• ベストアンサー

苗字について。

平民苗字必称義務令によって、当時の平民は苗字を義務付けられ、 自己申告制みたいな感じでかなり自由に名乗れたみたいなのですが、 たとえば、「徳川」や「源」といった特別(?)な苗字でもよかったのでしょうか? それとも、例外的に認めれない苗字もあったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • m-jiro
  • ベストアンサー率55% (92/167)
回答No.4

ちょっとご質問からそれますが・・・ 江戸時代には苗字は無く明治になって強制的に付けた、というのが常識になっています。しかし「持っていたけど公式には仕えなかった」というのが正しいです。(尤も永い間にわからなくなってしまい新しく付けた人もいたでしょうが・・・) 持っていたことの例証として、墓標があります。たいてい俗名は苗字付きで書いてあります。墓標はプライベートなものとして黙認されていたのでしょう。 しかし村の公文書とか借金証文などには苗字御免の人以外は絶対に書いてありません。苗字御免の場合でも家ではなく、個人に与えられています。領主に対して功績があった場合などに褒美として与えられますが、一代限りとか永代といったランクがありました。 古文書から当時の人を追っていると苗字がないというのは実に大変です。苗字があれば、あの家か、と見当がつくのですが、そうは行きません。それに公式には苗字は「無い」わけですから変えるのも勝手だったようです。 書類には一般にハンコを押しますが、苗字御免でない人も安倍とか小泉などと苗字を彫ったハンコを使う場合が多かったようです。中には明らかに安倍姓のはずなのに小泉というハンコを使う人もいたとか・・・

ELLEO
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! 裏事情では、実はけっこうな人が非公式で、 何かしらの苗字らしきものを持っていたようですね! たしかに、古文書を読んだ場合に、苗字がない人を追うのは、 すごく大変そうです・・・。 ありがとうございました!

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (3)

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.3

質問内容からは若干それますが、参考程度にちょっとした「歴史の一説」について回答してみたいと思います。 苗字というのは、元々「氏」で部族集団を表す為のモノでした。 その後、「姓」というのが現れ、これは「血筋」を表すモノでした。 「血筋」はそのまま支配者階級の「権威」に繋がっていました。 しかし、「権威」ある「血筋」の者であるという事を僭称して威勢を張る者が現れ徐々に「姓」と「氏」の境界が曖昧となっていきました。 そこで、「権威」を強調したい朝廷や豪族が「名字」を名乗り出します。 「名字」は743年に開墾地の私有が認められたことから、開拓者や土地所有者がその地を領有していることを示すために始まったとの説があります。 ただ、土地の名が名字になったのか名字が土地の名になったかはケース・バイ・ケースなようです。 その後、武士が台頭していくなかで「名字」は武家の威勢を示す役割を持つようになっていきました。そして分家制度が構築されていく中で、「苗字」が生まれたようです。 この「苗字」とは稲が実り子が増えていくように、「家」が繁栄し子々孫々までお家が続きますようにという意味で付けられたと言うのが有力なようです。 時代は下り、江戸時代になると「苗字」を名乗るのは武士階級と特別に貢献した医者・学者・商人など一部の人間に限られるようになりました。 そして、もし僭称したら罰金や刑罰が科されたようです。 そのため、明治三年に「平民苗字許可令」が公布され国民全部に苗字を名乗ることが許されたものの、平民は罰金や刑罰が科されるのではないかと疑い、なかなか申告する者が現れなかったようです。 その為、明治八年に「平民名字必称義務令」を布告して苗字の創設を強制しました。 しかし、平民はどう名乗ったら良いか分からなかったので、多くの人は神主や僧侶に命名を依頼したようです。 これによって、ある程度「氏家制」に基づいた命名がなされた(神社やお寺には先祖を示す資料があったから)ようです。 ただ、中には自分たちの由来が分からない者もおり、その為珍しい苗字が生まれたようです。 以上、苗字の歴史の一説でした。 ただ、苗字の歴史というのは分からない点が多く、これはあくまでも一説と考えてください。 参考になれば幸いです。 あと、面白いサイトも見つけたので合わせてどうぞ。(笑) http://www.myj7000.jp-biz.net/

ELLEO
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます! なるほど、そのような背景があったんですね。 ご紹介のHPにも、いろんな苗字が掲載されており、 大変興味深く見させていただきました。 ありがとうございました!

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • hukuponlog
  • ベストアンサー率52% (791/1499)
回答No.2

自己申告制と言っても、実際にはそうでもなかったようですよ。 まず、ある程度の農家や町人は、表だって名乗らなくても苗字や屋号(と言っても、「越後屋」とかではなく、苗字に近いもの)を持っていました。それを申告しただけです。それ以外の人は、自分で考えるよりも旦那寺の住職に付けてもらう場合が多かったようです。それを一括して町役人に届けてもらう、というやり方です。そうなると、徳川だの源だのは、常識として外しますよね。一種の自主規制です。住職にしても、どこの馬の骨とも分からない貧乏町人に、あまり立派な苗字を付ける気にはなれないでしょうし。しまいにはネタ切れになることもあったそうです。 で、ごく一部の人が、自己申告に行くわけですが、この時「徳川」などと申告しようものなら、係の役人に怒鳴りつけられたということです。当時はお役人様の時代ですから。そんなわけで、幸か不幸か、徳川さんも豊臣さんも少ないのでしょう。

ELLEO
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます! たしかに、住職も貧乏町人にあまり立派な苗字を付ける気にならないですね(笑) 当時のお役人も、怖そうですし・・・。 やはり、農民は、自己申告といっても分相応な苗字になったんですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

原則自由でした。 天皇陛下という苗字を名乗ろうとしたという話がありますが、さすがにこれはダメだったようです。

ELLEO
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よっぽどのことがない限りは、自由だったみたいですね! それにしても、「天皇陛下」という苗字・・・。発想がすごすぎです(笑)

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 苗字は自由につけられた?

