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湾岸戦争
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- negitoro07
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湾岸戦争は、イラクのサダムフセイン政権がクウェート侵攻したためにおこった戦争です。クェートやサウジなどのアラブ君主国だけでは戦えないので、アメリカが事実上主導権を握ってイラクを打ち破りました。 ここでは、イスラム原理主義はあまり介在していないはずです。フセインは世俗主義政権でした。口先でイスラムを叫んでも、同じイスラム教の国を侵略したのです。 むしろ、関連があるのは、イスラエルの方でしょう。 本来は、イスラエルに対しても、近代化を目指す世俗主義政権のエジプトやシリアが中心になって戦ってきました。パレスチナ解放戦線(PLO)もそうです。 しかし、世俗主義政権や組織では、イスラエルを打ちかませなかったことや、その後エジプトはイスラエルと和平を結んでしまいます。さらにエジプト国内の問題もあります。つまり世俗主義政権が民主的ではなく、事実上軍事政権のようになったり、経済が悪化するなどの理由で、国民の反発もあったのです。 そのため、不満を吸収する形で、イスラム原理主義が台頭して来たのです。 1980年代初頭のイラン革命は、イランの国王がイスラエルと積極的に対決せず、アメリカの同盟者出会ったこともあり、少し事情が違います。しかし、近代化の失敗の反動である点は同じかもしれません。
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