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人間の観測が宇宙の未来を決定している?

物理法則とは宇宙が生まれたとき、あるいはそれ以前から決まっていた事なのでしょうか? それとも、人間がその物理法則を発見(観測)したときに、それまでいくつもの物理法則がもやのように存在していたのが収束して、一つの法則しか存在しなくなったのでしょうか?

  • mof
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回答No.8

ANo.7です。 > チコ・ブラーエの観測について。 > それ以前の最も始めに天体を認識した存在によって、天体の存在が観測され、占星術師によって、動き方が観測され、そのあとチコ・ブラーエが観測したときには、すでに収束は終わっていたと仮定します。 まず第一に、その仮説を物理学として主張するのであれば、何らかの観測事実に基いていなければなりません。もし根拠とする観測事実や、将来に検証する手段を考えることが不可能なのであれば、その主張は物理学の範囲外でなされたものということになります。 そして、法則というものの言葉の解釈の問題になりますが、現代の科学で言う法則は、それ自体は(その適用範囲内では)いつでもどこでも成立つものでなければなりません。 もし法則自体が変化するのであれば、その変化に関する法則を求めようという話になり、それが求められた暁には、そこまで含めた全体が、実は法則と呼ぶべきものだったということなるわけです。 つまり「法則」というものの定義に普遍性ということが含まれているのです。当然どんな法則にも適用範囲があり完全な法則は存在しませんが、その適用範囲内では普遍的でなければなりません。ある法則が普遍的でないという主張をしたとすれば、それはその法則がそもそも不完全だという主張と同義になります。 そして確かに、そのような「法則」という言葉の定義にあてはめたときに、ケプラーの法則や、ニュートンの法則が、真に普遍的な「法則」であるということを、厳密に証明できる人はいません。例えば、観測データがそろう以前も含め過去のすべての時点でそれが成立っていたことや、極端には明日急にそれらの法則が成立たなくなることが起きないなどのことを、数学のように厳密に証明することは不可能です。それは物理法則が根拠とする観測データは常に有限であり、そこから無限の情報を含む普遍的なものを求めようとした結果が「法則」だからです。 しかしながら、それらの「法則」は、現時点で観測されたあらゆる現象に基いて考察した結果、ある適用範囲の中では普遍的であろうと、多くの人が信じ、その人々によって「法則」と認められているわけです。実際、その適用範囲・精度の範囲内では、過去にさかのぼるとそれらの法則が成立たなくなりそうだとか、未来のある時点で成立たなくなりそうだということを示す観測事実は存在しません。 要点は、物理学は観測事実に基いて議論を進めなければならず、「法則」は観測事実から帰納法的に導かれたものか、もしくは数多くの観測事実により検証されたものでなければならないということです。そして観測事実が有限である以上、どんな法則も厳密に証明することはできませんが、数多くの観測事実に照らし合わせて普遍的に成立つであろうと考えた多くの人々によって「法則」と呼ばれているわけです。 逆に言えば、物理学で出来ることは、より数多くの観測事実と比較して、より正しそうなものを見つけるところまでであり、どんなに多くの観測事実をもってしても納得しない人々や、観測や立証のしようがないことを主張している人々を説得することは、物理学の範囲内では原理的にできないのです。 そのかわり、そのような主張の中には物理法則の成立不成立に関するものは含まれることができません。もしそのような主張が含まれるとすれば、それは物理学の土俵の上の話とみなされ、観測事実による裏づけや検証可能性を示すことを要求されることになります。 > ケプラーの法則は発明でないと言い切れるでしょうか? > 別の説明の仕方が採択されれば、そこから異なる物理法則の宇宙が始まっていたと考えることは、否定できるでしょうか? これについては、間違いなく言い切れますし、否定できます。ANo.7にも書いたように、ケプラーの法則というものがケプラーの頭の中でまとまり、公表された時点よりも、ずっと以前から明確で詳細な観測データがあったからです。しかも法則の発見者が知らなかったデータが後から見つかるのもありがちな話です。 もしご主張のように、チコ・ブラーエの観測終了時が、「収束が終わった時点である」という文脈で言うならば、法則の発見が実は「発明」だったということではなく、チコ・ブラーエの観測データが「発明」だったということになります。そして、チコ・ブラーエはケプラーの法則を暗に予見しつつ、極めて大量の観測データを何年にもわたって「発明」し続けたことになってしまいます。しかも最初の一つ目のデータからです。その話をチコ・ブラーエが聞いたらさぞかし憤慨することでしょうが(笑)、そうでなくても私にはそのような考えは極めて不自然に見えますし、そのように考える根拠も見当たりません。 またANo.7の繰り返しになりますが、法則の発見は、ごく少数の人間によってなされたものであり、天体の運行が、その時点で急に変化するなどということや、その発見が多くの人に広まるに従って天体の運行の様子が次第に変わっていくなどということは現実にはなかった(あれば歴史書にそう書かれるでしょう)ことも、「法則の収束」という考え方を否定していると思います。 例えば、「物の色」でさえ、基礎的な物理法則に関係しています。実は物の色というものは、量子力学はもちろん、電磁気学や相対性理論にも関係しています。新しい物理法則が発見されるたびに、世界中の物の色が変わって見えるでしょうか。そんなことは見たことも聞いたこともないですし、有り得ると考える根拠もありません。ご主張の仮説が正しければ、物の色に限らず、大きさや硬さや物質としての安定性も含む、ありとあらゆるものが極端に変化していくことになってしまいます。

mof
質問者

お礼

ぐうの音も出ないです。 分かりやすく丁寧にご指導頂き、ありがとうございました。 悔しいので反論を考えましたが、さしあたって思いつきませんでした。 私の中では説得力100%ですね。 むしろ嬉しいです。

