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芸術の重さ

noname#49326の回答

noname#49326
noname#49326
回答No.3

 以下、個人的な解釈です。  簡単に言えば、芸術というものは便宜上用いられた言葉であると思います。  机の上の落書きを「芸術」と呼ぶ人もいれば、「落書き」と呼ぶ人もいる。  つまり、個人(各々)によって、「芸術」の概念は違うという事(価値観は人それぞれという事)。  其処で問題とされるのは、何を以って、「芸術」と呼ばれるべきなのか? 「落書き」と呼ばれるのか? (芸術になる為の基準は何処なのか?)  「芸術」と「落書き」の区別とされる基準は個人の価値観ではないのか? >芸術の重さ  作品への愛情(演出・技法も含めた)。 >芸術の価値  その作品の価値。 ロランバルトとが述べた様、「(芸術を鑑賞する時)作品だけを見る」姿勢が必要。  その作品を制作していた時点の、作者の歴史的背景等は一切見るべきではないとした。  芸術の価値を位置付けるのは個人である。 >芸術は天下無敵  芸術は何かを表現をしたいという気持ちから生まれてくるものであり、言い換えれば、自分の気持ちではないか。  天下無敵という言葉は芸術には相応しくない。  芸術という言葉は便宜上でしか存在しないと思います。 だから、自分は「芸術」という言葉を嫌っています(会話でも「芸術」ではなく「作品」と言ってます)。  「作品(芸術)」を描く根本的な原因(理由)は、自分自身の心情を姿(形)として存在させたいという人間の我侭(恣意)だと思います。  そういう意味からして、「芸術の価値は?」「芸術の重さは?」という発言は、無意味なものだと思います。  「作品(芸術)」は人間の心情を姿(形)する、人間の欲望(恣意)であるから。

noname002
質問者

お礼

>>芸術の重さ   作品への愛情(演出・技法も含めた)。 そうですね、本来は誰に頼まれたわけでもなく自分が生みたくて生んだ作品ですから可愛いのは自然な感情だと思います。 でもなんだか、訴えられた作家の場合をみてると、自分の産んだ子に食べさせんがために他者のものをコッソリ奪い取って我が子に与え、そのお陰で育った我が子の姿を、押しも押されもせぬ芸術として侵されざる至上のものと主張しているように見えないこともないんです。 つまり、奪われた側の他者が返還を要求してみたところで、いまさら、その奪ったものを食らって成長した子どもの胃袋をさらえてみたり、吐き戻させてみたってしょうがないような、だったら書いたもん勝ちってことなのか、という。。。 >「(芸術を鑑賞する時)作品だけを見る」姿勢が必要。  その作品を制作していた時点の、作者の歴史的背景等は一切見るべきではないとした。 このことについては、No.1No.2様への補足欄でお伝えしている参考URL=文学カテゴリーでの質疑応答中でも、リテラシーの問題として触れられています。 これについても、私自身が書き手側でもあることから、鑑賞者側のリテラシーと書き手側のリテラシーを別個のものとして現実的に区別可能なものかどうか、といった疑問を持っています。 賢明な姿勢には違いないとは思いますが。 >言い換えれば、自分の気持ちではないか。  天下無敵という言葉は芸術には相応しくない。 >自分自身の心情を姿(形)として存在させたいという人間の我侭(恣意) なかなか厳しい御意見かと思いますが、「芸術」というコトバを免罪符のように使う人がいることも事実ですね。 >「芸術」ではなく「作品」と言ってます これは良い案ではないかと思います。「作品」というコトバ自体には余計な価値観が付きまといませんものね。 >「作品(芸術)」は人間の心情を姿(形)する、人間の欲望(恣意)である その「欲望」自体に一つの価値観を見出す向きもあるかのように見受けます。 「欲望」に価値があるのか、ないのか。。。そんな曖昧なものに傷つけられる必要があるのか?傷つける必要があるのか? アドバイス、有難うございました。

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