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インドの仏教僧について

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

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回答No.4

 もうすでに一番有名な優波離(うばり)さんのお話が出ていますが、少しだけお話させていただきます。 >>お釈迦さまはじめ、シャーリプトラや龍樹、鳩摩羅什なんかは王族やバラモンといった上流階級出身だということですが、インドの仏教僧の中で、庶民階級以下の出身で有名な人はいるのでしょうか?  もう一つ有名な方のお話としては周利槃特(しゅりはんどく)さんのお話があります。(もうご存知かもしれませんが・・)  この方のお母さんは確かに大富豪だったらしいのですが、その家に仕えていたシュードラの男性との間の子です。  この周利槃特さんにはお兄さんがいてこの方は優秀な方だったのですが、周利槃特さん本人はいつまでったっても仏教の一文句も覚えることができない非常に記憶力・知力に乏しい方だったようです。そこで、周利槃特さんを見かねたお兄さんは、 「お前は修行者には向いてないから、ここから出て自分にあったことをやりなさい。」 と、精舎(お坊さん達が住む所)から追い出してしまいます。周利槃特さんは肩を落として出て行こうとすると、お釈迦様が現われ周利槃特さんに、一本のほうきを渡して、「塵や垢を除け」と唱えながら、掃除をするように勧めます。そう言われると周利槃特さんは来る日も来る日も掃除し続けました。そしてそんなある時、この掃除は心の塵や垢(煩悩)を落とすのと同じだと気づき悟りを開かれたそうです。(靴を磨くバージョンもあります。)  このお話もまた優波離さんのお話と同じように、どのような身分のものであろうと、どのように知恵の無いものであろうと仏教の悟りは開けることをあらわすエピソードだと思います。  ちょっと余談ですが、この周利槃特さんは自分の名前も覚えられないほど知恵の無い方だったそうで、名札を首から下げそれを人に見せて名前を知らせていたそうです。そんな、周利槃特さんが亡くなられた後、そこからある植物が生えてきたそうです。それは、「名前を荷う(名札をを背負っている)」というという意味で「茗荷(ミョウガ)」と名づけられたそうです。だから、「茗荷を食べると忘れっぽくなる」というお話が生まれたんですね。 >>仏教は身分制度から自由だということですから、身分制度の厳しいインドでは抑圧された階級から仏教に身を投じるということも多かったのではないかと思うのですが、そうでもなかったのでしょうか?  そうですね。在家の信者として仏教を信仰した方も数多くあります。お釈迦様がなくなる原因はきのこにあたった説・豚肉にあたった説と二種類ありますが、食あたりだったことは共通しています。  このときお釈迦様は乞食の最中に最下級身分の方からきのこをお布施されます。このときお釈迦様はこれが毒きのこであることは分かっていました。なぜ食べないのか?それは、布施としていただいたものはすべて食べなければならなった。お釈迦様は最下級の身分のものからもらった物であるからといって差別することなく、そのきのこをお食べになったそうです。  そして、御入滅直前には多くの王子様がお釈迦様のお世話をさせてくださいと懇願する中、お釈迦様は最後の世話を最下級身分の遊女に任せるのです。  お釈迦様のこのようなエピソードを探せば、まだあるはずですよ。ご自身でお調べになっても楽しいと思いますよ。  長々書き連ねましたが、急ごしらえのため誤字脱字乱文はどうぞご容赦ください。参考にしていただければ幸いです。  合掌 南無阿弥陀佛

chongaa
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ご紹介頂いたお話は初めてお聞きしました。 正直な感想を書かせて頂きますと、ご紹介頂いた逸話そのものにあまり好感を持てませんでした。 高貴な女性と男性奴隷の間の子といえば、確かアウトカーストの中でも、最も忌むべきとされる出自ですよね。 その最下層の身分の人にあえて「知力、記憶力に乏しい、自分の名前さえ覚えられない」という蔑んだ設定を与え、さらに愚直に「塵や垢を磨く」ことで悟りの希望を与えています。 この「塵や垢を磨く」とはアウトカーストに課せられた賎民用の職業の暗喩ではないでしょうか? 高貴な身分の高僧が、華麗に奇跡を起こしたり、病気平癒を行なうのとは、あまりに対照的で、元になった実話があったにせよ、この逸話は低身分層向けのプロパガンダであったのではないかと思えます。 失礼なお礼で申し訳ありません。

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