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聖書の内容についての質問

聖書を教典とする宗教で、今日3000を越す宗派があるようなので、 どれがどれか分かりませんが、私が読んだものでは下記が登場しませんでしたので、 どの宗派やどの書物の部分からの引用なのか知りたいのです。 後に書かれた小説などでしょうか? ご存じの方、説明をお願いします。 1.アダムの最初の妻リリス。リリスが蛇に化けてイブをそそのかした。 2.神は天使を送り、アッシリア軍18万5千を滅した。 3.イエスが復活し、サタンとエルサレムの北の古戦場   (ハルマゲドンはこの古戦場の名前の発音が変化したものと聞きました)で対決する。

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  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8861)
回答No.1

1.アダムの最初の妻リリス。リリスが蛇に化けてイブをそそのかした。 アダムの妻は聖書ではエバ(イブ)だけです。 リリスは一部の旧約聖書偽典(聖書を装ったフイクション、トンデモ小説みたいなもの) に登場する架空のキャラクター ※エバンゲリオンにも引用されてましたが、真実性も エバンゲリオンや(エバンゲリオンでの死海文書)と同じぐらい\(^^;)...マァマァ 現実では、サタン自ら蛇に入って誘惑してますね。 2.神は天使を送り、アッシリア軍18万5千を滅した。 旧約聖書イザヤ書37章36節 に記されている史実 「主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。 人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。」 3.イエスが復活し、サタンとエルサレムの北の古戦場   (ハルマゲドンはこの古戦場の名前の発音が変化したものと聞きました)で対決する。 旧約聖書 列王記下23章29節 「 彼の時代に、エジプトの王パロ・ネコが、アッシリヤの王のもとに行こうとユーフラテス川のほうに上って来た。そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、パロ・ネコは彼を見つけてメギドで殺した」 新約聖書 ヨハネの黙示録16章16節 「 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。」 メギドは古代では、交通の要衝の都市で、幾たびか戦いがありました。 ハルマゲドンとは「メギドの丘」という意味です (訳文は新改訳より引用)

tax_sos
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 1.について リリスが出てくるのは何という文献(小説)なんでしょうか? また、サタンが蛇になるのはミルトンの「失楽園」ではないですか? 私が読んだ聖書には蛇は出てきますが、悪魔やサタンは出てきませんし、 そもそも悪魔が出てくるのは新約聖書からではないですか? キリスト教以降、失楽園やらダンテの「神曲」やら悪魔悪魔してくる感じがします。 余談ですが、天使の名前には○○エルと最後にエルが付くのが多いというか、 付くんだと思いますが、ルシファーやサタンなど堕天使は付かないのはなぜでしょう。 2.について > 旧約聖書イザヤ書37章36節 に記されている史実 「主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。 人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。」 このくだりですが、史実とは言い切れないと思います。 史実ならば、一夜で全滅した程度のことで、主の使いが出てくる辺りが旧約聖書らしくないと思います。 3.について ヨハネの黙示録ですよね。 ただの預言とも文学ともローマ帝国からの迫害からくる妄想とも取れるのですが。 旧・新といる聖書ですが、 キリスト教徒からすると新旧別れますが、ユダヤ教徒からすると聖書とは旧約聖書ただ一つで有り、 旧約はつけないと聞きます。 いろいろと歴史と共に広がっていて分からないことだらけです。 ともかく、ありがとうございました。

tax_sos
質問者

補足

1.についてWIKIにありましたので、とりあえず現状これを信じることにしますので 1.については解決しました。 WIKIより引用 > 『創世記』1章27節のくだり「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女にかたどって創造された」(アダムの肋骨からイヴが誕生する前の節である)は、アダムにはイヴ以前に妻がいたということだ、と信じられることがある。 リリスがアダムの最初の妻であるとした中世の文献は『ベン・シラのアルファベット』(en:The Alphabet of Ben-Sira)で、8世紀から11世紀ごろにかけて執筆された(著者不詳)。 旧約聖書自体が細かく説明をしていないので、リリスがアダムの最初の妻とするのは、 後付けの創作によるものと思われますね。 こうなると、残すところ2.についても後の誰かによる創作の可能性が高いですね。 3.はヨハネの黙示録で預言によるものとして受け止めました。 ありがとうございました。

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