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芸術の重さ

mystisism2の回答

回答No.11

>芸術作品の重さって?その価値って??芸術は天下無敵??? そのあたりについての御考えや示唆を与えてくださいますでしょうか そういえば漱石や鴎外も自分の奥さんのこととか結構ひどいこと書いてますよね(笑)プルーストの「失われたときを求めて」もほとんどモデルがあるそうですが、男色家で美青年追い掛け回したシャルリュス男爵のモデルになった人物は怒らなかったんだろうか、と思いました。 プロの小説家っていうのはある程度他人を傷つけざるをえない、他人からも傷つけられるの覚悟の上で書くものなんでしょうか? 読み手の側からいうと他人をモデルに書かれている場合、それが傷つけるか否かを上回るほどの対象に対する愛情と、書かずにいられなかった内的衝動というか必然性があれば読んでいて嫌な感じはしないと思います。 書く題材が無くて興味半分に書かれた物であるようなら、はっきりいって嫌な感じしますし、最後まで読む気もおこらなくなるでしょう。 あくまで読み手の感想ですが。

noname002
質問者

お礼

アドバイス有難うございます。 >漱石や鴎外も自分の奥さんのこととか結構ひどいこと書いてますよね(笑) そうですよねぇ鴎外は『舞姫』のモデルで元カノだったドイツ人女性が日本までやって来たんだとか。 漱石夫人の鏡子さんは、それほど悪妻ではなかったと、お孫さんあたりが弁護していらっしゃったり(笑) >プルーストの「失われたときを求めて」もほとんどモデルがあるそうですが ええ、ジッドあたりも『背徳者』だったかな確かワイルドがモデルだったと思いますが異国で現地の少年相手にイケナイことをしているようすなど描写してますね。 シャルリュス男爵のモデルでもそうですが、男色家であるとかいうことを本人が恥じたりしていないなら平気なんでしょうか。 >読み手の側からいうと他人をモデルに書かれている場合、それが傷つけるか否かを上回るほどの対象に対する愛情と、書かずにいられなかった内的衝動というか必然性があれば そうですね。。。第三者的読み手であるのか、当事者であるかという立場の違いで受け止め方や感情が大きく変わってくると思います。 私個人の場合ですが私小説的作品には、どうしても家族や身近な人のこととかが重要な題材になるんですが、「親の恥書くのは許さないよ」なんてクギ刺されまして、許可が出ないまま死なれてしまったとなると、かえって書きにくいですねぇこれが。それに若い頃は正直こうしたことについて書く動機のなかに、「傷つけるか否かを上回るほどの対象に対する愛情」なんてウツクシイもんばかりじゃなく、はっきり言って「この不条理ぶりを告発してやる!」みたいな気持も混じってましたから。 モデルの女性に訴えられた作家も、自分の家族内のことを、ずいぶん書いたようですが、やっぱり親御さんから苦情があったそうです。(笑) だいたい、この作家、矛盾したこと言ってるな~と思うんです。作品は、まるごと全部がフィクションなんだからとか言って抗弁しておきながら、そのくせ、プライベートで、すでに、くだんの女性から合意もらってるなどというような発言してますから、紛れもなく、その女性をモデルにしたということを認めてることになります。それとか外見上の障害について、すでに外見的に、あらわになってることだからプライバシー侵害には当たらない、とか。なんか違うな、、、って思います。

noname002
質問者

補足

「現代における解釈はつきつめてみると、たいていは芸術作品をあるがままに放っておきたがらない俗物根性であることが分かる。本物の芸術はわれわれの神経を不安にする力を秘めている。だから、それを解釈することによって、人は芸術を飼い慣らす。解釈は芸術を手におえるもの、気安いものにする。」 「芸術作品は分類できる内容からできているという極めて疑わしい理論から解釈は成立しているが、これが芸術を冒涜するものだ。それは芸術を一個の実用品に貶め、頭の中に出来あがっている範疇に押し込めようとするものだ。」 「批評の機能は作品がいかにしてそのものであるかを、いや作品がまさにそのものであることを、明らかにすることであって、作品が何を意味するかを示すことではない。」 これらソンタグ『反解釈』文中の「芸術作品」「作品」の部分を「自然存在である他者」とでも置き換えてみるとどうなんだろうか?と思います。実際、これに↓失敗しているとしか思えないようなことがあったわけですし。 「芸術をあらわにし、その芸術家を隠すのが芸術の目的。」 「すべての芸術はまったく無用である。」~『ドリアン・グレイの肖像』序文 同じ「芸術」とされる分野でも美術や音楽だと、こうした問題は起きにくいんじゃないかと思います。(『麗子像』とか見ると若干考えてしまったりしますが^^;) (字数超過のため補足欄を利用しました、お礼欄へ続きます)

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