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「斉藤茂吉」の短歌について教えてください
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり この短歌の意味が知りたいです。どなたか教えていただけませんか?
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どのあたりが理解しにくいのでしょう。 「たまきはる」の言葉にひっかかりを感じるのでしょうか。 「たまきはる」は辞書で調べると「魂きはる」という枕詞で、このばあい「命」にかかっていきます。 ですからこの枕詞をいったん度外しして読んでいけば、わかりやすくなりませんか。 「あかあかと一本の道」イコール「我が命」であるということになりますね。 この「あかかと」は情熱、苦悩、生命力であっても、後に書きますゴッホの太陽であっても 最初にこの短歌を読んだときの印象でいいのではないかと思います。 というのも読んでいくうちに「あかあか」が「一本の道」と「我が命」のどちらも形容しているように 思えるからです。直接的には「一本の道」に、間接的には「我が命」へと。 このように、分解して読んでいくと、学校の授業のようでなにか味気ない。 もともと短歌の前身である和歌は前節の五七五で事象を(風景など)を詠み、後節の七七で 心象を詠んでいるものが多いです。(のちに前節の五七五が独立して俳諧、俳句へとなっていく訳ですが) この短歌のばあい前節の「あかあかと一本の道とおりたり」の部分をひとつの風景として考え、 この風景を眺めてるうちに、自分の人生(命)と似通っている、あるいは、こうした人生(命)でありたいとの 願望も秘めて、後節で「たまきはる我が命なりけり」と心の内側を詠んだと考えてはどうでしょうか。 あとは付けたしですが、 最近読んだ、木田 元著「猿飛佐助からハイデガーへ」のなかでこの短歌が偶然紹介されていました。 芥川龍之介が連作評論「僻見」のなかでこの短歌を評論していて、著者がこれを読んで斎藤茂吉に はまってしまったと書いてあるのですが、ちょっとそこの部分だけ紹介しますと、 ーーーー 斎藤茂吉を教えてもらったのも、芥川の連作評論「僻見」からである。 その冒頭の一編『斎藤茂吉」で芥川は、 あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり 野のなかにかがやきて一本の道は見ゆここに命をおとしかねつも という連作を引いた上で、こんなふうに言う。 「ゴッホの太陽は幾たびか日本の画家のカンヴァスを照らした。しかし「一本道」の連作ほど、 沈痛なる風景を照らしたことは必ずしも度たびは無かったであろう。」 ーーーー 「猿飛佐助からハイデガーへ」木田 元著 岩波書店 連作の、他の二つの歌を見比べてみても、やはり作者の 同じような生活への心意気が感じられるのではないでしょうか。 参考になれば幸いです。
お礼
丁寧な回答をいただきましてありがとうございます。 中学の授業で短歌の学習をし、斉藤茂吉に興味を持って夏休みの課題としている娘の母です。 授業では、短歌の内容を調べるというところまでは学習したようですが、YellowDogさんのおっしゃっているようにそこまでしか学習していなかったため、茂吉の短歌の意味をいくつか調べても自分なりの解釈を付け加えたりすることができなかったようです。 娘はYellowDogさんの回答をとても喜んで読んでいました。 本当にありがとうございました。