• 締切済み

新たな聖書写本が見つかる可能性

死海写本のような新たな聖書写本が見つかる可能性 はあるでしょうか。 あるいはエルサレムでイエスが処刑されたときの様子 を見ていた人間が書き残した個人的なものも含めた文 書などはどうでしょうか。

みんなの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.3

>あるいはエルサレムでイエスが処刑されたときの様子を見ていた人間が書き残した個人的なものも含めた文書 ヨセフスだったか、タキトスだったか忘れましたが、遠くに3人が磔刑に処されている光景を見た と書き残してはいるそうです。 ただ、それがイエスたちの磔刑だったと断定はできない。 ヨセフスのユダヤ戦記にイエスについて言及されている箇所があるそうですが、どうやら後世の加筆の疑いが強いそうです。 ヨセフスは、ユダヤの隅々まで詳しく書いていており、ヘロデ王の事に関しては、「これでもか」と書いているそうですが、イエスに関しては、どうやら知らなかったのか、全く書いてない。 タキトスはキリスト教のことに関しては、社会不穏を起こしている集団としてローマ帝国から弾圧されているということは、書いたそうですが、彼らが信じるイエス自身に関しては全く知らなかったみたいです。 当時、ローマ帝国はローマに政治的に反逆したものは、磔刑に処していたそうです。 ピラトはそれまでに派遣されていた統治者同様、強烈な反ユダヤ思想で、ユダヤ人を挑発して煽っていたらしい。 ローマ帝国に反逆する<疑い>のあるものは、裁判無しに処刑していた人物だったらしい。 これが史実らしいです。 となると福音書の内容と史実が違うことになります。 ということは、福音書は創作文学であるという疑いが。 ユダヤ人 というかイスラエル人 というかヘブライ人は、自分の思想を、かつて有名だった人の名前を用い物語を作り、その物語をもって自分の思想を表していたらしいです。 だから、モーセ、ダビデ、ソロモンたちを主人公にした創作文学を作り、自分の思想を訴えていたらしい。 そうやっていくつも作られてしまうと、後の人はどの物語が史実で、どの物語が創作文学なのかわからない。 聖典とするとき、これは後世の人が書いた物語じゃなく史実じゃないかな と思うものを選んで聖典にしたらしいです。 が、神に関することが書いてある物語は、例え疑いがあっても燃やしてはならない としていたので、外典として残したのだそうです。 キリスト教は沢山の勢力があり、自分達こそが全キリスト教の主導権を握るのだとして、ドッグレースしていたようです。 主導権を握れば、多くの信者のトップにたて、彼らから収入の10%を納税(いわゆう所得税)させれば、巨額の富を得られるので、是が非でも主導権を握りたいとして、熾烈な争いをしていたようです。 後に聖職者のなった場合、全財産を教会に納めること とし、結婚できないようにして、金持ちの遺産を全部横取りする政策をしたようです。 こういうお徳さがあるとわかっていたので、絶対に自分達が主導権を握りたかったわけです。 そのためには、他が邪魔。 他をどうすれば消せるか。 聖書を作ってこれが唯一の真実の物語だ としたんです。 これ以外はニセモノ、異端だ として、他の勢力を弾圧。 聖書を作った人たちの知恵が勝った。 そして修道士たちに、偽典と決定したものを燃やさせた。 ところが、アレキサンドリア教区の修道士は、神に関するものが書いてあるものは、例え疑うがあるとしても、燃やすなんて、、、として、隠した。 その1つが、ナグ・ハマディーだとされます。 イエスに関する内容(福音書)は、200以上あったそうですが、それがたったの4つ、そのうち3つは同じ内容なので、たった2つだけに力技でした人たちの功労の結果が聖書。 今日新約聖書として読まれている書物は、特定の人に操作されて、真実だとされたにすぎず、真実かといえば、誰もそれが真実なのかどうか、わからないわけですね。 誰も真実かどうかわからないが、史実であると信じることこそ、信仰なわけです。 信じるということは、すごいもので、この宇宙は6千年前に神様がお作りになったと信じられるものが<信者>なわけで、日本から1万年以上前の白骨が出てきたとしても、「それは 絶対に あ り え な い 測定器が間違えている。 宇宙の誕生より日本の方が古いなんてありえない」 なわけです。 さて、時間は一方的に過去から未来に流れていて、逆は無い。 が、自由に行き来できる世界。それが創作文学・小説です。 フィクションの世界で人は自由に時間を行き来できます。 アーヴィング ウォーレスという人は、脚本家だそうです。 その彼がイエスに関しての小説を書いた。 その物語は、イエスの実弟ヤコブが残した書物が見つかり、イエスが実在したという証拠となり、世の中の人は「やはりイエスは実在の人物だったのだ」と安堵した という内容です。 年代測定機にかけても、福音書の写本が書かれた頃と同じ。 (か それより古かったかな?) インクも紙も年代がドンピシャ。 字体もその当時のアラム語だと専門家により断定された。 まさしく真実の大発見。 ヤコブの福音書の出現で、家庭不和だった家庭が、仲を取り戻し、犯罪を犯した人が改心し自白し、世の中が幸福感に包まれる人々で満たされた。 実はニセモノ。 2000年前に書かれたものじゃなく20世紀に書かれたもの。 