その他の回答 (10)

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.11

#9です。 矛盾だとは思っておりませんが、なにか判った気にはなれないといっているのです。 私にとって不思議なのは、ガリレオの有名な「数学は自然を記述するための言語である」という言葉です。 前にも述べましたが、数学は自然科学ではなく、人間の頭がこの宇宙に無関係に造り出したものです。 数学のこの有用性の多大な証拠を見せられ、そして現在この高度に発達した数学を見ると、彼の言葉は不思議でも何でもないと思う方もいるかも知れません。しかし、それは証拠を見たから言えることです。 ガリレオの時代には、まだ微分も積分も知られていませんでした。今の小学校で教わる算数とユークリッド幾何学だけだったのです。そして、そんな簡単な算数だけで記述できた現象なんて僅かな物で、証拠不十分だったのです。なのに上の言葉が出て来たのです。私には神懸かりとしか思えません。 私は経験を積めば積むほど彼のこの言葉の重みを思い知らされています。 物理学を勉強して量子力学を教わると、皆さん、観測量は数ではなくて演算子だと聞いてびっくりします。なにかミステリアスな気になるものです。しかし私に言わせると、観測量なる数が存在すると言ったガリレオの神懸かりが最も驚きだと思います。一旦自然は数学で記述出来ることが分かったら、観測量が数だったり、関数だったり、演算子(すなわち、関数の関数)だったり、関数の関数の関数だったりしたとしても、不思議だとは思えません。くどいですが、一番ミステリーなのはガリレオの神懸かりだと思っています。

mof
質問者

お礼

私は時々子供に勉強を教えているのですが、その子供がとっても成績が悪いのです。 ところが、知らない人が訪ねてきたときだけ、頭が良くなるんです。 妙に。 算数の入試問題とかですけど。 それがまた、答えは確かにあってるのですが、解説を聞いてもどうやって解いたのかわからないんです。 それに速いんです。解き終わるのが。 彼も小さなガリレオなんですかね。 遠く及ばないとは思いますが。

  • shun0914
  • ベストアンサー率44% (48/109)
回答No.10

このような問題はまず「物理現象」と「物理法則」を区別するところから始めないと訳が分からなくなると思います。 物理現象: 人間の所作(知覚、思索、科学的発見)とは無関係に存在するもの 物理法則: 物理現象に与えられた人間の所作の結果 とすると、「物理現象」は宇宙が生まれたとき、あるいはそれ以前から決まっていたと言えると思います(もちろん違った形の物理現象が起こった可能性はあります)。そのような現象を説明・理解・予測・利用する方法が「物理法則」ですから、人間が発見して初めて物理法則が定まったと言えると思います。 この意味で、物理法則は発見以前には「もやのように存在していて発見により収束した」のでなく、「存在しなかった」と言えます。もちろん人間によりいろいろな法則の可能性が仮説として考え出され、実験などによりどれが正しいか決定された多くの場合は収束と呼んだ方がしっくりするでしょうが。 >量子力学の中に出てくる「観測者」とは結局人間のことなのかと… 量子力学における観測者とはまさに人間です。人間の観測によって初めて物理量(オブザーバブル)がある値を示す、という考え方は奇異に思える人もいますが、観測しなければどのような値か分からないわけですから正しいと思います。現象は人間の観測とは無関係に起こっているはずですが、直接的なり間接的なり観測しないもの(できないもの)は科学の範疇を越えます。人間の観測によって初めて現象の存在が確定し、観測しないなら存在するかどうか人間には分からないというのが正確なところではないでしょうか。人類の発生や科学者の誕生以前にも宇宙はある意味存在していたでしょうが、それを知る術はなかったというだけです。 >人間は…運命によって定められた世界で生きているわけではない ことは量子力学的にもそうですが、マクロ的にもカオスなどがありますから、世界が非決定論的であることは正しいでしょう。宇宙の未来となると大勢は決まっているでしょうけれど(まだ人間はどのようになるか知らないだけで)。 >「考えること」がそもそもなければ、宇宙の過去は「もや」のまま なのは、あくまでも人間にとってです。人間の思索など(物理法則)に関わらず、宇宙の過去(物理現象)は厳然と存在していたわけで、人間が観測して初めて存在するわけではないでしょう。人間にとって存在が確定する(確信される)だけです。 >光は粒子でも波でもあるなんて これは光のある側面を観測すれば粒子であり(ひとつふたつとカウントできる)、別の側面を観測すれば波である(プラスとマイナスの変位があり干渉などが起こる)というだけです。実際には光は量子以上のものでも量子以下のものでもありません。そんなものだと納得するほかありません。量子を何とか日常の概念で理解しようとしたら、粒子でもあり波でもあると描写されるだけで、納得しにくいけれど、要するにそんなものなのです。 表題に戻ると >人間の観測が宇宙の未来を決定している? はないでしょう。人間の観測は小さな(ミクロということでなく宇宙よりずっと小さな)ことを除き、宇宙の未来という現象に何ら影響を及ぼさないでしょう。観測によって現象に物理法則が与えられ理解・利用されるだけでしょう。もっとも科学技術文明が始まって200年ほどなのに、人間の所作が地球温暖化を招くなどからすると、将来的には人間が宇宙をどう変えてしまうかは分かりません。(地球温暖化は人間の経済・科学技術・工業活動とは無縁の自然現象であるという説もあります。)

