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絶望から希望への転換 - 言葉を求める旅
- 自我が崩壊し、絶望的な気持ちに苦しむ私。しかし、死ぬことはできず、社会的地位や幸せを手に入れる義務感に支えられて生きる気力を見つける。
- 絶望から希望への道は見えないが、他の人たちも同じような苦境に立たされたことがあるかもしれない。心に響く言葉や経験を持っている人がいるかもしれない。
- 私はそれを探し求めているが、なかなか見つからない。ネットの世界でも見つけることはできなかった。もし何か知っている方がいれば、教えてほしい。
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例えば、「レイプ トラウマ カウンセリング」で検索してみるとかはどうでしょう。加害者は被害者が思うほど重要なことと思っていないでしょうね。ゆっくりでもいいですから、立ち直られることを祈っています。
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- katyan1234
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誰も見ていなくても神はあなたを愛してる。 この言葉で自殺をやめました。こんな自分を愛しているんですよね 後死んだと思うから何も出来なくなる。そうではない今何も出来ない自分を好きになってください。今から這い上がるだけ、笑われてもいい 歩いているならつまずくのは当たり前、赤ん坊を見てください。 笑われてもつまずいても、立とうとして必死ですよ。 赤ん坊と思えば気にする必要はない。誰もね
私も死んでしまいたくなったことが何度もあります。 死ぬことしか考えられなくなった時って本当に辛いですよね。 そんなある時、急に、私の好きな歌の歌詞の一部にある 「この世に生まれてきた命のきらめきを」 というフレーズが頭に浮かびました。 死んではいけないと思いました。 死にたいと思うたびに思い出して、何とか自分を食い止めています。 それと、私の座右の銘 「試練とはそれを乗り越えられる者にのみ与えられる」 dianarbusさんがどんな経験をされたのかはわかりませんが、その経験を乗り越えて素晴らしい人生を送るに値する者だと神様に選ばれたのです。 選ばれもしないくだらない人たちのために体力を使うのはもったいないです。 無視して、もっと素晴らしい人生を送りませんか。 ただ、どうしようもなく堕ちている時にこの言葉を思い出しても、「別に選ばれなくていいから試練を与えないで欲しかった・・・」とか思ってしまうんですけどね。 参考になれば幸いです。 dianarbusさんが幸せな人生を送れますように。
- R32-RX-7
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先日病んでいる人の集まる場で死にたい、でも生きたい、 という内容の相談があってその人に言葉をかける人たちの言葉を読んでみました。 中に 「どうせ命には限りがあるのだから、絶とうとしないで、 その時を何もせず待っているほうが楽だ。 騙されたと思って生きてみてください。 最期にそれでも文句があったら文句の一つでも言ってから死んでください。」 もっと厚い内容でしたが、はしょるとこんなものがありました。 私は素直に 「あなたが死んだら私は悲しいよ」 と会った事もないネットの世界の友人に言われて なんとか頑張ってみようと思いましたよ。 それでも、そんな言葉もむなしく 思考がマイナスに傾いてしまう時もありますけどね。 私からは、 「生きていてくれれば、ただそれだけでいい」 この言葉を差し上げようかと思います。 私は死にたくなる人の気持ちもわかるので、 あまり多くは言いたくないですね。 言われすぎて反発したり、余計に傷つく事も知ってますので。
- WAT-2007
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自分は自殺した後(全くの他人ですが)を発見しました。首吊り自殺です。 その場所は夜になると人気の無い小高い場所なのですが・・・この場所を選びここまで自らの足で歩み寄ってくるまで何を考え、何を思ったのか・・・と考えさせられました。きっと一人さびしくその生涯を閉じたのだと・・・ だからこそ自分は絶対に自ら生命を絶つことはしないと心に決めています。 dianarbusさんの気持ちはわかりますが、命を絶つことは簡単です。でも、生きることはとても苦しく辛い事もあります。でも、苦しく、辛い事があるからこそその先にあるちょっとした嬉しいことに心から喜べるのだと思います。 他人の人生に自分をぼろぼろにされたことを恨み、その上を行くことより、自分がこれから生きていくうちに味わえるちょっとした嬉しい事に目を向けてください。
