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なぜ学校の授業科目変更の議論は盛んにならないのか

Summaronの回答

  • Summaron
  • ベストアンサー率27% (40/143)
回答No.4

またNo1です。質問者さんが、どのような学校体験をしたのかわかりませんが、飛鳥時代の美術品に出会うことでその後の人生が変わることも多々ありますよ。(遅れましたが私は私立の中高一貫校の教員です。)質問者さんのあげでいることは、「実学」で、それを中心に学校が運営されたならば、ものすごくカスカスの経験だけで、社会に出て行くことになりませんか。作文指導、小論文指導をしますが、スキルはすぐに身に付きます。しかし、各内容、中身を深めることはとても難しいことです。多様な価値観、知識の集積の中から、生徒自身が見つけていくしか方法はないと思います。そのベースをまなぶところが「学校」という機関だとおもいます。塾が学校の変わりなることがありえないことや、どんな進学校でも学校行事があることなどがそれを証明しているのではないでしょうか。少し論点がずれてしまいました。申し訳ありません。

tooma37
質問者

お礼

 度々のご回答ありがとうございます。質問者様が教職で培った経験とは比べるべくもないのですが、私は学習塾で数年間講師としてアルバイトをしていた事があり、その経験を踏まえていくつか思った事を申し上げます。(この項は本来お礼であるべきです、不快に感じれば削除を依頼してください) >飛鳥時代の美術品に出会うことでその後の人生が変わることも多々ありますよ。  飛鳥時代の美術品自体をどうこう言うつもりはないのですが(そもそもよくわかりません)、無味乾燥な教科書の記述と資料集にのった写真のみでは(少なくとも私が教えていた生徒が通う公立学校では美術品に関して詳しい観察や解説はしていませんでした)人生が変わる事は余りないのではないのでしょうか? >「実学」で、それを中心に学校が運営されたならば、 >ものすごくカスカスの経験だけで、社会に出て行くことになりませんか。  まず私は解答者様がいうところの「実学」(法律は実学なのでしょうか?)中心の学校運営をしろと言うものではありません。ただ教養の学習に時間をとられるという事がそれらを無視する事のエクスキューズにはならないのではないか、と思うのです。  またなぜ実学中心の学習が“カスカスの経験”なのかもしれないと考えられるのでしょうか?経験の尊さは学ぶものと教えるものの心掛け次第であり、現行の教養科目を学んだところでカスカスの経験になる事は充分にありえる事でしょう。 >しかし、各内容、中身を深めることはとても難しいことです。 >多様な価値観、知識の集積の中から、生徒自身が見つけていくしか方法はないと思います。  私が論文云々をいうのは実際に接してみて物事を論理的に考えたり筋道立てて説明できる子供がとても少なかったからです。  私は3年間ほどアメリカに留学していた事があります。あちらの学校では英語(要するに国語です)の授業以外でも論文の提出を要求されることが多くこれは論理的な思考の訓練に大変有用であると思いました。内容云々はともかくとして論文を書く過程でなされる論理力の訓練は教師が関われる範囲だと考えます。  

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