できるんですね。 測定器を誤魔化したのではなく、古代の書物の白紙の部分を拝借して、それに書いた。 そのニセモノを書いた人はアラム語の第一人者よりも、古代アラム語に精通していた。 本人が「自分が書いた」と真実を告白しなければ、どんな専門家すら騙して信じ込ませることができる。 どうしてその人が、そんな大それたこをとしでかしたのか というと、キリスト教にさんざん利用されたあげく、捨てられたから。 生きたまま地獄の苦しみを味合わされたから。 キリスト教に対する復習なわけです。 真実かどうかも見分けることができないのに、人々に真実だとふんぞりかえっていばって言えるあつかましさ、ずーずーし、馬鹿さ加減を世に知らしめ、一番愚かな者がリーダーになって弱者から搾取して、のーのーと暮らしていることを告発するため。 で、キリスト教団のトップあたりの人に、主人公は「それはニセモノだ ニセモノであるという証拠を私は持っている」と連絡したのです。 ニセモノだという証拠をもっています、 あやうく犯人の罠にはまって騙され恥をかくところでしたね。 と。 が、やられました。 ニセモノである証拠をその聖職者に奪われ、世界的に放送で「ついにイエスが実在していたと証明されました、ヤコブの福音書が見つかりました」となった。 もうニセモノだと示す証拠も聖職者に取られたので、何もできない。 聖職者はニセモノであるとわかっていながら、自分のために利用したわけです。 そして人々は現代に書かれたニセモノの福音書を、真実の書物だと思い込まされ、幸福感に浸る。 主人公は考えたんですね。 例え、それがニセモノであっても、そのニセモノを、そのことによって人々が幸福感に浸れるのなら、それはそれでいいのではないか と。 元々彼はキリスト教など微塵も信仰しておらず、牧師の父親とも仲が悪かったのですが、父親が死ぬ前に「私の苦労がヤコブの福音書の出現で実を魅すんだ。イエスの実在性を少しは疑っていたが、信じたいという気持ちを持ち続けたという努力が、とうとう実を結んだ。息子よ 私が正しかっただろう」みたいなことを言う。 息子は父親が真実だと思っているものは、ニセモノだと知っていた。 でも、言えなかった。 「そうですね お父さんは正しかった」と言った。 父親が亡くなった後、墓石で激しく泣いた。 身を滅ぼす麻薬(偽物の物質で、それによっても人は快楽を感じることができる)で人々が幸福感を得られるのなら、それでいいのか。 そして決心をした。 まるでゴリアテに向かう小さいダビデのように、巨人と戦うことを決意したんです。 巨人は倒せないかもしれない。 でも、それでも真実を知らない人々に真実を伝え、それで、人々にジャッジしてもらい、それでも麻薬を欲するのなら、それはそれでいい。 が、麻薬だと知り、摂取をやめて、身に応じた暮らしをする選択肢も与えようと。 片方の情報だけだと、自由意志が働いていないで、選択の余地のない奴隷人生でしかないわけです。 人は他の人の奴隷であってはならない。 人が人を支配するなんてあってはならない。 人を支配下に置くために、洗脳して自分の思い通りのなるように操って至福を肥やす悪代官の支配する世界であってはならない。 はぁはぁ 作家の言いたいことってそんなところかなぁ と想像しました。 神が支配する世界の実現のようで、実は神のかぶりものをした人間によって他の人間が支配され奴隷になっている詐欺世界。 人が神になり、他の人を奴隷として使う そんな偽物の世界などいらない。 イエスにまつわる話は多くあり、どれが出ても、偽典として処理されると思いますが、聖典となっているもの書物自体 すなわち現代において福音書として読まれているこの書物自体 ニ セ モ ノ の疑いが濃厚。 ニセモノであろうと関係ない それによって人を支配できるのなら、便利がグッズ それが聖書。 新約聖書で奇跡とされているものは、恐らく翻訳ミスで、奇跡物語になってしまったのだと思います。 元に意味に戻せば、なんてことないユダヤ教の教えにほかならない。 ただの水を癌が治ると偽って売る行為は詐欺。 現存する最古の神話。 旧ニネヴェから発掘された楔形文字で書かれた粘土板。 死海写本より古い時代に書かれています。 その物語の伝承を受けついたものが、旧約聖書にそれを入れたわけですよね。 旧約の時代を生きた人は、ニネヴェで発掘された物語の思想をもっており、それで自分達の信仰を確立していったわけですよね。 楔方文字の神話にはアダムとエヴァは登場しないが、人間がどうして作られたのかは書かれており、人間が神にどうして服従しなければならないのかの理由が書かれている。 さらに人間が神をしのぐ活動をし、だんだん神を超える存在になりつつあったことも書かれている。 そしてこのままではいかんと洪水により人間を滅ぼしたということも楔形文字の神話に書かれている。 いつだっけ? これが見つかったのは??? 発見は死海写本よりもっと古かったと思います。 というわけで、まだまだ見つかる可能性はあり、エルサレムの黄金の門。 ここも怪しいです。 が、アンタッチャブルな領域なので、誰も調べることはできない。 逆にアンタチャブルな場所なので、隠すのに都合が良い場所なわけです。 どうしましょう、 ここ調べたら、いろんなもんが出てきたら。笑 一番怪しいのはヴァチカンの図書館とかネクロポリス。 隠蔽するのに一番安全な場所。

