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芸術の重さ

unikamの回答

  • unikam
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回答No.7

はじめまして。以下は私見ですが 芸術と法律(広義の法・倫理)はまったくソリの合わない二人の女神なので、彼女たちがたまたま一つの事象に同時に関わっていても、どちらかに完全に与するか、完全に中立するかしか道はないと思います(笑)。 天下無敵か否かについて言えば、 芸術家は芸術に忠実ならばほとんど何をしてもいいが、その結果を法律で裁かれることに文句はひとつも言えない。芸術だからやって良いと抗弁することはできない。現在の法律上罪だがこれは芸術であると主張することはできる。 さらに、結果としてそれが美しくなく、人を唸らせもしない、圧倒もしない、「芸術だけがつれていける境地」に導けない、凡作や失敗作や独りよがりな狭いものに堕してしまったなら、彼/彼女の作品は芸術にも見放された屑となる。…と思います。 私は勝手に、芸術は「人のためにある」という側面と「神(文字通りの神でなくても、心から偉大に思い、畏れ、愛し、敬う、何よりも重い存在)への捧げものである」という側面の両方ある、というイメージを持っているので、それだけで芸術家の行いに対する『縛り』としては充分だと思うのですが(本当に大事な相手に考えの足りないもの、ヘンなものや半端なものは捧げられないし、自分にできる最高の仕事をしたなら商業ルートに乗らなくても全く構わない筈だから) 近代化のすすんだ昨今はそういう心のはたらきが流行らないんで、機能しにくくなってるのかなぁと思ったり。

noname002
質問者

お礼

>芸術家の行いに対する『縛り』 「人のため」とか「神への捧げもの」という観念を、「芸術家」自身が、どれほど意識し「縛り」としているものだろうか?表現への衝動それが激しいものであればあるほど、実態はエゴイスティックなものだと思います。しかも「人のため」というのが、誰を基準にしたものなのか? >自分にできる最高の仕事をしたなら商業ルートに乗らなくても全く構わない筈 芸術至上主義というコトバがありますね。 それでも実際のところ我々の目に触れる「芸術作品」とされるものは、ほぼ全てと言っていいほど、結果的に「商業ルートに乗」っているものだと思います。そして「商業ルートに乗っている」ということは即ち「独りよがり」ではない、ということでもあります。そしてまた何らかの面で「独りよがり」を免れているからこそ歴史に残り得たとも言えるでしょう。 芸術至上主義にとどまっていないから、いけないのかなぁ?自己顕示欲とか報酬とか。 このところF・カフカのことが、しきりと思い起こされます。。。

noname002
質問者

補足

初めまして。御回答有難うございます。 >芸術と法律(広義の法・倫理)はまったくソリの合わない二人の女神 ほんと、そんな感じですね(笑)どちらも、人間の生活という同じ親からから産み落とされた対照的な気質の姉妹というイメージです。 >芸術家は芸術に忠実ならばほとんど何をしてもいいが、その結果を法律で裁かれることに文句はひとつも言えない。芸術だからやって良いと抗弁することはできない。現在の法律上罪だがこれは芸術であると主張することはできる。 これまでの御回答を拝見していて思ったのですが、どうも、まことの芸術たり得ているものであれば、それは自ずと人にとって良きものであるはずなので法律が口出しをする必要もないはず、法律が介入しなければならない事態になるということが、もうすでに芸術ではなくなっているということ、だともとれるんです。 でも法律とは時代の規範を体現したものですから、芸術が自由な精神を表現しているほどに、規範からは逸脱する恐れが高いですよね。そういう例は文学作品のみならず科学の先端的な分野でも歴史上に見受けられることです。となると >結果としてそれが美しくなく、人を唸らせもしない、圧倒もしない、「芸術だけがつれていける境地」に導けない、凡作や失敗作や独りよがりな狭いものに堕してしまったなら、彼/彼女の作品は芸術にも見放された屑となる。 その「結果」というものを、どこに設定するのか、という問題も起きてくるように思われます。 ある一つの時代枠のなかでは法的に罰さるべきと判断されたものが、そのために闇に葬り去られることもあれば、長い時代の流れを超えて生き残り、俄然、賞賛を浴びるに至ることもあります。ですから、そういう面で確かに「言論の自由とか表現の自由というのは 公権力 に対してできた表現であって 芸術 にはあてはまらない」また「私人との争いについて、持ち出してよい概念ではない。」というのも理解できるとは思うんです。 一つ大きな問題は時間、ということ…作品のモデルとされた女性が、いま現に生きていて、その作品によって重大な不快感を抱いていること、その作品によって有形無形の不利益を被ることを危惧していること。 くだんの女性や、その周囲の密接なかかわりのある人たちがいない時代になれば、この作品は第三者のみの冷静な判断によって評価されることになるのかもしれない。その時に至って「凡作や失敗作や独りよがりな狭いもの」という判断が下されたなら、それはまさに「屑となる」のでしょう。 しかし時代は変遷し続けます。 (字数超過のため補足欄を利用しました、お礼欄へ続きます)

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