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日本の産業力が第一次大戦で全く勝負にならない理由

a-koshinoの回答

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

産業力では、元々の日露戦争でも勝負になりません。 弾薬補給をイギリスからの購入に頼っていたのが実情です。 そして購入の費用は、アメリカで公募する外債、すなわち借金でした。 日露戦争の死傷者20万人、これでもう動員の限界に達していましたので、数日間で10万人以上の損害が出る戦闘が珍しくない第一次大戦には、主戦場へ派兵しなくて正解だったでしょう。

garcon2000
質問者

お礼

ことごとく外国の技術力と財源で戦争していたようなものですからね。兵隊だけは自前で、何も技術力がない。これが10年たった第一次大戦でも似たり寄ったりの状況だったですね。

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