    平民も苗字がつけられるようになった時、自由につけられたのでしょうか? それとも偉い人と同じものは駄目とか、使ってはいけない漢字があるなど制限はあったのでしょうか?

  • 苗字と先祖

    廃藩置県で、平民にも苗字が認められたとき、徳川や結城などしゃくいに継承されたものは除外されました。私の祖父は旧爵位を持ち、結城の性ですが、ご先祖は結城家に近いと考えてよろしいでしょうか?社会の先生や、歴史に詳しい方に良く言われるもので…。 日本史や、茨城県関係に詳しい方にお願いします。

  • 珍しい苗字は昔身分が低かった?

    私の苗字は珍しいもので、全国的に見ても数は3桁いくかいかないかのあたりです。 そこで、多分そのことを知らないででしょうけど(知ってたらどれだけKYだという話だ)友人が 「珍しい苗字の人の先祖は昔身分が低かった(平民ではなかったという感じの言い方だった)らしいよ~。  逆に多い苗字の人は大繁栄したんだってぇ」 って言ってました。 これは本当なのでしょうか? あまり家柄にこだわるわけではないのですが・・・

  • 苗字と名前の間の’の’

    ガキのころから気になっていたので誰かご存知の方がいらしたら教えてください。 ちょうど平安から鎌倉に時代が変わるころのことです。 菅原道真や藤原道長や平清盛、源頼朝は苗字と名前の間に 'の'がつきますよね。たいらのきよもりみたいに それが執権の北条氏になったらそれ以降'の'がつかないじゃないですか。 足利氏や徳川氏などいろいろ歴史で学んできましが'の'がつく人はいません。 これは何ででしょうか。 ちょっとしたことですが気になるんです。 よろしくお願いします。

  • 歴史上の女性の苗字について

    質問が三つあります。 武家の娘というと北条政子や日野富子などがありますが これは当時もこのような呼称だったのでしょうか? それとも当時は単に政子とか富子というだけで、後の 人々によって苗字がつけられただけでしょうか? これに関連して、では貴族の娘に関しても苗字があったのでしょうか? 例えば藤原定子という感じで。 更に、何故、戦国時代からの武家の娘は苗字付きではなくなるのでしょうか? それとも当時はちゃんと織田市のような呼称だったんでしょうか?

  • 竹原という苗字が辛いです…

    ずっと気のせいだと思っていたというよりは、気のせいだと思おうと努力していたのですが、やはり気のせいではなかったようです。 私が自己紹介すると、ニヤける人がいて辛いです。 みなさんは、竹原という苗字の人がいたらどう思いますか? 特に若い方は、ファイトクラブの「竹原」を連想するのではないでしょうか? ファイトクラブがやっていた当時は、酷く狼狽しましたが、時間とともに薄れてゆくだろうと願っていました。しかし、未だにこの苗字には、強烈なインパクトがあると思うのです。 同じような経験を持つ方はいらっしゃいますか? 本当に辛いです。

  • 家系図作成ブームと、庶民

    家系図を作成するのが庶民の間で流行っていますが、明治時代以前(苗字必称義務令以前)の先祖にも、「○○家 家系図」の苗字を、せっせと、あてこんでいるのでしょうか。

  • 源氏?

    過去のもので源氏を名乗る事、苗字、姓についての話を読みました。 徳川家康も公文書では源をつかっているとか。 そうなると湧いてきた疑問は源氏といえばあと、倣ったのは平家?ですが、元々日本の姓は源と、平しかないのですか? あまりに初心者で馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれません。 答えるのも馬鹿馬鹿しいと思われるかも知れませんが、その方面に勉強不足のため、素朴な疑問として浮かび上がりました。 普段は考えもしないような難しい社会のお勉強の分野ですので、宜しくご教授お願いします。

  • 氏、姓、苗字について

     QNo.2565061に関連した質問です。ここの質疑を見て、あらたに私が感じた疑問について質問させていただきたく、識者の方のご回答をお願い申し上げます。  藤原惺窩、藤原貞幹に関する識者お二方のお説はよくわかりました。 Q1 藤原惺窩、藤原貞幹の御子孫のご苗字は、現在どのように名乗られていますでしょうか。ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。 Q2 藤原という苗字は、維新以前には存在しないとWIKIPEDIAに出ていますが、ほんとうにないのでしょうか。地名としてもありふれているような感じがしますし、藤原○○という武士や郷士があってもという気がしますが。 Q3 源平藤橘以外にも多くの氏があります。私の家は菅原氏ということになっていますが、苗字は別です。先祖が系図を買った可能性は否定できません(笑)。菅原氏などの他の多くの氏姓を現在そのまま苗字として名乗っておられる方は多くいますが、それらも藤原さんの場合と同じでしょうか。(ある神社の方も氏をそのまま名乗られていますが、この場合は正真正銘の本家ですからよろしいんでしょうけれども)

  • 結婚詐欺

    庶民が家系図を作る目的は何ですか? 苗字必称義務令以前の先祖にも、「○○家 家系図」の苗字を、せっせと、あてこめて、家柄詐称をしてはいないでしょうか。 家系図は相手の家系調査をやり易くいたしますが、正確な情報(横に菩提寺や戒名、身分や知行、他家との婚姻関係など)情報も書き添えてあるのでしょうか?