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”美”はどこからくるの?

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  • ruehas
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回答No.6

こんにちは。 「美」といいますのは身体内外の「環境の変化」に対して我々の脳内に発生する反応のうち、「報酬刺激」と判定される要素に対応する概念です。そして、それは我々がどちらかを選択し、より価値の高い報酬行動を実現するためにあります。 我々の脳内には環境から得られる様々な知覚入力対し、以下のような「利益・不利益の価値判断」を行うための判定基準が設けられています。 「利益:報酬刺激:接近行動」 「不利益:嫌悪刺激:回避行動」 この判定に従い、我々動物は神経系の覚醒状態や身体の生理反応を変化させ、何らかの行動を選択します。つまり、与えられた知覚情報に対してこのような価値判断が下されなければ、我々は如何なる行動も選択することはできないということです。従いまして、まず「美しさ」といいますのは、我々動物が与えられた環境の変化に対応した適切な行動を選択するための判定基準であり、これが即ち「美の生物学的意義」ということになります。 そして、与えられた環境の変化に対し、このようにして身体に発生した反応の結果を知覚することによって、 「自分は今、いったい何に対してその反応を発生させたのか」 我々はそこで初めてその原因を認識することができます。 では、これが自覚されることにより、我々はその原因や結果をあれこれと分類することが可能になるわけです。従いまして、我々が扱う「美の概念」といいますのは、それは環境に存在する反応の原因や要素、あるいはその結果に対する「分類」ということになります。 このように、「美」といいますのは様々な要因によって我々の身体に発生する生理的反応の結果を元に作られた概念です。では、これが「美」と分類されるためには生命中枢や大脳辺縁系に発生した反応の結果が大脳皮質に知覚され、認知されなければなりません。ですがそれ以前に、そもそもこれが「美」として分類可能であるということは、取りも直さず無意識の領域に発生するその反応の結果には、既に「人類共通の判定基準」が存在するということになります。 「食欲」や「性欲」といった生得的反応に従って判定される「報酬刺激」といいますのは、これは無条件で全人類に共通です。これに対しまして、大脳辺縁系の「情動反応」といいますのは生後学習によって獲得される判定基準に基づくものであるため、こちらには「個人の好み」、あるいは生まれた社会や時代の価値観といったものが「個人差」として反映します。 美しいものに対する我々の感情といいますのは、この大脳辺縁系の情動反応によって生み出されるものですが、これは学習行動であるため、必ずしも本能行動のような人類共通という決まりはありません。ですが、基本的には学習といいますのは生得的に定められた反応の基準に従って積み重ねられるものでありますから、例えば「苦痛が利益」といった全く正反対の結果が学習されてしまうということはまずありません。そして、そこには生まれ育った社会の慣習や道徳観といったものが根強く介入しますので、その判定結果といいますのは人類に共通の生得的な反応と、多くのひとに共通の文化的価値観により、必然的に一貫した方向性を持つことになります。 中には、美しいと感じられたり、そうでないというひともいます。ですが、只今申し上げました通り、我々の脳の反応といいますのはみな生得的な規準と社会的な認識といった極めて一貫した共通性を持っています。この共通性があるからこそ、それを「美の概念」として分類することができるわけです。 さて、「色彩と色覚」には陸上生物の進化の歴史上、極めて明確な転換期があり、色鮮やかな花々に美しいと感じられるのは、これは我々の祖先がその時代に獲得した人類共通の反応と考えてほぼ間違いないと思います。 現在からおよそ7千万年前、地上に被子植物が登場しました。それまでの裸子植物は動物に食べられないようにするため、棘を身に付けたり、毒を持つなどしてひたすら自分の身を守っていました。これに対しまして、裸子植物は動物に食べられることによって受粉をしたり、種子を運んでもらうという、それまでとは全く正反対の生命戦略を選択しました。そのためには色とりどりの美しい花や果実を身に纏うことによって動物たちの目を惹かなければなりません。これと同時に、我々の祖先を含め、当時の動物たちはその「色覚」を一斉に発達させました。これは、美味しい蜜や果物を確実に獲得するためです。 このように、花の美しさというのは、元を辿れば食欲に対する報酬であり、それは人類を始め多くの動物に共通の反応です。同様に、女性の美しさといいますのは男性の性欲に対する報酬であります。ですから、最初に申し上げました通り、「美とは何か」といいますならば、それは「報酬刺激」に対して発生した反応に対する分類ということになるわけです。 本質的には、「美」とはこのようなものであります。では、「より強いもの」「より永遠なるもの」、我々はこのような具体的な報酬の得られないものに対し、どのようにしてそれを「美」と分類しているのでしょうか。 「より強い」 「より永遠」 この二つの概念が共に「比較形」であることは一目瞭然です。つまり、物理的・生理的に具体的な報酬がないものに対して利益・不利益の判定を下すためには、それには必ずや複数の対象による「比較」という作業が必要になるわけです。 食欲や性欲、あるいは大脳辺縁系の情動反応といいますのは、入力に対する反応の結果が予め決まっています。このため、入力がひとつであってもそれに対して利益・不利益の判定を下すことができます。では、複数の情報を比較するということになりますと、これはやはり大脳皮質の認知機能を使わなければ難しくなります。ですから、我々がこのようなものを「美」と分類することができるのは、ひとつには、人間の大脳皮質が発達しているからだと理由を付けることができます。 ですが、大脳皮質がそれを行なうにしましても、全く同じもの、何の変化もないもの、このような対象がいくら複数だとしても、それに対して比較を行い、判定を下すということはどうしてもできません。これがどういうことかと申しますと、果たして比較とは「変化」に対して行なわれるものであるということです。ですから、価値判断を行うための知覚情報とは、必ずや「環境の変化」として入力されなければなりません。従いまして、「美」とは我々動物が与えられた「環境の変化」に対応するための重要な判定規準であり、それはより価値の高い反応結果に対して宛がわれる概念ということになります。 美しいと感じる気持ちとは、それは与えられた状況に対して我々の脳内に発生する「心の動き」であります。 空腹よりも満腹。 満腹よりも魅力的な異性。 魅力的な異性よりも自分の恋人。 そして、自分にとって最も美しい者と永遠に暮らすこと。 我々は、より高い報酬に対してその価値を見出し、それを「美しい」と分類しています。

