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ドイツの第2次大戦開始理由

ヴェルサイユ体制で、何百万の人命を犠牲にして奪ったロシア領を、直接関係ない英米仏によって戻させられ(ポーランドに譲渡)その恨みと、失地回復の目的で始めたんでしょうか。 日本で言えば、このプチ歴史が「三国干渉」に見出される気がします。その張本人を10年後に討ったのが日露戦争です。そのグランド歴史が第二次大戦のドイツ(まず「ロシア」であるところの「英仏」をテメーら直接関係ないのに俺の収穫を横取りしやがったな!覚えてろ!)と言う思いで蹴散らし、そのための臥薪嘗胆をヒトラー政権で進め、で、最終的な目標であるロシア領に踏み込んでいった、その歴史が結局ドイツの開始理由だったなのかなと思いますが、そんな認識でよろしいんでしょうか。

noname#32495
noname#32495
  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

後から見れば可能な認識ではありますが、当時の状況には当てはまらないと考えます。 第一次大戦開戦時のドイツ軍の方針は、「西方攻撃、東方防御」でしたが、タンネンベルク会戦での大逆転勝利によって、攻勢に転じました。 ロシア革命後、独ソの和平交渉において、ドイツ側が欲したのは穀倉地帯ウクライナで、その背景には深刻になりそうな食糧不足がありました。この当時のドイツから、東方への領土的野心は感じられません。 後に、失地回復を目論んで進撃したソ連赤軍を撃退したのは、戦後に復活したポーランド。ドイツから恨まれるいわれはなさそうです。 第二次大戦を引き起こしたのは、ヒトラーの妄想的な生活圏構想でした。広大な東方領土を「アカ」の劣等人種(ロシア人他)から奪い取り、何倍にも広がった国土で、ドイツ国民が豊かに暮らす。それがヒトラーの戦争目的であり、アーリア人(これも妄想的な概念ですが)に近いイギリスとは戦争したくないのが本音でした。

noname#32495
質問者

お礼

ウクライナをほしがったと言う事は「東方」への拡大要求ではありませんか。第一次大戦開始前は、露仏にはさまれた状況から、とりあえず東方拡大は二の次にして、守勢をどうするかと言う戦略だったような気もします。 ソ連ポーランド戦争は苛烈でしたね。私は大戦間って平和な時代と思ったのですが、飛んでもありませんでした。そしてヒトラーの異常な思想と言うものがいかぶんか効いていたということもあるでしょう。

その他の回答 (5)

  • marobom
  • ベストアンサー率24% (8/33)
回答No.6

ドイツは第一次大戦の敗北でとんでもない賠償金とド悪人の汚名をきせられました。 当面は反省してましたが、国は支払いで疲弊し、働けど働けど我が暮らし …で もう金払わん!なんで前政権の失政のツケをワシ等が見んといけんのん。 ワシ等優秀なゲルマン民族じゃから文句あるんならかかって来い! 仁義無き戦いばりのヒットラーの極端な政策(選挙公約)に国中がのせられ 不満爆発、イケイケになっちゃった側面があると思います。

noname#32495
質問者

お礼

過剰過酷でした。連合国はドイツの力を大変恐れましたね。それがあだになったようです。

  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.5

その認識で構わないと思いますが、 質問者さんもご存知のように、それだけでは無い側面や要素や背景が 無数にあるのも事実です。 しかし、 No3で回答されている方のおっしゃるとおり、それらを全て羅列する には800字の中には収まりきれません。 ですから 「・・・その歴史が結局ドイツの開始理由 の1つ だったのかな と思いますが、そんな認識でよろしいんでしょうか。」 という質問でしたら その認識で構わないと思います。

noname#32495
質問者

お礼

確かに文書にならないような無数の原因があることでしょう。アウトライン的にはそんな感じですかね。

  • geppu-
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.4

 国際連盟の戦後世界地図の読み違いという側面もあると思います。 敗戦国に対する過度の罰則(経済が疲弊するほどの),近隣国(戦勝国含む)の再軍備に対する監視。悪さをした国は,「とことん反省しろ。」という連盟の施策がドイツ民族の反感を買っていたという心理的側面。ヒトラーの登場により,反省気分一転,「ここまでなぜに虐げられなければならない」という心理が全体主義の方向へ行ったのではないでしょうか。これに歯止めをかけるはずの国々もお家の経済事情から何もできず,どの国もリーダーシップを発揮するどころか,無責任に逃げていた(連盟の結束力の脆弱性)こともあるでしょう。  参考までに^^

noname#32495
質問者

お礼

過度に取り立てると、恨みを買うという仁義の世界みたいなのがありますよね。そういう「仁義」のなさがもしかしたらまずいのかと思います。そしてヒロラー台頭後のヨーロッパ首脳の無責任。この時期ロクな政治家がいなかったのかもしれないですね。

  • ikumi-20
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.3

専門家ではないので参考意見ですが、確かにブレスト=リトフスク条約 でドイツ帝国は、広大なロシア領(旧ソ連)を手にしました。 その後御質問のとおりヴェルサイユ条約において前条約は破棄されています。ただ、第2次世界大戦が、恨みと狭義の失地回復で行われたと言い切るのには疑問を感じます。もちろん莫大な賠償金を科した連合国に対しては国民感情としての恨みがあったのは否定できないでしょう。 それはさておき、まず、ドイツの歴史を調べると分かるのですが、 ドイツというの定義するのはきわめて難しいのです。 なぜなら今のバルト3国のある地域もドイツ領であった時代が あり、ドイツ人の生活圏は東ヨーロッパ全域(いいすぎか?)に及んでいました。 それをヴェルサイユ条約は人工的に分断する形になってしまいました。 地政学の用語にレーベンスラウム(生活圏)という言葉があるのですが 、まさにそれを分断され、一種の閉所恐怖症のような感覚に陥ったと言うべきでしょう。第2次世界大戦の開戦には、そのレーベンスラウムの 回復と言う意味合いが大きいような気がします。その他、社会主義などとの関係などもあると思いますが、800字では足りません。

noname#32495
質問者

お礼

やはり、当方の領土をヴェルサイユ体制で奪われてしまったと言う事が相当効いているのではないでしょうか。

  • STAGE708
  • ベストアンサー率40% (100/249)
回答No.1

参考になるかはわかりませんが、下記サイトを参照してみてください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BE%B5%E6%94%BB

noname#32495
質問者

お礼

これは参考になりますね。

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