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.2

無いとは言い切れませんね。 得てして、そうした歴史史料というのは偶然見つかることが多いですしね。 例えば、死海写本も地元の羊飼いの青年がたまたま見つけたのが始まりですしね。 聖書に限らなければ、こうした例は枚挙にいとまがないです。 EX:「秦の始皇帝霊廟、地元の農民発見」「古代エジプトのアマルナ文書が現地の農民によって発見」「印刷業者の男が、新たに購入した家の地下室からトスカーナ大公妃ビアンカ・カペッロの手記発見(ただし、後の分析で偽モノと判明)」etc,,, こうした例からも分るとおり、発見される可能性は捨てきれません。 ただ、世界中の聖書研究者やキリスト教史研究者が血眼になって探してもなかなか見つかりません。 見つかっても、偽書であることが殆どです。 なんで、見つかる可能性は否定できませんが、いつになるかは分らないのが本当のところですね。 それよりも、今ある貴重な史料を分析する方が研究の近道ではあります。 しかし、dongri5656さんが指摘されている通り「実際は学者や仲介業者連中のどろどろした金銭問題」を解決する必要がありますね。 特に、素人の好事家の場合、保存方法が悪く痛みが激しい事が多々あります。 歴史学の世界の一番の課題でしょうね。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.1

あるでしょうね。 近年においても、「ユダの福音書」や「トマス福音書」などがみつかっています。 ただし、それらは正典とされる事はありません。 外典(聖書を補完する資料)か為典(聖書の内容と異なる資料)とされるでしょう。

dongri5656
質問者

お礼

どうもです。 私の知る限りでは、「ユダの福音書」や「トマス福音書」などが みつかったのは近年とはいえないと思います。「ユダの福音書」は ここ数年のあいだに注目されましたが実際は学者や仲介業者連中の どろどろした金銭問題で、後半の運命だけでもたしか20年くらい 貸金庫に眠っていたはずです。かなり痛んでしまったらしく現翻訳 もがっかりするようなところがあります。 「トマス」に至っては第二次大戦前くらいですよね。しかしこれも 長く秘匿されつづけました。 今もどこかで、決定的な文書を隠し持っている人間がいるのかもしれ ません。

関連するQ&A

  • 死海写本に付いて教えて!!

    エルサレムで発見された死海写本に、ついてどんな事が、書かれ居てるのか教えて下さい。また、核戦争でも、破壊されない強靭につくられているそうですが・・出来ましたら詳しくお願いします。

  • 死海写本の戦いの書について

    死海写本の「戦いの書」は民数記21:14の「主の戦いの書」と同一ですか?