mof
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.9

#6です。 そこのお礼欄で貴方がおっしゃていたことに関連のあることに触れます。これは反論というよりも、参考意見というつもりで書いております。貴方の思索の糧にして下さい。 私はあるとき、ノーベル賞を受賞された方に「物理学の第一級の仕事とはどういう仕事か」と聞きました。私は私なりの意見を述べたあとそれを聞いたのですが、その方は私が考えなかった視点で答えてくれました。その方の意見は次の通りです、 「物理学の第一級の仕事とは、この宇宙に存在する事物の限界を指摘することだ。その限界を知ることが、この宇宙の個性を認識することだ。例えば、アインシュタインは光りの早さ(1秒に30万Km)より早く物を伝えることが出来ないことを発見した。相対性理論の誕生です。プランクは長さx速度x質量がプランク定数というこの宇宙で決まっている値より小さくは出来ないことを発見した。量子力学の誕生です。カルノーやクラウジウスは時間は後戻りできないことを発見した。熱力学の誕生です。」 このように、物理学を含めた自然科学とは、われわれ人間の脳みそが考えることができる論理的に整合したあらゆる可能性の中から、われわれが埋め込まれたこの宇宙は「あれではなくてこれだ」との個性を探る学問です。ですから、物理学者は必然的に特殊性に興味がある。 この点が、物理学者が数学を使いながらも、数学者とは本質的に異なった者としているところです。数学とはわれわれ人間の脳みそが考えることができる論理的に整合したあらゆる可能性を探ろうとする学問です。ですから数学者は、物理学者とは反対に、特殊化ではなくて必然的に一般化に興味を持っています。 (余談ですが、このように数学者と物理学者は全然文化が違う世界に住んでいるので、この両者の間の会話はほとんど不可能です。) 要するに、自然科学とは「何ができないか」を探る学問です。 それに対して、上で述べた「人間の脳みそが考えることができる論理的に整合したあらゆる可能性を探ろうとする学問」は人文科学とよばれています。したがって、数学は現在人文科学の一種に分類されています。 この見方をすると、貴方は「この宇宙」や「自然科学」に興味を持っているというよりは、「人間」にその思索の中心があるとの印象を受けました。 ところで、「この宇宙の一部である人間がなぜ、この宇宙に無関係なことを思索できるのか」という面白い問題も有り得ます。 教えて!goo 「神の存在証明」の質問 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3279838.html に対して、#4に自然科学とはどういう物かに付いて触れておきましたのでそれも参考にして下さい。

mof
質問者

お礼

先生、勉強になりました。 ありがとうございます。 >ところで、「この宇宙の一部である人間がなぜ、この宇宙に無関係なことを思索できるのか」という面白い問題も有り得ます。 これについては、何が矛盾しているのでしょうか? 宇宙に無関係なことを考える必然性がないのに…ということですか?

回答No.7

mofさん、こんにちは。 > 物理法則とは宇宙が生まれたとき、あるいはそれ以前から決まっていた事なのでしょうか? 物理学というのは、現実に起こることを扱う学問です。ここで「現実に起こること」は、時間の流れの中のどこかで「起こる」ことでなければならず、原理的に直接または間接に観測可能なことでなければなりません。またそれが「時間」というものの範囲を定義しています。従って、「時間が始まる以前」は物理学で考える範囲を超えています。 ここで、「宇宙」という言葉をどのように定義するかにもよりますが、今仮に、「宇宙が生まれたとき」を、「時間の始まり」とすれば、上で述べたことより、宇宙の始まり以前には何も起こっていなか、仮に起こっていたとしても観測できないことになるわけで、やはり物理学を適用して考えることではないことになります。つまり物理学的には何かが起きていたかどうかを定義することすらできません。 従って、そのような意味での「宇宙」を考える限りは、「宇宙が生まれる以前の物理法則」というものを定義することができません。これが前半のご質問に対する答えです。 後半のご質問は、人間が物理法則を発見したのは、宇宙が生まれるよりも、はるかに後になるわけで、前半とはまったく意味が異なります。 > 人間がその物理法則を発見(観測)したときに、それまでいくつもの物理法則がもやのように存在していたのが収束して、一つの法則しか存在しなくなったのでしょうか? 現在の科学では、そのようには考えられていません。実際、人間が発生する以前の宇宙にも、同じ物理法則を適用して物事を考えることが一般的に行われていますね。それは物理学以外の科学でも同様です。 簡単な話、物理法則を発見するのは、現象が観測・発見されるよりも、だいぶ後になることがむしろ多いわけで、ある物理法則が過去に観測された現象のデータをよく説明するということ自体、物理法則の発見よりも以前からその法則が存在していたことを示しています。 初等的にわかり易い例で言えば、チコ・ブラーエが天体の動きを綿密に観測し、そのだいぶ後に、そのデータをもとにケプラーがケプラーの法則を発見しましたね。またチコ・ブラーエが綿密に観測する以前から、占星術師は同じような天体の動きを見ていました。 また、ニュートンが万有引力の法則を発見するよりもはるか以前から、りんごは同じように地面に落ちていたし、月は地球の周りを規則的に運動していました。 このように、法則が発見される時点は、何の特異点にもなっていません。そもそも一言で人類などといっても、人間は沢山存在しているわけで、そのうち誰か一人か、一部の人が何かの知見を得たその時点で、物理法則のあり方が変わってしまったら、他の人たちの生活が瞬間的にどうにかなることになってしまいますが、そんなことにはならないですよね。人間が知らないだけで、現に存在する物理法則に従って様々なことが起きていると考えないと、矛盾してしまいます。 そういう意味で、物理法則は、「発明された」とはいわず、「発見された」といいます。つまり元々存在していたものを見つけたという意味です。 補足すると、こういう事情は量子力学を考えたところで何ら変わるところはありません。量子力学で観測によって収縮するのは「波動関数」であり、法則は何も変化しません。

mof
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 先生のお話はとても説得力があり、納得できるものです。 ただ、私は疑り深いので、さらに思ったことを書かせて頂きます。 チコ・ブラーエの観測について。 それ以前の最も始めに天体を認識した存在によって、天体の存在が観測され、占星術師によって、動き方が観測され、そのあとチコ・ブラーエが観測したときには、すでに収束は終わっていたと仮定します。 ただし、それを説明する物理法則については未定です。 まだ「もや」なんです。 ケプラーの法則は発明でないと言い切れるでしょうか? 別の説明の仕方が採択されれば、そこから異なる物理法則の宇宙が始まっていたと考えることは、否定できるでしょうか?

