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申し訳ありませんが、私は否定論です。 アレハンドロ・アメナーバルは21世紀のヒッチコックというより、ジョン・カーペンターというべきだろう。いかにもという感じのおどろおどろしい音楽を自分でつけて、悦に入っているところなどそっくりである。品位のない表現はないが、いきなりびっくりさせる表現が多過ぎる。これはヒッチ的とは程遠い。そして、これもまた、実は主人公は死者だった映画の一種である。今作が駄目なところは、この家族が死者であることの伏線が全くないことである。これでは、サスペンスとしては失格だ。母親の育児ノイローゼといった現代的な問題や宗教的な要素が入り込んではいるものの、そこに深みはなく、単純なサスペンス映画としか思えないので、尚更である。母親が自分たちは死者であると自覚した時に初めて、宗教とか教育といったしがらみから解放されて謙虚になるという結論の付け方も、生きることを放棄した考えとしか思えず、絶望の映画という印象を持つ。
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- fuchikoma
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私は好意的な印象を持ちました。 サスペンスというよりホラーと表現したほうが的確だと、私は思います。「何かわからないものへの恐怖」を描いている映画で、それは、主人公の心理やそこから生まれる行動に迫ることによって、十二分に描かれていると思います。 これでもかというぐらいに闇を演出して、主人公の心のひだをあぶりだすと同時に、銀幕に映し出される映像的な闇も、違和感のない自然なものでした。だからこそ、ところどころの太陽光が、演出上も物語上も、コントラストを持ちうるのだと思います。 実は主人公家族全員はすでに死んでいた、という結末はうまいと思います。主人公たちは「死者である幽霊」を恐れていますが、「幽霊」こそが「生者」であって、自分たちが「死者」であったのだと、価値観の逆転が起きています。ですから、主人公たちが「幽霊」を恐れていた行為は、実際のところ、「生者」にとっての、いわゆるポルターガイスト現象やラップ現象だったわけです。その結末として、ラストの「生者」による交霊会が納得できる展開となります。 主人公たちが死者である伏線がないと言いますが、私はあったと思います。結末を知ってみると、使用人の言動や「幽霊」の存在が、なるほどねぇと全て納得できるものとなりました。言うなれば、映画そのものが伏線だと思います。 ただ、どのような意見にしろ、キッドマンの素晴らしさには異論がないと思います。本当に怖いくらいきれいですよね。キッドマンの存在感そのものもこの映画に寄与しているのだと思います。
お礼
貴重な御意見どうもありがとうございました。 闇と光の効果的な使い方にはすばらしいものがありましたよね!!
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お礼
全然申し訳ないことなんかないですよ!! 私も好きだと思えなかったと書いてあるくらいなので 決してこの作品に満足しているわけではありません。 家族が死者であることの伏線が全くないってありますが確かにそうですよね!! 言われなかったら気付かなかったかもしれません。 鋭い御意見どうもありがとうございました!!