  • 赦しこそ聖書である。その2

    http://okwave.jp/qa/q7053741.html 上記質問の後を継ぎます。 前回は題材が見つかって一人で思索する時間を必要としたので早めに締めました。 回答を検討された方には失礼だったかもしれません。 でも謝りません。 さて。 聖書の物語とは、神に懇願し神の降臨が待望された、一部の部族社会で、神が使わした待望の救世主が現れる。その救世主はいかにもっともらしく振舞ったが、結果的に何一つなさないまま彼に取りすがった人々の眼前で処刑されてします。 このような背骨の元、もう救世主はこないとか、または再臨するとか、見捨てられたこの世界は審判の日を迎え滅亡するとか、そんな事も書かれています。 よって聖書は真摯に神を考察していると言う、彼らの信仰を尊重しても神についての噂話を書いた童話です。 私は特にキリスト教徒では無く、アマテラスさんと愛し合っています。信仰の在り方についてこの故事には考察するのみですが、誰かの願いをかなえようと意図したからこそ処刑されたともとれるイエスさんの生きざまについては、そのようにイエスさんなる人物が歴史上、何らかの形で存在したと認めるだけで、聖書から学ぶ正しい信仰の(聖書なりの)理想を理解できます。 聖書から学ぶその信仰姿勢では、神からの赦しと言うのが重要ではないかと考えたため、その点に関して思索の材料募集です。 私は自分こそは一番であり最高だと思ってますから、ぶしつけにも対話に発展しないで途中で締めるかもしれません。実際に前回もそうしておりますが、できるだけ、それなりの結論を導くまでは、次にもつなげたいと思いますのでよろしくお願いします。 それからサル踊り品評会は余興とわきまえているなら阻む事はありません。

  • 聖書について

    テストでこのような問題が出るのですが、全くわかりません。 だれか分かる方教えていただけないでしょうか?? (1)ユダヤ教のメシア思想とキリスト教の「キリスト」理解の関係について。(「メシア」、「キリスト」の語義についても触れる) (2)新訳聖書の「福音書」について。(特に、「共観福音書」相互の文献学的関係がわかるように) (3)「ナザレのイエス」の生涯について。(歴史的イエス研究の立場から) (4)キリスト教の信仰対象としての「イエス・キリスト」について。 (5)キリスト教がイエスの十字架上での死の意味をどう理解したかを中心に、キリスト教の「贖罪論」について。 (6)エルサレム初代教会と、協会指導者としてのぺトロについて。(ぺトロについては、後のローマ・カトリック協会との関係についても触れる) (7)パウロの生涯、思想について。(パウロの思想の中心と言われる「信仰義認論」の内容が具体的に分かるように) (8)「ヨハネ黙示録」とキリスト教の終末論について。(「ヨハネ黙示録」の歴史的背景や精神的源泉についても触れる)

  • 「ユダの福音書」で、どうしてイエスは捕まったの

    「ユダの福音書」の写本が発見されて、 いろいろと本も出版されているようですが、 この中で、ユダがイエスを裏切ったのでなければ、 どのような経緯でイエスはつかまり、処刑されたと されているのでしょうか? http://www.nikkeibp.co.jp/news/life06q2/501112/ よろしくお願いします。

  • 「誰も教えてくれない聖書の読み方」について

    「誰も教えてくれない聖書の読み方」ケン・スミス著、山形浩生訳、晶文社 と言う本についてですが、この本をお読みになった方はいらっしゃいますか?もしイエスならば、読後どの様な感想をお持ちになりましたか?僕がこの本を読んだ時は「そりゃ~何の予備知識も持たない人間がイキナリ聖書を読んでしまうとこうなるわなぁ~」と感じました。因みに僕はクリスチャン(カトリック)です。この本をお読みになった他の方々はどの様な読後の感想をお持ちなのか知りたくてこのメールを打った次第です。クリスチャンでもクリスチャンで無くても、この本はある意味考えさせられる本です。どうか宜しくお願いします。

  • 聖書の宿題について教えてください。

    聖書について教えてください イエスのアンチテーゼ、ヨハネによ る福音書7章53節、マタイによる 福音書20章1~15節について 、学校の宿題の答えがわからないのでわかる方は教えてください。 (問1)「姦淫の女とイエス」の物 語で、R.ブルトマンが語った言葉の意 味を物語に即して81~105字で 述べなさい。 (問2)イエスのアンチテーゼは、 (1)何に対する反対命題なのか、 (2)特にマタイ5章21-22節およ び27ー28節は、何を聴衆に問い かけようとしたのか81~105文 字で述べなさい (問3)「ぶどう園の日雇い労働者 の譬え話」は、 (1)一見したところ、なぜ不公平な話 のように読めてしまうのか、41~ 60字以内で述べなさい (2)イエスが、この譬え話を通して語 ろうとしたことは何だったのか、4 1~60字以内で述べなさい (問4)「神の無条件の赦し」の学 び(批判と交わり、山上の説教、放 蕩息子、姦淫の女とイエス、ぶどう 園の日雇い労働者の譬え話)から、 (1)イエスの人間論(人間の捉え方) を41~60字以内で述べなさい (2)イエスの神論(神の捉え方)を4 1から60字で述べなさい 問題を写しただけですみません。 わかるところだけでもいいので回答おねがいします。

