社会において善と悪は常に一定の割合で存在するのか?

このQ&Aのポイント
  • 社会において善と悪がほぼ一定の割合で存在しつづけるという説の遺伝学的な説明を知りたい。
  • 過去の研究によれば、遺伝子には常に一定の割合の悪玉が含まれており、それを取り除いても再び同じ割合の悪玉が生じることが示唆されている。
  • さらに社会現象も同様で、あるひとくくりの集団の中に必ず一定の割合で悪い人間が存在し、排除しても再び同様の割合になることが述べられている。
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社会において善と悪は常に一定の割合で存在?

「社会において善と悪がほぼ一定の割合で存在しつづける」という説の遺伝学を用いた説明(証明)をご存知の方、具体的に教えてください。 (補足) 過去に、 遺伝子には常に一定の割合の悪玉(しかも約半数程度の割合)が含まれており、それを遺伝子操作で取り除いてもやがて時間が経過すると再び同じ割合の悪玉が生じる。 さらに社会現象も同様で、悪い人間というのはあるひとくくりの集団の中には必ず一定の割合(遺伝子と同じ?)で存在し、排除しても再び同様の割合になる。 学校も同様で優秀な生徒を集めたクラスを作っても落ちこぼれが必ず現れる。(逆も成立するのか知りたいです。・・・落ちこぼれのクラスでは優秀な生徒が現れる?) という話を聞いたことがあります。ご存知ですか。 ハーディー・ワインバーグの法則が絡んでいるのでしょうか???

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  • uduki4
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回答No.1

え~とすいません。 昔私が読んだ本で、その事でよかったら、 お話できます。 その本にはこう書いてありました。 もともと人間は、天と地の狭間に生きている存在。 人間もやじろべえと同じように、両方がつりあわないと生きてはいかれない。 人の気持ちが、善であれ、悪であれそのどちらかに傾いてしまったときには、同じように身体のバランスも崩すから病気になる。 どんな悪人の心にも美しいものを愛する事を知っているように、必ず人間は両方の心をバランスよく持っていないといけない。 等でした。 むろん、その本にはそのほかにもいろいろ書いてあった(その当時私はかなり精神的に苦しんでいました、そのときカンウセラーの先生が、この本を薦めてくれました。それで、この本を読んだら感動して感動して、涙が止まりませんでした。)のですが、忘れてしまいました。 確かタイトルは「人は半分の善と半分の悪で成り立っている」て、ちょっと違う気もしましが、こんなタイトルでした。 まあ、こんな自分の事を書くのって回答ではないのですが、私なりのアドバイスして受け取ってもらえたらと思って、書きました。 では、すいません、失礼します。 以上

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