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.6

大変良い質問をしていると思います。 物理学とは、単に目の前で起こっている現象を合理的に説明でしようというだけの学問ではありません。物理学のそれよりもっと大事な課題は、貴方のように、この宇宙の成り立ちとは何か、われわれが宇宙を認識するとはどういうことかまで含めて理解しようという学問です。 この宇宙は「決定論」的に出来ているのか、あるいは,「非決定論」的に出来ているのかという問題です。そして貴方の質問は、私が以前にこの欄で「物理学の基本法則」とは何かという問題と絡んでいます。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3209255.html に11通の回答が寄せられていますので、それも参考にして下さい。

mof
質問者

お礼

私は「この宇宙」は「非決定論的」と思っています。 その前提はこういう事です。 およそ人間が想像しうるもの、また想像できないことも含めて、まずありとあらゆるものは既に存在します。それは、我々にとっては実在でない、あるいは認識不可ということを遥かに超えて、あらゆる次元、あらゆる方向、あらゆる領域について、この世に存在しないものはありません。 その世界観において数学を私は完全には信じません。 数学は限定された世界においてしか有効ではありません。 数学が量的真実を表す道具である前提に立たない世界すら存在することをまず認めます。 1+1=1518626987234でも一向にかまいません。 それが真実という宇宙もあってよろしい。 因果律を無視した世界もあります。 りんごが落ちたらバナナになってた。大いに結構。 「存在しないということ」は何もありません。 それほどに世界とは広大なものなのだと考えます。 以上が、まずこの世界の前提です。 その中に、「部分」として、「決定論的世界」「非決定論的世界」等が存在します。でも、それらは広大な砂漠の一針のような存在です。 「数学の量的真実崩壊世界」や「因果律崩壊世界」など、荒涼とした砂漠がその周りに広がっています。 私の世界観は「可能性の大砂漠」です。 なぜ、こう考えるのか。 それは人間の感質の世界を説明するためです。 宇宙には、量的に説明するきっかけすらつかめない領域が、確かに存在します。それが、感質の世界です。 それは「感覚のメカニズム」とは別に存在する「感覚そのもの」はどこにあるのかという問題です。 これを追求していくと、まず感質ありきということに辿り着くのです。 そこから発展して、宇宙を捉えると、私の質問が仮説として浮かび上がってくる動機が生まれます。 人間は「可能性の大砂漠」の中にあって「理性的に矛盾のないものだけを切り出して宇宙を限定する」働きを持っており、この宇宙はそれをシミュレートするための大きな器であり、演算装置。 目的はない。 ただ、そういうものが存在する。 この世界が「非決定論的」であることを人間が選んだ場合の世界。 こんな小説のような世界を物理に詳しい皆様に問うてみたかった。

  • rabbit_cat
  • ベストアンサー率40% (829/2062)
回答No.5

>人間がその物理法則を発見(観測)したときに、 >それまでいくつもの物理法則がもやのように存在していたのが収束して、 >一つの法則しか存在しなくなったのでしょうか? なんか、量子力学っぽい考え方ですね。量子力学、個人的には、物理現象を説明・予測するのに便利だとは思うのですが、シュレディンガーの猫なんかを考えてみても、「生」と「死」がもやのように存在するっていのは、あんまり納得いきませんね。 まだ、多世界解釈のほうが、考えやすいか。

mof
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。 「納得できる」のはニュートン力学までです。 相対性理論は客観的に見て、あまりにも説得力がありますが、「納得」はできてませんよ。光は粒子でも波でもあるなんてね。 でもきっとその通りなんでしょう。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.4

一つ書き忘れましたが、 種宇宙の誕生や真空の相転移を観測した人は誰もいないし、 人以外の事象が"観測"していたわけではないので、 "もや"が収束したということではないと思われます。

mof
質問者

お礼

人間がいなければ、宇宙の過去を知ろうとするものはいません。 つまり、この世界がどのように生まれたかということは、誰にとっても重要でないということになります。 ところが、人間は宇宙の過去について調べています。考えています。 「考えること」がそもそもなければ、宇宙の過去は「もや」のままです。 宇宙の因果律が、人間に認識できる範囲に限っているとすればどうでしょうか?

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.3

ビッグバンの後、「真空の相転移」によって、 ・重力 ・強い相互作用 ・電磁気力 ・弱い相互作用 という4つの力が誕生しました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8 こちらは、東大の佐藤先生の講演資料です。 ビッグバン以前に、虚数時間を通って宇宙が誕生したという説についても書かれています。 http://www.icepp.s.u-tokyo.ac.jp/docs/kouen_satou.pdf これらの、ビッグバン以前のこと、および、真空の相転移(4つの力の誕生)については、 必然ではなく偶然に起こったとするのが正しい見方だと思います。 つまり、我々が住んでいる宇宙の物理法則とは全く違う物理法則の宇宙になっていたかもしれない、ということです。

mof
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • 432happy
  • ベストアンサー率38% (42/110)
回答No.2