  • 聖書の宿題について教えてください

    聖書について教えてください イエスのアンチテーゼ、ヨハネによ る福音書7章53節、マタイによる 福音書20章1~15節について 、学校の宿題の答えがわからないのでわかる方は教えてください。 (問1)「姦淫の女とイエス」の物 語で、R.ブルトマンが語った言葉の意 味を物語に即して81~105字で 述べなさい。 (問2)イエスのアンチテーゼは、 (1)何に対する反対命題なのか、 (2)特にマタイ5章21-22節およ び27ー28節は、何を聴衆に問い かけようとしたのか81~105文 字で述べなさい (問3)「ぶどう園の日雇い労働者 の譬え話」は、 (1)一見したところ、なぜ不公平な話 のように読めてしまうのか、41~ 60字以内で述べなさい (2)イエスが、この譬え話を通して語 ろうとしたことは何だったのか、4 1~60字以内で述べなさい (問4)「神の無条件の赦し」の学 び(批判と交わり、山上の説教、放 蕩息子、姦淫の女とイエス、ぶどう 園の日雇い労働者の譬え話)から、 (1)イエスの人間論(人間の捉え方) を41~60字以内で述べなさい (2)イエスの神論(神の捉え方)を4 1から60字で述べなさい 問題を写しただけですみません。 わかるところだけでもいいので回答おねがいします。

  • 西洋哲学と聖書の関係

    聖書は神の著作物であるとされます。それゆえなのか、内容は大変に深いものがあります。その深さに気づけばいいのですが、多くの人は浅い理解のままで、「これが聖書だ!」と決めつけて しまっているように思います。私は、西洋哲学・神秘学の多くが聖書の部分解釈の結果であるように感じています。 例をあげましょう。 ニーチェの超人哲学ですが、多くのクリスチャンが彼の超人思想を、反キリスト的だと見做しますし、彼個人も「神は死んだ」と叫んでいます。 私は、彼の超人思想も聖書思想の断片だと思っています。新約聖書を読みますと、イエスの弟子が沢山登場します。例えば聖ヨハネですが、彼はイエス様に出会う前までは漁師である父の手伝いをしていた、ごく普通の人ではなかったかと思われます。そんな彼がイエス様に見い出され、人間が変わった。彼は後に「ヨハネによる福音書」を書いていますが、この福音書はとてつもなく霊的に深い書物です。聖霊の導きがあったとはいえ、このような書物を書く人は、私にはとても凡人だとは思えません。まさに超人だと思います。 新約聖書では、弟子たちのとてつもない変貌(「超人化」あるいは「キリスト化」だといっていいもの)が、さりげなく語られています。人は超人になることが目的ではないからでしょう。超人になって、神と隣人に奉仕することが目的だからだと思われます。 人は、全能の神由来の「いのちの息」を持っています。その特性は、私の想像ですが、いのちの息とは本来「永遠性・超人性を持ち、愛に満ちた」ものであったと思います。ですから、イエス様によって罪が赦された者は、いのちの息が本来持っている特性を回復するのではないでしょうか。 以上、ニーチェの超人思想と聖書の関係を述べましたが、他の哲学でも聖書の断片的な解釈をしているように思われるものが沢山あります。それを単に批判的に忌避するのではなく、聖書解釈の新視点と見て、聖書を深く知る手掛かりにすることも大切な作業ではないかと思います。

  • 聖書の内容についての質問

    聖書を教典とする宗教で、今日3000を越す宗派があるようなので、 どれがどれか分かりませんが、私が読んだものでは下記が登場しませんでしたので、 どの宗派やどの書物の部分からの引用なのか知りたいのです。 後に書かれた小説などでしょうか? ご存じの方、説明をお願いします。 1.アダムの最初の妻リリス。リリスが蛇に化けてイブをそそのかした。 2.神は天使を送り、アッシリア軍18万5千を滅した。 3.イエスが復活し、サタンとエルサレムの北の古戦場   (ハルマゲドンはこの古戦場の名前の発音が変化したものと聞きました)で対決する。