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インドの仏教僧について

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.5

 私が書くことが足らなかったのか、ちょっと誤解があるようなので、少しだけ。 >>高貴な女性と男性奴隷の間の子といえば、確かアウトカーストの中でも、最も忌むべきとされる出自ですよね。その最下層の身分の人にあえて「知力、記憶力に乏しい、自分の名前さえ覚えられない」という蔑んだ設定を与え、さらに愚直に「塵や垢を磨く」ことで悟りの希望を与えています。この「塵や垢を磨く」とはアウトカーストに課せられた賎民用の職業の暗喩ではないでしょうか?  これに関しては、お兄さんは反対に、超優秀な頭脳明晰な人に描かれていますから、アウトカーストであるから知力、記憶力に乏しい、自分の名前さえ覚えられないという設定にしたのではないと思いますよ。実話が元になっていることを考慮に入れましても、聡明なお兄さんとの対比の強調といえるでしょうね。  そして、「塵や垢を除け」というのは仏教を志すものは誰もが持ち続けなければならないものです。このような言葉を口に出しながら修行を行うということのほかの例としては「六根清浄」という言葉があります。意味としては「六根よ清くなれ」という意味の言葉ですから「塵や垢を除け」と同じです。仏教では煩悩を「塵」や「垢」と表現することがたぶんにあります。この「六根清浄」は現在日本でも使われる「どっこいしょ」の語源であるとされています。  ほかにことは忘れても、この大切な一文句だけは忘れなかったからこそ周利槃特さんは悟りを開き、お釈迦様は多くの聴衆に向かって「悟りを開くということはたくさん知識をつけることではない。周利槃特を見習いなさい。」と述べておられます。 >>高貴な身分の高僧が、華麗に奇跡を起こしたり、病気平癒を行なうのとは、あまりに対照的で、元になった実話があったにせよ、この逸話は低身分層向けのプロパガンダであったのではないかと思えます。  これについては、悟りを開かれた後の周利槃特さんのお話をする必要がありそうですね。周利槃特さんは『雑阿含経』のなかでは、教化のために相手に合わせていろんな姿に変わることができたとされ、悟りを開いた後は大変な神通力をしばしばお見せになります。もう少し例を挙げますと、『四分律』のなかでは、比丘尼(女性の出家者)たちが言われ無き女性差別を受けているのを見て、大神通力をあらわしてその差別している人たちに説法して比丘尼たちを救ったり、『増阿含経』の中には周利槃特さんを慕って褒め称えるものが数多くあり、眷属(付き従う人たち)が阿羅漢の位を持つものだけでも千六百人いたといわれます。そして、持軸山というところに住んで仏法を守護し衆生に仏教の利益を与えているとされています。  このようなことから、周利槃特さんは十大弟子とまでは行きませんが「十六羅漢」に一人に数えられお釈迦様のお弟子の中でもトップクラスに選ばれて、かなり華麗な活躍をするんですよ。  お釈迦様は『法句経』のなかで、 「愚かさを推し量る愚者は、それ故また賢者である。賢者であると慢心を抱く愚者は、それこそ愚者といわれる」 と説かれており、お釈迦様は「愚かさを反省する必要のないほどの賢者」よりも、「自分の愚かさを反省し続けることのできる愚者」になりなさいと説かれるのです。これが仏教者の目指す姿です。周利槃特さんは誰よりもこのことをよく理解していた。だからこそ、女性が差別されていたのを助けたり、自分本位にならずいろんな人に合わせて仏教を教化することができたのではないでしょうか。  少しだけ。といっておきながら長くなってしまいましたね。申し訳ないです。  合掌 南無阿弥陀佛

chongaa
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 よく調べずお礼を書いたので認識不足でした。 先のお礼欄に書きましたほど浅薄なプロパガンダでは無かったみたいですね。 失礼しました。 周利槃特のキャラクター上の最大のポイントは「愚か」という点であって、生まれが卑しいということは「愚か」を印象付ける演出のひとつに過ぎないということですね。 ともあれ、そういう周利槃特や優波離の存在は初期教団のリベラルさの象徴という側面は持っているのでしょうね。 そういう仏教であればこそ、「愚か」はともかく、アウトカースト出身の高僧は(伝説ではなく)いてもよいと思うのですが…。

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