最近読んだ本にこんなことが書いてありました。 以下、要点だけ抜粋したものです。 --------------------------------------------------------- 目の前に死にたいという人がいたら何と声をかけるか。 「かけがいのない命を粗末にしてはいけない」 「生きていれば必ずいいことがある」 「死ぬ勇気よりも生きる勇気を持て」 そんなことは言われなくてもわかっているのです。 生きることに絶望した人は、人生を粗末にしているわけでも 努力を怠っているわけでもなく、むしろ あまりに人生を重大視しすぎてしまったのです。 「リラックスブック」たかたまさひろ著 --------------------------------------------------------- 私も死にたいと何度も思ったことがあります。 その都度たくさんの本を読み、救いの言葉を探しましたが 出てくる言葉は上記のような言葉や 「生きたくても生きられない人がいる」などでした。 当時の私には何1つ心に響かなかったですね。 今は何とか「死にたい」という気持ちはなくなりました。 何でなくなったは自分でもわかりません。 時間が経ったせいなのか。 ただただ、1日をあるがままに過ごしていただけだと 思います。(過ごすというよりは“1日をこなしていた” という言い方が近いかもしれません。 死にたいと辛かったときにこの言葉に出合いたかったなと 私は思いました。 質問者さんにどんな苦しいことがあったのか、 私には想像もできませんが、生きることに一生懸命だからこそ 死にたいと思うんだと思います。 絶対幸せにならねばという気持ちは大切ですが、 義務感にとらわれず少しだけ肩の力を抜いてみてください。 ある韓流スターが 「最大の復讐は“無視”である」と 言っていました。 そんな奴のために頭をつかわない。心を痛めない。 彼らなんてあなたの世界に存在すらしないんです。 あなたが主人公の小説(人生)なら、 人生のほんのひと時道ですれ違い、 すぐに死んでしまったしょぼい脇役です。 あともう1つずっと大事にしている言葉があります、 「必要なのは勇気ではなく、覚悟。 覚悟を決めればすべてが回り始める」 高橋歩さんという方の言葉です。 小さなことも大きなことも何か乗り越えないといけない時 、この言葉を繰り返しつぶやいています。 覚悟を決めて、そんな奴らのいない あなたの世界を生きていってください。 言葉はえらんだつもりですが、不愉快にさせてしまうことを書いてしまっていたらごめんなさい。 私もあなたがまた立ち上がり、1歩でも前に進める日がくることを信じています。
お礼
>>あまりに人生を重大視しすぎてしまったのです。 なんだか分かります。 自意識過剰なのかなって思います。実は唯我論者だとか。 自分が終わればすべてが終わるって思ってしまいがちです。 でも多分人生は人の数だけあって、私が死んだ後も世の中は連綿と続いていく。 無常観ともいえましょうが、無常観って悪いことが良いことに転ずる可能性も示唆してくれますが、諦観じみた考えにもなりがちだなっておもいます。 「死にたい」にはたくさん種類があって、私はなんで死にたいのかたまに分からなくなります。 憤死なのか、無気力すぎて死にたいのか、復讐すらなしえない自分の無力さに絶望して死にたいのか、世の中すべてに絶望しているのか、自分の人生に喜びはありえないと思い込んでいるのか、ただもう死にたいという単語しか考えられないからなのか、甘えなのか、いろいろがごちゃまぜです。 精神科医には、「社会的地位もわかるが、倫理的に勝利せよ」といわれました。 それって自己満足じゃないのでしょうか。 私は目に見える勝利を得たい(彼はある世界の権威なので、無理そうですが)。 そう思う私は俗物だろうか。 医師のおっしゃることもわかるんです。でものどにつっかえます。 >>「最大の復讐は“無視”である」 これも分かります。正しいと思います。 でも私はだいぶゆがんでしまっていて、こんなことばかり考えるのですが、 彼と付き合っているときから、私の人間性とか、意志とか、私というものを無視されてきたような気がしています。 「無視されるほどの相手でもない」のだと思います。 ごめんなさい。 私の感じ方一つで魔法のようにいろいろが変わっていくのかもしれません。もうちょっと時間が必要なのかもしれません。 不愉快な言葉など1つもありませんでした。 お気遣いも、すべて、ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。 私はレイプ被害にあわれた方のような恐怖と肉体的痛みを感じたわけではなく、そのような方から言わせれば私の傷などは浅すぎるのかもしれませんが、 まるで意思のない人形のように扱われたこと、同じ心の傷を何度もなぞってしまうこと、意識の狭窄など、なんとなくそれは似た経験ではなかったかなと思います。 私は彼に何度も「私の名前は何?」と聞きました。 答えはありませんでした。 友人は半ば無理やりに手を出され証拠を握られ、何もしらない友人は私に相談しに来、私は彼女のためにその証拠の隠滅に手を貸しました。 私が鬱病で苦しんでいたとき、彼の家でパーティーがあり、彼は他の女の子と濃密に絡んでいました。そういう光景はなれていたのですが、私の場所はみんなの中に、彼の中に、はじめから無かったんだとぼんやり考えて、真夜中に遁走しました。 みんなは心配して探してくれましたが、なぜ自分などを探してくれたのかわかりませんでした。 彼はやさしく私を迎えてくれましたが、その後別の女性とベッドルームに入っていきました。 朝に1人でめざめた私は、「2人の邪魔をしたら悪い」と置手紙をして帰りました。(2人はそういう関係ではなかったのですが。) 自分が、消えていくんです。 はっきり否定されたわけではないのに。 私は私の名前をどこにやってしまったんでしょうか。