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江戸時代にオリジンのような量り売りのお惣菜屋はあった?
江戸時代にオリジン弁当のような量り売りのお惣菜屋はあったんでしょうか? よく天秤で食材を売って歩く職種は聞きますが、「持ち帰り用のいろいろな種類の惣菜を売ってる店舗」はあまり聞いた事がありません。料理屋や煮売酒屋とはまた別のもので、こうした一人暮らし向けにいろんなおかずを売るような店があったのなら教えてください。
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ありましたよ。むしろ、居酒屋などの出現よりも早いくらいです。 というのは、江戸というのは新興都市ですから、独身男性の比率が高かった。今でもそうですが、独身の男性は晩飯時にお惣菜を買って、自宅で飯を炊いて食うことが普通にありますよね。ですから、江戸初期から需要は多かったのです。 惣菜を売る店は「煮売り家」「四文屋」と呼ばれていました。行商(ぼてふり)するもの、人の大勢寄るところで売る「辻売り」と呼ばれるもの、場所を動かず店を構えてやるものの三通りの売り方があったそうです。 例えば井原西鶴の「西鶴置土産」には総菜屋として奈良茶という店(1650年代です)が出ていますが、これがどうも惣菜販売の固定店舗の始まりのようです。 実際に売られていた惣菜ですが、一番一般的だったのは煮豆です。豆は大豆ですから、原材料費は安いのですが、煮るのに手間がかかるので(特に独身男性が)自宅ではやれない。一方、売る側からすれば辛く味付けをするので、腐りにくいし、火を入れれば次の日も味が変わらない。つまり惣菜屋が売るのに向いている惣菜だったわけです。その他の惣菜としては、佃煮・野菜の煮しめ・魚のあら煮などがあったようです。いずれも、日持ちがする食品ですよね。 具体的な売り方ですが、「四文屋」という名前の通り、一人前を四文で売っていたようで、現在の量り売りとはちょっと違っているようです。 >オリジン弁当のような量り売りのお惣菜屋 今のように、色々な種類の惣菜を一つの店で扱うような惣菜専門店は江戸時代にはありません。もちろん、同じ煮豆や佃煮、煮しめでも種類や味付けが違う、煮豆と田楽を扱うという程度の種類の違いはあったようですが、「ぼてふり」や辻売りでは、そもそも運ぶ・作るに限界がありましたから。 一方、固定店舗の方は、たくさんの種類を出すこともできるのですが、そちらは、惣菜屋(惣菜の持ち帰り店)から居酒屋(その場で食わせる、ついでに酒も出す)・料理屋に変化していきました。先ほど紹介した奈良茶という店も、実際には店の中で茶飯に豆腐汁、煮しめ、煮豆などを食わせていたようです。
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- kishn_an
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守貞漫稿生業上には菜屋(さいや)という商売がのっています、 煮しめを大丼鉢に盛って店先に並べて売っていたそうです。 江戸諸処往々これあり とありますからどこにでもある一般的な店だったようです、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E8%B2%9E%E8%AC%BE%E7%A8%BF でも独り者って外食だったんじゃないかって気がします。今と違って電気がある訳じゃ無し、飯を炊くだけでも火を熾さなくっちゃいけないわけですし。一人口は食えなくても二人口なら食える という諺は言い得て妙です。
お礼
守貞漫稿は持っていたのですが見落としていました。早速調べてみるとありました!ありがとうございます!7
お礼
助かりました。惣菜屋の起源からご説明いただいてとても参考になり、またガイドラインとして調べやすくなりました。どうもありがとうございます!7