mofさんが宇宙が大きな物理法則によってある特定の方向に向かっていくと思っておられるのなら違うと思います。 たとえばフレミングの左手の法則、とかニュートン力学とか発見されたときにはそれで説明が付くと思われていたのが、観測機器が発達してよくよく調べれば、それらの法則で説明の付かないことが出始め、それらを説明するためにアインシュタインとかが新しい法則を発見していくのです。さらに思考実験の結果から未知なる物があるのではと、小柴先生のようにニュートリノ存在を証明しようと努力されたりと、人間は、より確からしい法則へ近づいていくと思います。 しかし人間がすべての宇宙現象をあるいは物理現象を、説明できる統一的法則を発見したとしても、未来はわからないということです。 それはあまりにも膨大な計算だからわからないのでなくて、未来はどっちに転ぶかわからないということです。それが物理の結論だと思います。

mof
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >mofさんが宇宙が大きな物理法則によってある特定の方向に向かっていくと思っておられるのなら違うと思います。 特定の方向に向かっているとは私も考えていないんです。 専門家ではありませんが、量子力学の考え方を私は支持しています。 ただ、その量子力学の中に出てくる「観測者」とは結局人間のことなのかと… フレミングもニュートン力学も、それに気付いたのは、自覚したのは人間です。他の動物はそれを知ろうとはしない。 人間が、宇宙の未来は決定されてない、運命によって定められた世界で生きているわけでない、と信じるためには、量子力学的世界観が必要でした。 なんだか、都合よくそう決まったような気がする。 そんなふうに感じたことはありませんでしょうか?

  • proto
  • ベストアンサー率47% (366/775)
回答No.1

これは物理学ではなくて哲学の問題かと思いますが、 少なくとも、今まで物理学を築き上げてきた偉大なる先人達は、「この世が誰かの気まぐれで揺れ動いているのではなく、すでに何か確かな法則性がある」ように感じたから、観測などからその法則を発見しようとしたんだと思います。 その意味では、発見より前から法則は決まっていたのでは?

mof
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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    宇宙人がいるとして宇宙をどのような方法で観測しているのですか? 池の中に住むプランクトンやミジンコにとって、池の外には、大きな世界があることは知りようもないし、それを観測するすべも持っていません(たぶん)。人間も、気づいていないだけで、どこかに他の世界があり、そこでは、池の中のプランクトンを眺める人間のような存在が、宇宙人として、地球の人間を眺めているかもしれません。想像です。 さて、現実的には、体が水やたんぱく質で出来ている宇宙人がいるとして、脳で知覚して、観察や記憶をするとして、どのような手段で宇宙を観測しているのでしょうか? やはり望遠鏡でしょうか?

  • 観測の仕組みこの世の仕組みとは?宇宙は何故美しい?

