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城郭都市が日本では普及しなかった理由

netcatmeの回答

  • netcatme
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回答No.3

小田原城などは、城郭都市といえないでしょうか。 城郭都市の特徴は城郭の中に住民が固まり、城郭の周りに農業地帯が広がっていることです。いざ戦争というときには住民全員が城郭に立てこもり、戦争を行います。 住居が中央に固まり周辺が農地というのはヨーロッパ、中国ではよく見る都市形態です。 日本の場合には、地域共同体ともいえるこの都市形態が封建制から専制君主制にかけて確立する前に、兵農分離(専門兵士制)が発達したために、戦闘が兵士以外の住民に直接影響しなくなり、殿様が変わっても関わりがなくなり廃れたものと思われます。 つまり、住民と統治者との関係を織田信長(城を兵士をつれて次々に移動した)-豊臣秀吉(兵農分離・刀狩り)-徳川幕府(お家お取りつぶし、領地替え)が破壊したということです。 現在でもヨーロッパに比べて日本の住民と地域との関係は希薄ですよね。

参考URL:
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/meisho/odawarajo.html
noname#2781
質問者

お礼

ありがとうございました。 兵農分離のおかげだという話しは、なるほどと思いました。

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