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なぜ学校の授業科目変更の議論は盛んにならないのか

Summaronの回答

  • Summaron
  • ベストアンサー率27% (40/143)
回答No.1

回答になるかどうか。 まず、現在の科目、教科、教科内容の大筋は、社会人としてのコモンセンスの意味合いがあり、それがある程度定着していること、また、授業カリキュラムについては、現行の指導要領改正の時、確か「学校設置科目」というのがあり、学校がある程度自由に設置できこと、あと生徒の実態は各自でいるいらないを決めている=自分にとって必要ではない教科は手を抜くで対応していること、でも一番大きな理由は、学校は多種多様の生徒の進路などを決める場所ではなく、自分で判断していくための一つの価値観、ものさしであることが、議論が盛んにならない理由ではないでしょうか。

tooma37
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます >現在の科目、教科、教科内容の大筋は、社会人としてのコモンセンスの意味合いがあり、それがある程度定着していること  コモンセンスとしての意味合いというのはある程度納得できるのですがこのコモンセンス習得の為に忙殺される時間が余りにも長すぎないでしょうか?例えば簡易的な法律やコミュニケーション・スキルのトレーニングなどは殆どの社会人に要求されるものと考えますが飛鳥時代の美術品がそれほど重要とは私には思えないのです(しかも私は覚えていません)。 >自分で判断していくための一つの価値観、ものさしであることが  申し訳ありませんが、この部分が前後と関連して何を仰りたいのか良く理解できませんでした。

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