noname#35986
質問者

お礼

人間の生物学的な見地からの<利益:報酬刺激:接近行動>と芸術的な美は直接結びつかないのではないかと思います。 どちらかといえば芸術としての美はそれと対称的な関係にあるとさえ思えるくらいです。 ストイック性とでも言えばいいのでしょうか。生物学的見地からの<「利益:報酬刺激:接近行動」「不利益:嫌悪刺激:回避行動」>のどちらかといえば回避行動的なものから生み出されるもののような。。。 その価値は結果でありそれを想定して産み出されるものでないような。。。 また比較級の美とも違うような。。。 そんな気がするのです。 そういう美、精神性は本来生物学的には回避行動を取らせるのであるが人という種の存続に必要なものなのではないか。それを生の美学という形で現されるのではないかと思ったりするのです。 >空腹よりも満腹。 >満腹よりも魅力的な異性。 >魅力的な異性よりも自分の恋人。 >そして、自分にとって最も美しい者と永遠に暮らすこと。 >我々は、より高い報酬に対してその価値を見出し、それを「美しい」>と分類しています。 といった動物的なものと違った”美”を思うのです。 循環する環境の存続を自然の意志と見られるように。 自然の一環として人類に課せられた”美”の在り方。 のような。。。

noname#35986
質問者

補足

生命戦略として裸子植物から被子植物へとかわった。 まるで植物に意志があるみたいですね。 <「不利益:嫌悪刺激:回避行動」><利益:報酬刺激:接近行動>の考え方からすると裸子から被子へ変わる、もしくは変わらなければならなかった原因は何かあったのでしょうか? 植物の進化に意志性を認めるならば環境において自分が循環する連鎖の中にあることを認識できる場合,わざわざ危険を冒して裸子から被子に移行しなければならない意義はどこにあったのでしょうか? またもし植物にそういう意志的なものが働くと考えられる場合、ある植物種が絶滅しようとするとき、もしくは絶滅させられそうになるとき、植物という種がまた毒素を持ち始めるということもありえるということになりますね。 植物の花から”美”を切り取ると、生きる、もしくは生き延びるということに深く関わり、相手をひきつける為に美しくあろうとする。 動物であるいるかの流線型や鳥の羽の揚力を発生させる機構は、それぞれが生きるためにそれぞれの行動様式にあわせて進化させた形態のようですが、それは相手をひきつけるためではなさそうです。 動物にとっては人間は敵対関係にあると思うのですが、動物の持つ機能美を人間は驚嘆と共に美しく感じます。 植物でも動物でもそうだと思うのですが、永遠性を思って進化するのでしょうか。むしろ今ある環境にどう適応すれば生きられるか、生き延びられるかに関心がありそれによって進化すると考える方が自然なのではないでしょうか。

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