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死後
死後の世界はあると思いますか? 特に、生きてる間に重い罪を犯して罰せられ死刑にされた人や、知られずにそのまま死んだ人、逆に、社会に大きく貢献して死んだ人、ではそれぞれ、死後に罰や幸せがあるでしょうか? 生まれた環境も人それぞれだし、自分はないと思いますが‥。(あるとしても、「環境」と「残した成果」による度合いが焦点ですかね‥?) それとも、自分に妥当な環境(状況)で生まれてきたと考えることもできるでしょうか?「生まれながらにして人は不平等だが死後は平等」→かなり不平等、みたいな‥。 (生まれた後は知らないが?)生まれる前から自分の評価は決まっている、みたいな‥。 この世界は幸せもあるけど辛い要素も多くあると思うし、(この環境で)生まれてきたこと自体、罰なのではないか、とか、 理性のない幼少のころから魚や植物を殺して(採って)親などに食べさせられているのは罪なのではないのか、とか、 でもその魚や植物の祖先を残していくための地球の環境を作っていくのは人間で、食べられる魚や植物は一部の生贄と思うしかないのか、とか、 (まぁ人間が生きていくためにそれらは必要で、おいしいし、知性の低そうな動物植物なら倫理的にも許せるということなのでしょうか) 自分は自分の生前や自分の死後のこの世界(現実)はあんまり信用していなかったりもします。 全部自分で創り出した創造なのではないかと思ってしまったりもします。 この現実はものすごいパワーと創造がありますが、今これがあるということは他にも何か(世界は)あるはず、と思うほうが妥当じゃないかと思います。 時間や物質や進化などが謎(未解決)だらけのこの世界で、その謎をおそらく少し解明進めたところで今現在生きてる人は死ぬしかないと思う。 まぁそんなのに興味ない人もいると思いますが‥。 人は来世を信じて死んでいったりもしますが、どうなんでしょうか? 恐竜や虫も罪犯して地獄へいくんでしょうか? (時間もなく不調でかなりめちゃくちゃに書いてしまってすみません‥)
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あなたの仰るとおり死後はありますよ、 自分は死ぬと思っている人が居るみたいですが それは理論的に不可能です なぜかといいますと現世では魂を殺せないからです 魂というのは魂の次元があって肉体が滅びた後魂の次元の 法則によって動かされます。決して現世の法則によって動かされる ものではありません。 一つだけ言っておきますが私は霊能力者じゃありませんので 「悪霊とかいるんですか?」と聞かれても「いるかもしれないし いないかもしれない」としか答えられないのであしからず
- AyumiPPE
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死後の世界は無いと思います。 死んだら終わり。それで終了だと思います。 死後の世界は無いし、前世も来世も無いです。 地獄や天国は、人間によって、人間が「悪い事をしないよう」に創り上げたものでしょう。 同じように、来世は死への恐怖を和らげる為。 >特に、生きてる間に重い罪を犯して~それぞれ、死後に罰や幸せがあるでしょうか? 無いと思います。 言い方悪いかも知れませんが、死んだらそれでチャラ…、みたいな。 死んだら“精神”とか“魂”はどうなるの?とか考えた時期もありますが、 そんなのは脳の働きの“感情”とか“思考”の類だろ、という結論になりました。 (…と言うより、考えるのを放棄したという気がしますが…;) 心霊体験(幽霊見た、とか)も一切無いため、そういうのも信じてはいません。 仮に“幽霊”なんかが存在していたとしても、少なくとも今までの私にはそういったものを認知(?)出来なかったわけで、そんな認知出来ないようなものは、存在しないも同然だと思います。 死後の世界と心霊体験を一緒にしちゃってますが、同じようなものと私は捉えてます。 >これがあるということは他にも何か(世界は)あるはず、と思うほうが妥当じゃないかと思います。 むしろ私は“死後の世界”より宇宙人の存在の方を信じてます。 謎と言えば。 私は存在理由を問いたいですね。 「私は何の為に生まれてきたの?」とかいう個人的なものではなくて、「何故、人間が存在するのか」と。 併せて「何故、地球が…」「何故、生命が…」「何故、宇宙が…」などなど。 そもそも何故、存在が存在するのか。 何も無ければ、何も無いままで、何も無いのに、と。 自分でも何を書いてるんだか解らなくなってきましたが…。 アンケートのような回答、また長文失礼しました。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
