない面も有りますがこればかりはどうしようもないと思います 最初にも書きいましたがあなたにとって心のよりどころになる宗教でしたらそれでよいのですただそれによって束縛を受けるような宗教も駄目です≪他人に無理やり進めたり輸血を否定して宗教の為に命を落とすなど愚の骨頂です≫ ただどの宗教でも必ず素晴らしい所は有ります

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー あ、そうですね、心のよりどころが感じられなければ 信仰している意味がないように思えます。 確かに、どの宗教も良いところも、悪いところも ありますよね。 ご回答ありがとうございました。

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  • bodyshot
  • ベストアンサー率14% (46/326)
回答No.2

おそらくキリスト教やイスラム教などの本を読まれたのだと思われますが、どの宗派が正しくて、どの宗派が正しくない、という発想自体がチープだと思います 他の宗教は敵だとする宗教が存在しますが、他人を蹴落として自分の地位を高める方法は憎しみの連鎖を発生させるだけですし関心しませんね

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー その本は、何の本だったかはいまいち記憶がないのです。 最後の言葉は同感です。おっしゃるとおりだと思います。 ご回答ありがとうございました。

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  • koko_u_
  • ベストアンサー率18% (459/2509)
回答No.1

>でも、どの宗教が正しく、どの宗教が誤っているか、というのは、 >結構判断が難しいのではないかと思っています。 その本で説かれている宗教以外が「誤った」宗教という意味でしょう。 >では正しい宗教や、誤っている宗教を見分ける基準は、他に >何かありますでしょうか? 自身が信仰している宗教によります。それ以外に「正しい」ことの判断基準はありません。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー あ、なるほど。 信仰している宗教によるということですね。 ご回答ありがとうございました。

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