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マルクスの宗教批判について

JesusLovesMeの回答

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回答No.3

マルクスには詳しくないので,そのようなことを言ったかどうかは知りませんが, はっきりと言えるのは,正論ではないということです。 私は,キリスト教のプロテスタントに属していますが,正しいと思っていますし, みなさんもご存じのイエス・キリストを信じています。まだクリスチャンではない ので,心からというわけにはいきませんが,信じれば救われると思っています。 寂しいときなどに聖書のみことばを読むと涙が出てきます。 それに,私達が信じている神には,不可能なことはありません。 段々混乱してきたので,最後に聖書のみことばをいくつか書いておきます。 別に布教活動ではないので,読む読まないは,自由です。気が向いたらどうぞ。 ☆主はあなたを見放さず,あなたを見捨てない。申命記31:6 ☆子どものように神の国を受け入れる者でなければ,決してそこに,はいることは できません。マルコ10:15 ☆わたしは,世の光です。わたしに従う者は,決してやみの中を歩むことがなく,  いのちの光を持つのです。ヨハネ8:12 ☆神は真実な方ですから,あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせ るようなことはなさいません。1コリント10:13 ☆すべて,疲れた人,重荷を負っている人は,わたしのところに来なさい。わたし があなたがたを休ませてあげます。 あぁ,やっぱり聖書は勉強しとくべきだった……と思い知らされる今日この頃です。

zyaba
質問者

お礼

皆さんご返答ありがとうございました!思想や哲学について語ることは面白いですね。 「良い言葉」というものはあまた在りますが、それが宗教という区切りであれ何であれ、勇気づけられ、明日を生きる指針・力になればそれで良いと思います。 しかし、「組織」を持つということは、力を持つということですから、その力を氾濫させない為、甘いことは言っていられませんね。 最近思うことは、マルクスは堕落した「組織としての宗教」を批判したのではないかということです。 教えを糧に働く市民。その市民を糧に生きる聖職者。という構図です。

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