「心の世界」はこの世もあの世も同じです。「心の世界」ではこの世にありありながらあの世にも同時に住んでいるのですね。肉体の目で見たものにこだわるとそれがすべてだと勘違いしてしまいますが、心に着目するとこの世とかあの世とかの境はなくなるはずです。心は脳ではありませんから肉体がなくなっても当然存在します。勉強したこともよいことをしたことも悪いことをしたこともすべて心にありますね。心のみが存在する世界をあの世といいます。あの世では心のみが存在しますから善なる心は、善なる心の集団にいますし悪なる心は悪なる心の集団にいます、悪なる心の集団の領域を地獄といっていますね。まあいやなもの同士は一緒にはいたくないからね。肉体は便利なもので、心を見えなくする鎧ですから心が何を思っていてもみんな一緒に楽しくやれますが、心だけの世界ではみんながお互いの心を読めるので、心の世界ではおのずとすみわけができてしまうのですね。心を基準にヤクザはヤクザの世界へ善人は善人の世界へ、天使は天使の世界へですね。一番てっぺんにいる心が仏様なんですね。 この世の職業や地位や名誉はまったく関係ない世界です。心の状態のみで決定される世界ですね。面白い世界ですね。死後はそういう世界に心が住むことになるのですね。かっての英雄や総理大臣や高名な学者が地獄にいたり、名もなく生涯を終えたり、不遇な最後をしたかたが天使の世界にすんでいたり、殺人を犯したものが天国にいたり、殺されたものが地獄にいたり、人間は脳だ、猿から進化した、死んだら何にもない、という心もありますね、このような心の集団も悪い領域でさまよってますね、この世の価値基準では到底理解不能な摩訶不思議な世界ですね。心だけで行き先が決まる世界だからでしょうね。
永遠の現在があります。 現在しかありません。現在がすべてです。 前世や死後を想像するというのなら いま行なっているのですから その現在の中にすべての時空間が含まれると言うことと同じです。 すべては 現在の行為です。 (現在がすべてを決定するというのとも少し違うでしょうが)。 Q:《全部自分で創り出した創造なのではないかと思ってしまったりもします。》けれども 《死後の世界はあると思いますか?》 A:現在どう考えるかです。分からないことは 想像自由です。しないのも自由です。 わたしは しません。(だから ないと言おうというのでもなく あるかも知れないと言おうというのでも ないという意味です)。 Q:《特に、生きてる間に重い罪を犯して罰せられ死刑にされた人や・・・それぞれ、死後に罰や幸せがあるでしょうか?》《人は来世を信じて死んでいったりもしますが、どうなんでしょうか?》 A:その人のその現在 そして そういうことを想像するあなたのいま現在の問題です。何を どのように想像しても 自由です。言いかえると 想像力の及ぶ範囲で すべての可能性があります。 たとえば 《天国地獄》という死後の世界があるかも知れません。両領域が融合したところです。わたしが 行って帰って来たのだから まちがい無いという人が いても その現在のこととして ありえるわけです。証明も出来なければ 反駁も出来ません。すべては 想像の世界です。 もっと言えば この想像行為によって 人は 現在のこころを静めていたり 単なるお遊びであったり その人にとっては真面目な研究であったり・・・とすべては自由です。 《この現実はものすごいパワーと創造があります》。 われわれの心は なんと 広くゆたかなのでしょう。 Q:《「生まれながらにして人は不平等だが死後は平等」→かなり不平等、みたいな‥。》 A:これは 神義論(*)のような課題です。神がいるのなら この世の悪はなぜあるのか。 善悪論(*) 特に悪の定義が 問題になるでしょうし もっと 詳しく論議する余地があるわけですが 仮りに答えてみるなら やはり現在の問題です。永遠の現在です。 * 《Q:善と悪について》=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3160459.html そのANo.3を参照してください。 * 《Q:魂の救済》=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3195305.html そのANo.1です。 神は善であるのか などは別に質問されてはいかがですか。
死後の世界は自分が死んだ後に生き残っている人が住んでいる世界のことでもあります。要するにアノヨというのは実は此の世でもあるように思います。此の世でないあの世(死後の世界)の存否は原理的に人間には分からないのではないかと思います。案外虫とか細菌とか水素分子などのほうが知っているのかもしれないと思います。