    観測することで、「物質が現れる」らしい?です。 シュレディンガーの猫の実験では、箱を使っていますが、 観測する前で状態が確定しないらしいです。 実験では、死んでいる状態と、生きている状態が確定しないらしいです。 これって、現実では、人が「立っている状態」と、「歩いている状態」とかにも置き換えられますかね? つまりは、様々な確率が宇宙に存在する?ということです。 他世界宇宙論?違う。。。多世界解釈?・・・。パラレルワールド? 観測前は、存在する、存在しない、とかありますか? 例えば、自分が見えている範囲=自分が観測している、物質は観測されている、 だから、自分が見えている範囲のみしか、「存在しない」? つまりは、自分が見えていない範囲=遠い場所=遠い駅、人、建物、モノなどは存在しない? ということなのでしょうか?(そういう解説のブログがありました 神Eyeというようなブログ名。) 特に疑問に思ったのは、 「自分」と、「他人」の観測の関係です。 両方とも、「目」や、5感があります。 つまり、「両方とも観測が可能な存在、生物」だということです。 人と人が対面している時は、「互いに観測し合っている」ということでしょうかね?・・・w でも、観測する=物質の状態を確定させている、ということですよね? この辺が、「何か変なよーな?」という疑問になります。 例えば、自分の目で、自分の手、自分の服、などが見えますよね? そうすると、わかりやすく言えば、 「自分の肌の色」が見えるわけです。大きさとか?・・・。 で、相手の目でも、観測行為ができます。 相手の目で、自分の手、自分の服を観測する、される。 「自分の肌の色」も、相手に観測されます。見えます。大きさとか?・・・。 自分の目と、相手の目で、同じ物質を観ている、、、ってことか。 つまりは、机の上にりんごがあって・・・・ 同じ物質を観ているが・・・大きさ・形・色、などは、完全に同じ物質として、観測できているのか?ということです。 大げさに言っちゃえば・・・・ AさんとBさんがいて、Cさんを観測するとします。 その時・・・・普通、一般的、常識的には・・・・ 「同じCさんを、AさんとBさんを見ている」ということです。 そこで、A「Cさん、最近ちょっと太ってきてない?」と言います。 B「うん、確かにそうだね。」と言います。 Cも、自分が太ってきたのを知っています。「そうだねぇ・・・」と言います。 これらの事実からすれば、確かに、「Cは太ってきた」と、客観的にも事実であり、真実であり、 物事は確定されている、と結論付けることもできます。 これは、今でも、「常識」となっています。 また、TVを観ても、「同じ話題」で、皆楽しむことができるわけです。 「○○という芸人はxxという馬鹿なことしてて、面白かったね~w」と、「共通の話題」で楽しくなれます。 「太ってきた」という、会話もまぁ似たようなものです。 これらから考察すれば・・・・? 宇宙は1つであり、真実は1つ。だということにもなります。 「観測していても、真実は1つずつ」だとも言えます。 原子・分子・クォークなどは、確かに動いているが、それはそれだけで、確かな動き、だということです。 ただ・・・初めに書いた通り、「観測の問題」というのがあります。 シュレディンガーの猫などの実験です。二重スリット実験というのもありますが・・・よくわかりません。 「物体は、不安定な存在で、確率によって決定されるのか?」という謎です。 YouTubeにありますが、バシャールは、宇宙はパラレルワールドで、 自分が宇宙を選択している、と言っています。(彼は合ってるような、有り得ないような動画が多々あるが。例えば宇宙人とか有り得ないことを・・。) http://www.youtube.com/watch?v=QNaip71ZO5Y これなんかそうですね。輪廻転生なんかも、私は信じてません。ただ、死んだ後はどうなるか?わかりません。 ん~・・・・・動画を観ると・・・?宇宙というか、地球が無限?にあるらしいです。 本当にそうなのでしょうか? 時間とは何か?ということです。 瞬間瞬間の連続が、時間の流れになっています。 動画のようですね。 ABCDEFGH・・・・という、フレームが、時間の流れ=現実となっています。 現実を自分が選んでいる、観測し、決定している、とすれば? 瞬間瞬間を自分が選び、決定している、ということですよね? つまり、オカルトで言うように、現実は自分が創造している、というような話になります。 1人1宇宙論です。エヴァンゲリオンです。 あと、忘れないうちに書くと、 アニメ小説の、とある魔術の禁書目録で、量子論とか、出ますが・・・・ 「飴玉が箱に入っています。この中は何が入っているでしょう?」と言います。 外へ出し、確認します。飴玉です。それをまた箱へ入れます。 「さて、中に入っているものは何でしょう?」と問います。 回答者は、「飴玉に決まっている。」と言います。常識的にはそうです。しかし、 「でも、チョコが入っていると思い込むことができたら?」 >小萌先生はシュレーディンガーを持ち出し「チョコの箱の中にアメ玉あると信じ、実際にアメ玉を手にした人」が超能力者と説明する。説明を受けるシスター。 つまり、可能性、確率が色々とあって、「自分の望む確率」を手に入れる=超能力=自分だけの現実(パーソナルリアリティ)、だということらしい。 「自分の望む現実」ということかもしれません。 現実は、自分が望む望まないに関わらず、自動的に、勝手に決定しているのでしょか? それは、常識です。 だから、例えば人は、自然災害に対してどうしようもありません。 ただ、もしかしたら、潜在意識で、台風の方向とか、天気とか、操っているのかもしれません。 そして、例えば、「自分は無力で、ただの人間で、何もできない無能な人間」だと、アニメの上条当麻のように思っていれば、「そのような望む現実を創造する」ということかもしれません。 現実は、自分が創っているのか?それとも、外部が創っているのか?ということです。 オカルトでは、前者の意見があり、常識では後者の意見となります。 シュレディンガーの猫の実験などの、確率って、「一体何が決定しているのか?」という、謎です。 確率が存在するならば、一体何が決定しているというのか? 単純に考えれば、ルーレットのように、完全にランダムに動き・・・そして、決定される。 でも、この世=現実=例えば目の前にある、りんご、なんかあるとします。 そうすると・・・? 「りんご」は、形としては、綺麗で、色もまぁまぁ良いし、食べられるし、「存在としてはとても良いもの」だとできます。少なくとも生物にとっては。 「この世、現実の景色」だということです。 宇宙です。 宇宙の形です。 タイトル追加しましたが、「宇宙は何故美しいのか?」という、謎です。 星々は、何故、美しいのでしょうか? 宇宙は、人間がいないと、存在できないらしいです。嘘か本当か? 観測するものと、観測されるものは、一体で、一対らしいです。 そうなると・・・?人間がいなかった時代は、宇宙は存在できたのでしょうか? 微生物だけの時代には、宇宙は存在できたのでしょうか? もしかしたら、人間が誕生したと同時に、宇宙が瞬間的に誕生したのかもしれません。 この辺の問題は、学者は考えているのでしょうか? 人間と似た、猿でも、人間の代用ができるのか? ・・・さて、戻ります。 宇宙は、星々は、何故美しいのか? 人間原理というのもありますが、よくわかりません。 宇宙は、人間のために、存在する?ということです。 それならば、人間が宇宙を観測し、宇宙が観測される、代わりに、宇宙が人間に、資源でもエネルギーでも何でも好きなものを提供していく、ということかもしれません。 Win-Winの関係です。 月が無ければ、地球は、人間は生物は、上手く生きていけないらしいです。自転とかなんとか、重力とか。海水とか。 つまり、月すらも、人間が生きていくために、宇宙が用意したということです。 宇宙は生きていないとされていますが、宇宙の意思は感じられる、ということです。 つまりは、宇宙には意思がある、宇宙は生きている、と考えても問題はないでしょう。 宇宙は、美しい。秩序がある。(知りませんw) 秩序と言えば、物理法則。決まり。それは、不変の法則となって、宇宙を動かしている。 秩序=決まり=法律? 人間も、法律が無ければ、秩序が無くなり、混沌な社会となってしまいます。 南アフリカのどっかだか、アメリカのデトロイトのように。 そんな、宇宙の秩序も、徐々に崩壊しているそうです。 これって、宇宙の危機であり、人間の危機だとも言えないでしょうか? 別名もありましたが、忘れました。物質がどうたらこうたら・・・。 さてはて。宇宙は美しい?という疑問です。 別に、美しくなくとも良いわけです。物理法則だって、無くても良いわけです。 つまり、「混沌な無差別な宇宙」もあっても良いわけです。 自由=混沌な宇宙、 不自由=秩序のある宇宙、だとも言えますが、本当かは??? オカルトでは、宇宙誕生前は、自由で、何でも叶う世界だったと言います。 つまり、宇宙誕生後は、不自由で、何でも叶わない世界だとも言えます。 そうなると・・・?混沌=自由ということなのでしょうか? 字数制限終わり

