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善をなさんと欲し悪をなす

高名な僧侶の言葉だと記憶していますが誰だったかな(笑) あなた自身の身の回りで、このようなことがあった方、具体的かつ簡単に聞かせてくださいませんか 哲学や宗教の本に載っているエピソードはどうにも深刻、高邁すぎて、拙には理解し難いことばかりです。 「ア~、ある ある」とか、「このあいだね、飲み屋でね・・・」とか、そのあたりの話で・・・・・ ほんっとに暇なときにでも回答を登校していただければ嬉しいです

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  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.3

正しさを振りかざし攻撃することで、まるで鬼の首を取ったように振舞うこと。 何か事件が起きると、正しさ論調で誰が悪いかを言い当てて攻撃をするのは ネット上のSNSなどでよく見かける風景です。 例えば、いじめで自殺が起きた場合。 いじめたほうが悪い・いじめられたほうに問題がある。 どちらにも言い分があり、確かに正しさはそれなりにある。 しかし、正しさを求め攻撃をやってる自分が、その行為で誰かをいじめているとうことに気がついていない。 いじめという行為は悪いといいながら、自らがいじめを披露している実態に気がついてない。 そんな感じで家庭でも会社でも学校でも、あらゆるとこで日常的に繰り広げられています。 誰が悪いかを問うより、問題がおきる元は何か。 それをどう解決するのかが必要です。 書いてて「正しさで人を裁くのを誰もが辞めたらいいんじゃね?」みたいになってしまいました。 教育現場で「善をなさんと欲し悪をなす」を教えられたら、それだけで社会のいじめが減るでしょうね。 無知が一番の害悪かもしれませんね。

su-darabusi
質問者

お礼

回答の投稿ありがとうございます >教育現場で「善をなさんと欲し悪をなす」を教えられたらそれだけで社会のいじめが減るでしょうね。 同感です。まったくもって同感です

その他の回答 (3)

noname#194996
noname#194996
回答No.4

最近話題になることでは、鳩山さんの言動のようなことではないでしょうか。 戦争を回避し平和のためにと考えて中国へ行き、盛んに仲裁をしているつもりなのでしょうが、このサイトでは逆にとられてしごく評判が悪いです。国賊とまで罵られる始末です。かわいそうですね。

su-darabusi
質問者

お礼

回答の投稿ありがとうございます >鳩山さんの言動のようなこと なるほど。私も鳩山のことは評価していませんが、国賊は言い過ぎかと・・・・ それに、政治家の批判が個人批判に傾きがちなのも、なんか論点がずれているような・・・ で、将来、鳩山の言動が日本どころか、アジア全域の厄介ごとを引き起こしたりすると ここで、私が鳩山のことを少し庇ったことが「善を欲して、悪をなす」ことになっちゃうのかな

回答No.2

善悪とは: 深まる認識が、現象をより原理的に把握したり、また、組織化に於ける個体間相互作用を経験的に編成したりして、体系化(>世界観)する上で、経験の基底(移入)であると同時に意志として認識上に展開される衝動も、不可分に体系性(>価値観)を帯びてくる。 その中で、未だ認識化されない原理に基づく現象の経験的先入化による、あるいは組織化の分業に於ける相対的な環境の違いに基づく認識の違和の他律的原理化による、体系への編入(常識)は、そこに於ける衝動及びその原動力たる進化の展開が認識されぬ以上、自我(衝動充足)以外の先験的価値領域を形成する。 そこに於て、進化(反エントロピー=生~充足)方向現象に於ける自己中心的認識の補完を善と呼べば、それに反する被淘汰(正エントロピー=死~非充足)方向のそれを悪と呼びうる。 その、短絡的利己の社会システム的(認識外)矯正としての、善-悪寄生体系は、より高まる認識に於て、内なる物理=自己の認識システムの存在原理(~不確定性)としての把握と、外なる物理=社会システムの自己の生命の延長としての把握による、全衝動の自己の生(反エントロピー)への集束によって、認識体系に吸収され、即ち全環境(宇宙)の自己としての理解と、全行動の(生産)の利己としての把握に到達する事により、その「意志による生=生存自体による充足」は、最高認識に基づく最大生存に於ける完全充足、即ち最大充足を実現する。 それこそ、現象の如何を問わず、一切の認識=全ての宇宙の、究極の理想であり、善悪の概念は、飽くまで妥協的修正(他律的常識)であって、善は過程として善(生産)であっても、本質として悪(非認識=非充足)に属する。

su-darabusi
質問者

お礼

回答の投稿、ありがとうございます いや、なんていうか、思惟の展開を質問したのではなく 体験談、それもごく身近なものを聞かせて欲しいなと・・・・・ >善は過程として善(生産)であっても、本質として悪(非認識=非充足)に属する。 これについては、いささか反論があります。稿を改めて質問させていただきます。

回答No.1

対立するあらゆる問題がこれになるんじゃないかな。 慰安婦問題、原発問題、尖閣問題・・・一方が善をなさんと欲し、その発言や行動は他方からみると悪をなしている。

su-darabusi
質問者

お礼

回答の投稿、ありがとうございます >対立するあらゆる問題がこれになるんじゃないかな ウ~ン、違うと思います。 たとえば、ヤクザの因縁は、金を欲しているだけで「善悪」なんて念頭にないようです 強いて言えば「金は俺様にとって善である」ということになるのでしょうが さて、それで「善を欲している」といえるのかどうか・・・・・

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