- rurubonpp
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死後の世界は、確実にあると思います。しかし、「証明しろ」と言われると証明はできません。だだ、ほとんどすべての人は大体100年もすれば自分で体験することではないでしょうか。 人間は生きていくために他の生き物を殺して食べています。それはしかたないことです。このことをキリスト教では「原罪」というのではないかと思います。生きていくために常に生き物を殺している。実に罪深いことです。それゆえに、「日々自分が生きているために犯している悪業以上の善行を積まないといけないのではないでしょうか。」ただ何もせずに生きているだけならこの「原罪」のために悪業を行っていることになるでしょう。もっと善行に対して熱心にならないといけないとおもいます。 死後、罪を裁かれるのは、何も現世での行いだけではありません。前世の罪も裁かれます。これは、前世の死後、地獄に落ちるのを嫌がって、ウマウマと逃げた人の場合のことです。また、一度の地獄だけでは罪が清算出来ていない極悪人もそうです。 地獄に落ちて苦しんで、現世に生まれて苦しんで、死後また地獄に落ちるという極悪人もいるそうです。 動植物の場合は、魂があまり進化していなくて死後は地球の魂と一つになってしまうようなところがあります。十分魂が進化して、次に人間に生まれ変われるような動物は、人間の姿になることが出来て、人間の霊界と同じところにいます。
- Roman0
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思うも何も… 人間の意識は脳の活動です。死ねば脳は活動をしなくなりますから、意識も消失します。 物理化学的にはそれだけの話です。 が、そんな話と信仰とは全く別の話です。 例えば、当人の意識は霧消していても、死者の物語が語り継がれる限り、その人は社会的には死んでいません。それ故に信仰の入り込む余地があるわけです。このことが、あまりものごとを深く考えない人にとっては、混乱のもとになるのでしょうね。
死後の意識継続を論証せんとする者です。私の持論として http://question.excite.co.jp/qa3362608.html の質問文と、ANo,6の補足をご紹介します。 http://question.excite.co.jp/qa3411210.html のANo.17と19が死後の具体的内容に関するものです。 そこで、今回は死後に罰や褒賞はあるのか、について言及したいと思います。 誰もその意識を裁く事はありません。意識が自分自身を裁くのです。 意識は死後脳という五感の牢獄を離れると、無意識世界を意識の領界とする事が出来ます。 無意識には善の心があります。善の心は自分の無意識から突き上がって来る思念です。生前意識は無意識を領界としていない為、その思念を無視する自由意志があります。 ところが死後は、その思念がまさに自分自身になってしまいます。その時領界の広がった意識は、無意識世界の自分の感覚(善の気持ち)と照らし合わせた、生前の反省を、突きつけられざるを得なくなります。 例えば、「昔書いた日記を読み返したら、すごく恥ずかしくなった」という状態に似ています。生前と死後では認識できる善の気持ちの、レベルが違うのです。 そこで、善の動機に従って生活しなかった者は、死後自分自身で暗いイメージに身を閉じ込めて、長らく嘆き悲しむ事になります。 一生懸命、善の気持ち(無意識=霊界の性質)で生活した者は、現世でどんな冴えない人生だろうが、明るいイメージの世界に自ら赴くのです。 はっきり申しまして、現世での社会的功績など、幽世には一切通用しません。善の動機で一生懸命やった事が、自分自身による評価に繋がります。結果的な功績は、善の動機から派生する場合のみ価値がある(と自分で判断する)と言えましょう。 現世で生きる限り、食べなければなりません。それは、良い事ではありません。しかし、現世で修行するにあたって、食によってカルマ(業という修行要素)を得ているという側面もあります。その事自体は妥協点として、死後後悔する事も無いと思われます。 ただ、そこで良心の呵責が湧く場合は、「本当は良い事ではない」という事を再認識させる事によって、獣性の減少という、進化を目的とした思念が働いているのかも知れません。それはそういう修行内容なのでしょう。あまり考えすぎず、そういう気持ちが湧いた、と認識しておくだけでいいのではないでしょうか。
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