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松井冬子の絵について、あなたは何を感じましたか?
先日、NHKで松井冬子の絵をみて衝撃をうけました。 お恥ずかしい話、 これまで彼女の存在自体を知りませんでした。 彼女の作品に目を奪われて タイトルとその作品の意図を聞いて以来 心が落ち着きません。 あの作品に そしてまた、彼女自身について 感想をお持ちの方がいらっしゃったら 是非お聞かせ頂けましたら幸いです。
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こんにちはmomoshippoです。 まずまた訂正…×顔彩→○岩絵具 十月の個展で実物の絵を見ることが出来そうなので、 ようやく落ち着いてきた今日この頃です。 私は自分が松井冬子さんの絵にとても惹かれつつ、 同じように感じる方々が数いることにちょっと驚いてもいました。 でも0oichicoo0さんのようなご意見が多数派なのかもしれませんね。 もっと否定的な見方もあるだろうし…。 描かれている対象は衝撃的で、 そこに(どうしても)美貌の彼女の気配が重なり、 暗く静かな画面から、強い情念を感じます。 なぜこんなに痛々しい絵に惹きつけられるのか… 私の場合 過去にDVを受けていた時期があり、 いまだに夢にうなされることがあります。 もう十数年も昔のことなのに。 その夢の中では私は加虐者で(でも心理状態は当時のまま 怯えて畏縮し、声をあげることも出来ない) 力を振り絞って斧のようなものを相手に振り下ろすのですが、 相手はゾンビのように何度も起き上がり追ってくる… “攻撃性には螺旋があって/暴力を受けた人は必ず暴力をする/ 例えば、私が暴力を受けたとすると「浄相の持続」のような 暴力性として現れる/循環のうちのひとつ” と美術手帖のインタビューにありました。 -暴力の循環- 私の見る夢も、暴力の循環なのかもしれません。 「腑分図;左鼓膜」「腑分図;第七頸骨」からは、 人体が傷付けられたときに修復しようとする本能の力を感じます。 他者からの暴力で傷付けられた場合、 その力には凄い怒りのようなものを伴っているように思うのです。 時を経てその暴力を許したとしても、 身体はそれを憶えていて、忘れない。 彼女の絵を見るとき、 ずっと自分に付き纏う 負の感覚に似たものを感じます。 同調し、共鳴し、 そうして 痛みが中和される… 絵の中の女性や動物や花たちが、 吸い取ってくれるように感じるのです。 体中の痣は消えても、刻まれた記憶は消えない。 私の中で繰り返される暴力の循環。 逃れられないけれど、もう過去のこととして、 一生かかえていく覚悟をしていたところへ 彼女の絵は、私にとって思わぬ救いとなりました。 ETV特集のなかで「世界中の子と友達になれる」という絵について、 上野千鶴子さんは 「世界中の子が私と同じような不幸に感染しますように」 と感じたとおっしゃっていましたね。 彼女は肯定も否定もしていませんでした。 傷を負っても精神力で克服できてしまう健全な人たちに対して、 “早く忘れてしまいなさい”と言い放てる無神経な人たちに対して、 あるいは加虐を続けようとする人たちに対して、 絵を通して 同じ苦しみを味あわせてみたいという気持ちが 彼女の中になくはないかもしれない(たぶんあると思う)。 でも“この絵が見る人の厄除けになるといい”という彼女の思いも 確かに強くあると思う。 傷をかかえた人が もうそれ以上傷つかなくていいように、 という祈りのようなものを 私は感じます。 「世界中の子と友達になれる」という言葉について “幼い頃に本気で信じた狂気的発言”と彼女は言っていましたが、 言語を介さない絵画という手段をもった今、 あながち“狂気的”でもない気がします。 彼女の絵に何かしら感じ取る人は、確実に世界中にいると思います。
お礼
momosippoさんの回答を聞くために これまで待っていたような気がします。 自分の中でずっと漂っていた気持ちを こんなにきれいに書いてくださって ありがとうございます。 安心してこの質問を閉じさせて頂く事が出きます。 「傷をかかえた人が もうそれ以上傷つかなくていいように、 という祈りのようなものを 私は感じます」 momosippoさんのいうまさにそれが 松井冬子さんのテーマかな、と。 相通じるものを感じました。 momosippoさんもどうぞ くれぐれもご自身をお大切になさってください。 そして 暴力の循環-がどこかで断ち切られますように。 再度のご意見、本当にありがとうございました。