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人の業績は 人間そのものですか
1000827313の回答
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brageloneさん 今回もしゃしゃり出てきました。個性とは何かを継ぐものだと仰っておられるので、続きになるのでしょうか。他の方の回答、brageloneさんのコメントに目を通すのが筋とは思いますが、先ずはご質問の解説をお願いしてよいでしょうか? 1)業績:上級役人の関わった法律の数のこと、下級役人の資金の節約量、教授の書いた論文の数などの事ではないですよね? 2)作品:恐らく芸術関係の作品(文学、美術など)と思いますが、その理解でよろしいのですか? 3)魂魄この世に残るのか否か定かではありませんが、形見、墓は残されたものの記憶と解してよろしいですか? 4)個性のところでの私の考えはそのまま踏襲しての考えを望んでおられると思いますが、変更無しで何処まで辿り着けるか試みますか?
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1000827313さん こんばんは。ご投稿をありがとうございます。 そうですね。これまでに ある程度は進展していると思いますが もし 質問趣旨からのご回答 そして その前の補足要求ということでしたら こうお答えしたいと思います。 至極 単純で 形而下のことだけとして 解していただいて けっこうなくらいだと思います。内面のことを伴なうでしょうが 特に そのことを取り立てなくても 済むというほどの問いかけになっています。 《人間そのもの》としたのは 《いまそこにいる人 その存在》を言います。 そこで (1) 業績: これは 職業としてでなくてもよくて 《仕事》と呼ばれることがらすべてを 含むものです。 (2) 作品: ひとつのまとまった単位体として捉えられる仕事を言います。 (3) 形見・墓: これらは きわめて 即物的に言っています。そのほかに 《思い出》をも出していますので そういうことになります。 (4) いえ それは 1000827313さんの自由意志にもとづくということで お願いしたいと思います。また 多少は この質問に関連するところなどをも ふくらませて 披露していただいて かまわないとわたしは 思うのですが。 要するに 人にまとわりついているものすべてを 取り払っても いいのではないか? それが 人間そのものとして 認められるのではないか? というように 今回は すでに 質問者の思惑が ある程度出ております。基軸としては これをめぐって ご見解をおしえてくださいませ。