  • 人間は全宇宙の姿について語ることは出来ない

    人間は観測可能な宇宙の姿について語ることは出来るが、全宇宙の姿については決して語ることは出来ない。 何故なら観測可能な宇宙が全宇宙であると立証することは出来ないからである。 もし仮に観測可能な宇宙が全宇宙であるなどと主張したのなら、地球が全宇宙の中心にあることになり、これはまさしく宇宙原理に反するからである。 しかし一方において、宇宙論が全宇宙について語っているのではなく、初めから単に限定された宇宙、観測可能な宇宙についての説明であると断ったとしたなら、これは宇宙論ではなくて局所的宇宙論、あるいは地球近傍宇宙論にしかならないので甚だしくその魅力は喪失し、その存在価値を失うことになります。 つまり宇宙論には本質的に限界があり、もとより科学というよりは一種の宗教や信仰の類として扱わなければ成り立たない、そういうものではないでしょーか。 https://www.youtube.com/watch?v=LR5FBW8ZDDE&t=126s 補足:宇宙原理 宇宙は一様かつ等方であり、宇宙には特別な場所は存在しないという原理。

  • 宇宙人がなぜ来ないのか本気で考えてみました

    最近ニュートンを買って読んでいます。図解で素人の私にもとても分かりやすくて読んでいてとても楽しいです。  さて、この宇宙でなぜ宇宙人及び・未来人が存在しないのか(少なくとも人間が認識できないのか)まじめに考えてみたことを書きますのでもし間違っていたらどうして間違っているのか教えてください。  観測ではまず現在人間の知りうる範囲で地球外生命の痕跡は発見されていないようです。あと、上記の宇宙人ともう一つの未来人とは、時間軸上を自由に移動できる人間および人間外生物のことです。つまり未来から来た人間も含みます。  こういったまったく観測事実のない事を考えるときはどうしても抽象的な可能性を消去法などで消していくしかないのでありえる可能性を考えて見ます。  常識感から言えば宇宙人なんていないでしょー!?とかって思いますが、宇宙の広さを知っている人から見れば何でこないんだよーって逆に思いますよね?(宇宙の広さを知っている人って誰だよ 笑)  でも私自身は空間的にも時間軸上からも(我々の認識する範囲で)人間が孤立しているのは逆に不自然に思うのです。つまりどういうことかというと、今現在未来から人が来ていないということは未来に少なくとも過去に行ける技術(タイムマシン等)が存在しないことを意味しています。もちろん、未来人も因果律が壊れるから法律で過去へのトラベルは禁止されているかも知れませんが、人間の好奇心は絶対に禁止してもやるでしょう。それでも来ないところを見ると過去へのトラベルはおそらくいくら技術があっても不可能なのでしょう。そもそも、未来人が過去を壊せるような宇宙は人間原理的にも人間は存在できないともいえます。    では、宇宙人は何で来ないのか?ですが、一説には宇宙は我々の宇宙のみでなく無数の別の物理法則が働く宇宙があるそうです。また我々とは次元が違う宇宙もあるようです。そもそも我々の宇宙も過去に数十回のビッグクランチを繰り返してきたという話もニュートンに書いてありました。(そんな観測事実もあるそうです)  そんな無限個数の宇宙の無限の大きさの中では、確率的に我々と同等の生物または、はるかに優秀な生物が居て当然で、逆に居ないほうが不自然です。すくなくとも人間の存在が我々の宇宙では生命が誕生できる可能性が有ることのなによりの証明です。それがいかに小さな可能性であろうとも分母となる星の数もほぼ無限ですので分子の数もほぼ無限に近くなるのではないでしょうか。そうすると宇宙には優秀な宇宙人が無数に生息しているはずなのです。我々より数億年前の文明や別宇宙の文明は中には技術の極地に到達しているものも存在するはずでしょう。恒星間移動はもちろん銀河間移動も可能な技術をもち、もしかしたら、時間軸も自由に移動できるかも知れません。そのような文明にもはや空間上の遠い近いなどの概念は存在しないと考えられます。(今の我々には光の速度の壁云々と言っていますが)中には時空を切り裂いて宇宙間移動もしているかもしれません。ビッグクランチ前の宇宙からの移民が移動しているかもしれません。それなのに、なぜ我々に会いにこないのか? 仮説 1.全次元、全時間・空間的に我々は本当に唯一の存在で生物の誕生はこの宇宙で前代未聞の出来事だからそもそも我々以外存在しない。 2.宇宙の諸法則による制限で科学力に制限がかかっているために最高技術の上限が決まっている。よって我々に会いにこれない。 3.宇宙連合が先進文明間で結ばれており、発展途上文明への接触が硬く禁じられている。 4.すでに来ているが完全な擬態をしているので人間は気がつかない。または一つ上の次元の宇宙人からは認識されている。  なんだか長くなってしまいましたが私の妄想を書きました。もし更に宇宙人に関して良い考えがあったら教えてくださいよろしくお願いします。

