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魂の救済とは

tumaritouoの回答

回答No.15

天国と地獄という考え方は、死後と言う事ではないと思います。生きている「今」の事を言っているのかと思います。人生という有限の世界の中で、何時か死んでゆく事が決まっています。それが何時なのか、誰も知りません。その事で人間は「永遠」のものにある種の憧れを抱きたいという希望を持ちます。 その事を、強く「希求」する時に悩みが生じます。「死」と「永遠の命」その対立するもの。矛盾と云っても良いかもしれませんが。その矛盾を「悩み、人間苦」と云って{地獄}と呼んできたように思われます。その悩みを「超越」して「安心」の世界で生きてゆく事を{天国}と呼んできたのかと、思います。 「魂の救済」と言う事を説明します。   お釈迦様の悩みは「この無常の、移り変わってゆく世界の中で、自分も滅びてゆく世界の中で、永遠の命を得て安心したい。」というありふれた、叶わない自分の悩み、苦しみから出発したように感じられます。誰もが思い描くことかと思われます。普通の人は叶わない事として諦めます。ところが性格が粘着質なのか、神経症的なのかこの問題が頭から離れなくなったのでしょう。 「人間の悩みは何処から来るのか」 それはその人の心の中から湧き出してくる「疑問」からです。他の人が押し付けてくるものではありません。ではその「疑問」は何処から来るのでしょうか。それはその人の心から湧き出してきます。その人の心の対立、或いは矛盾からです。心の中で対立しているものが、在るからなのです。その事を「二元論」と呼んでいます。 「二元論はどうして起こるのか」 「現意識」と「ある意識」と二つのものの対立からきます。言い方を替えれば、「今の意識」と「無意識の中に在る意識」です。お釈迦様は{仏性}と言いました。その二つのものの意識のズレ、矛盾が悩みとして感じられるのです。そのために矛盾が大きい程悩みも深くなります。 「二元論を超越すると言う事」 その事を、現代の脳科学の観点から説明します。1,981年、今から27年前になりますが、「分離脳」の研究でノーベル賞を授与されたスペリー博士の研究の成果を挙げてみます。 I  左脳に今の意識が在る、右脳にも一つの意識が在る(殆ど意識出    来ない)    左脳の人格と右脳の人格は全く別なものである。 II  左脳の機能は言語を持っていて、論理的、知的、分別的である。    右脳の機能は言語を持っていない事、イメージ的、喜怒哀楽、芸   術、スポーツ、体を使う事全般、(無意識界を統率してい事。)    (是は私の想像です。) この事によって「禅」なるものが説明できるのです。「禅問答」と言えば、分からないものの代名詞になっていますが、「禅問答」が何故難しいのか、と言えば、我々は、自分の分別で生きていてそれが、全てと勘違いしている。そのことのようです。 「禅問答」は我々の分別意識(左脳)では無理なのです。脳の機能から言えば不可能なのです。この事と「神経症、うつ、その他の精神疾患」などにも当てはまります。 「禅問答」を解くカギは分別を捨てるところに在ります。それは命掛けで取り組む時に叶います。分別し尽してもう今の意識が本当にギブアップする時です。一遍「我」を殺さないと無理な事なのです。我が死んだ事を「大死一番」と言います。その時に無意識の中の意識である「仏性」が出て来て、その問題を解いてくれる。ということです。その事を「見性」すると言います。 「見性」とは自分の性を見るということです。自分自身を知ると言っても良いかと思います。禅宗の本の中で「生死の問題を解決したか、どうか?」と言われるのは、今言ったことです。それに対して「自分の親に会ったみたいなもの、妻に会ったみたいなもの」ようするに、本当は前から知っていた者に会っただけ。 鈴木大拙の禅仏教入門の引用ですが。 「禅 は決して論理、分析の上に築き上げた体系ではない。禅は何も教えない。禅に何か教えるものがあるとしてもそれは各人の心から出るものである。禅は神を持たず、儀式も無く、死者が転生して行く来世といったものも持たず、禅は全てのこうした教理的、宗教的邪魔者から解放されている」 その時に心の中で起こった事は死んでゆくと思っていた自我が仏性の持つ永遠性に抱き抱えられて、死でもなんでも受け入れる事が出来る様になれる事です。その時に「絶対に相入れないものの対立、矛盾」が解消されるのです。心の中の対立、矛盾が悩み、苦しみですからそれらを超越した時と言っても良いです。或いは言い方を替えれば不安と悩みの完全解消と言っても良いです。その事によって得られた平和な、穏やかな、心に波が立たない、静かな心の事を「涅槃」と云ってよいかと思います。 お釈迦様の教えは「宗教」ではありません。精神療法、或いは究極の心理学と言っても良いかと思います。悩みの解消が「魂の救済」かと思います。 ですから、この事が分かった時には、「神経症、うつ、その他の精神疾患、悩みと不安」などの解消に役立ちます。欧米では「禅」が精神衛生には良いものとされています。日本でそういう認識がされていない事は不思議な事と思います。医療体質と仏教という宗教の関係かもしれません。宗教の本来の目的は、「魂の救済」であってそれは、生きている人の心を対象にするのが、本来の目的かと思います。

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