  • 強い人間原理について

    「重力定数の値が0.00000000000000000000000000000000000001異なるだけで、太陽のような標準的な恒星は生まれなかっただろう。」 「宇宙開闢時の速度がほんの少し早ければ、重元素は作成されず、ほんの少し遅ければ瞬く間に終焉を迎えていただろう。」 「空間が3次元以上で構成されていれば、クーロン型の力は非常に不安定になり、物質がつくられることもないだろう。」 これらはともに人間原理について書かれてある書物を紐解けば、しばしば目にすることが可能な、「いかに現在の宇宙が人間にとって特別あつらえであるか」ということの説明であると私は理解しています。 確かに、この宇宙は人間にとってあまりにも都合がよくできています。 しかし、だからといって、特に強い人間原理の方が仰る 「宇宙は観測者(人間)が生存できるような得別あつらえでなければ、自身を観測するものが現れない。だからその存在を生み出す必然性がある」 という主張には、ちょっと首を傾げてしまいます。 ちょっとした偶然で消えていった宇宙が無数にあるだけかもしれません。 「宇宙には最初から自身を観察する知的な生命体を産み落とす意思(必然性)があった」と考える根拠が、現在の宇宙の偶然性に頼っているのは説得力が欠けるように思われます。 ものすごく幸運で偶然の上に現在人類が観測しているという事実を分子に置き、物理法則が異なったから存在できずに観測されなかったであろう、その他の宇宙の可能性を分母とする場合、その分母の数なんて誰にもわからないことですよね?? 私が「強い人間原理」を誤解しているでしょうか? 私は物理学を一般の啓蒙書を読んだ程度の知識しか持ち合わせていないので誤解しているところが多くあるかと思いますが、ご回答よろしくお願いいたします。 長い質問文で失礼しました。

  • もし宇宙が東京ドーム程の大きさで・・・

     もし宇宙が東京ドーム程の大きさで宇宙が膨張も縮小もしていないとして、その宇宙のある点から宇宙の果てに向けて望遠鏡を覗くとどのように観測されるでしょうか?(物理的な法則はこの宇宙のものと変わらないとします。) ふと思った素朴な疑問です。気楽に答えていただければと思います。  

  • 観測可能宇宙は部分集合と考えて良いですか?

    観測可能宇宙は部分集合と考えて良いですか? 観測可能宇宙に関して以下の二つの考え方があると思います。 命題1:観測可能宇宙が宇宙の総てである(=観測可能宇宙が全体集合)。 命題2:観測可能宇宙は宇宙の部分集合であり、補集合を想像することは無意味ではない。 最近の研究によれば、不思議なことに宇宙空間の曲率は0らしいということが解ってきました。すると曲率がマイナスと思っていたときには疑問に思わなかったことが疑問になってきます。 仮説(1):宇宙空間の曲率は0である。 仮説(2):ビッグバン宇宙の宇宙年齢が約137億歳である。 仮説(3):相対性原理は宇宙空間で一般に有効である。 さて、地球の公転面に垂直な線を想定し、その一方向に100億光年ほど離れた星を見付け、これを「北星」と名付けます。同時に反対方向にやはり100億光年ほど離れた位置に別の星を見付け、これを「南星」と名付けます。宇宙空間の曲率=0ですから、北星と南星は大体200億光年ほど離れており、それぞれの星を中心にミンコフスキー時空を考えると、宇宙年齢137億歳の現時点では、北星と南星は相互に因果関係が無いことが分かります。 仮に上記の命題1.を真とすると、北星と南星は同じ宇宙に属していないことになり、このことは宇宙が複数あるという議論に発展してしまい、ビッグバン宇宙仮説に反します。 したがって、北星からみた観測可能宇宙と南星からみた観測可能宇宙はともに宇宙の部分集合であり、宇宙論としては観測可能宇宙の補集合は「空」では無いこと、そして空で無いなら議論する意味が有るという結論に達します。 私たち観察者が太陽系にいるので、宇宙年齢137億年の現時点において半径137億光年とハッブル球の積集合が観測可能宇宙です。この観測可能宇宙の外側にも恒星が散らばっており、それぞれがハッブルの法則で「光速を超えて」私たちから遠ざかっていると考えてよいのでしょうか。 この様な整理をすると、今度は仮説(3)に制限を加えなければなりません。 仮説(3)改:相対性原理は観測可能な宇宙空間内において一般的に有効である。 上記の考えに破綻が無いかどうか、御意見をいただきたくお願いいたします。

  • 宇宙の基本原理その1 - 一体宇宙原理

    一体宇宙原理  「宇宙と宇宙の法則は一体である」 宇宙なくして宇宙の法則は存在し得ず、また宇宙の法則なくして宇宙は存在し得ない。 宇宙と宇宙の法則は一体であり、分離不能であり、いずれも単独では存在し得ない。 従って宇宙なくして宇宙の法則だけが単独で存在することは有り得ないということ。 これは宇宙の基本原理の中にあって、最も本質的、根源的原理である。 ビッグバン宇宙論によると137億年前に宇宙は誕生したという。 しかしこれはおかしな話である。 何故なら宇宙の誕生プロセスは宇宙の法則が存在しなければ起こり得ない。 ところが宇宙の誕生以前には宇宙は存在しないのである。 つまりこの時点では宇宙は存在せず、宇宙の法則だけが単独で存在していることになる。 これは一体宇宙原理を真っ向から否定するものである。 何故なら宇宙なくして宇宙の法則だけが単独で存在することは有り得ないからである。 それ故に137億年前に宇宙が誕生したというビッグバン宇宙論は完全に間違いである。 このよーに結論できるのではありませんか。

  • 未来は確定しているのですか?

    今朝、天気予報を見ていて思ったのですが、天気予報のように未来もシュミレートできるのでしょうか? まず前提として、今、私たちの居る宇宙の全ての物理法則、物質の構造、物質の量、エテルギーの量、エネルギーの向きなどが全て分かっているとします、この宇宙に存在するものは全て物理法則にしたがっているので未来はシュミレーション通りになり、未来は確定されたものになってしまうのでしょうか? それともシュレンティンガーの猫のように確立でしか定義できない事もあるので未来はやはり確定していない事になるのでしょうか? 物理学は法則性を見つけ出す学問だと思いますし法則に例外は無いとも思います、そうすると未来は確定しているような気がするのですが、どうなのでしょうか? 素人考えなので的外れな質問かも知れませんが宜しくお願いします。