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厭世的な無信仰者が自殺しないとしたら
ある人が、死後に輪廻・転生はなく、天国も地獄も煉獄もないと信じているとします。しかも、その人は厭世的で、存在しないことが最善であると考えているとします。それでいながら、自殺する意志はないとします。そういう人は必ずいると思いますが、その人が自殺しないのは何故でしょう?死ぬのが最善だと思うのですが。そういう人に可能な自殺しない動機を知りたいと思います。「家族が悲しむから」「他人に迷惑をかけるから」「子育てせねばならぬから」といったような外部に依存する理由はないこととします。それにもかかわらず自殺しない理由があるとすれば、それははどのようなものだと思いますか?
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その人は宗教的な人ではないかと考えます。 仏教の到達点は、あらゆる捉らわれを程よく離れ、最終的には存在しなくなることと思われますので、ご質問のある人は、本当の意味で仏教的な方であると考えます。固定的な我、アートマン、霊魂などは生きている間も存在しないと考えられ、存在しないものが輪廻転生することもなく、天国も地獄も煉獄もないと思われます。 しかし、生存中は変遷するにせよ心があり、心はなにごとか原因の種子を作り続けているのであり、そのようなものを消し去ることは出来ませんが、それを心が作り上げた実体の無いものであると理解し、固定的な我はもともと無いものであり、影響し影響されているに過ぎないという事実を知ることによって、静かな安らぎの境地に到達しようとするのであると考えます。 自殺とは、それとは反対にその時点での我、アートマン、霊魂の存在や思いを強烈に印象付けようとする行為だと考えます。何事も過ぎ行くものであることを知るべきであると考えます。
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こんにちは。 やはりいくら現実が嫌だとしても、まだ見ぬ死後の世界へ 足を踏み入れることのほうが怖い(嫌だ)という本能が あるのではないかとおもいます。 なんらかの理由で、死後の世界がすばらしく平穏でかつ 苦しみも痛みも、恐怖もないものであると証明されて それが世間の人々の心に浸透すれば、旅行に行くのと同じように 死を選び死にゆく人は増えると思います。 今が1日平均90人の自殺者(公式に認定された人だけ)ですが もっと増えて1日1000人から2000人ぐらいは 逝ってしまうと予測します。 だれだって、帰る予定があり、事前情報(パンフレットや 映像や行った人の感想)があるから旅行へいけるわけで もう帰ってこられない場所へ行こうとする人は稀有だと思います。 旅行:自殺 = 100000over : 90
お礼
回答ありがとうございます。 自分の信念や否定は必ずしも正しくないと思っているような謙虚な人であれば、その信念や否定も、それによって相対的なものとなっていることでしょうから、実は、死について密かに不安があるのかもしれませんね。
私自身そんな状態に近かったのですが、苦痛を受け入れることが出来るからです。 死んだほうがましと思うのも無理も無いかもしれませんが生きている苦しみを誰かに肩代わりさせるなんてとんでもないことです。
お礼
回答ありがとうございます。 苦をその都度受け入れるか克服できれば、必ずしも自殺の必要性を感じないかもしれませんね。
- kigurumi
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とっても思いうつ病だからじゃないか と。 うつ病の人 全部が自殺をするというわけじゃない。 うつ病で自殺しやすいという状態は、重い状態の時ではなく、回復期の時。 希望を見出して「よーし がんばるぞ」って思えるようになったときが、一番自殺しやすい時。 だから とても重い状態であれば、いっくら厭世観があり、全ての存在 自らの存在すら否定しても自殺はしない。 だってそれすらやる気力が無い状態なんだから。
お礼
回答がりがとうございます。 その発想はまったくありませんでした。確かに、思い鬱病だと死ぬ気すらおこらないと聞きます。自殺しない厭世者の多くがそこに含まれているかもしれませんね。
- carreau
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本能的な死(という現象)への恐怖とか畏怖……ではないでしょうか。 あるいは死に伴う苦痛への恐怖かもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 思考のすえある結論を出しても、それが本能と一致するとは限りませんね。本能が考えに抗して死を避けるように働きかけているのかもしれません。死に伴う苦痛も、厭世観とは質をことにするものの、苦しみですね。できるだけ苦を避けるという生き方をするならば、苦痛を伴う死に方を避けようと思うかもしれませんね。
難しくて、とても楽しい質問ですね!考えるのが楽しくて、わくわくします。 1)自殺しない厭世的な無信仰者 自殺しない厭世的な無信仰者とは、どういった人々でしょうか?あいにく、私の周りにはいません。ですので、少し考えてみます。 ・死後に輪廻・転生はなく、天国も地獄も煉獄もないと信じている →自殺する必要がない、自殺する理由が見つからない ・厭世的で、存在しないことが最善であると考えている →自殺という選択肢も考えられる でも、自殺しない ・外部に依存する理由はない →彼自身の考えにすべてが根ざしていることとします もしかしたら彼(便宜上彼とし、若者だと仮定します。)は、周りが彼の考えの正しさに気がつき、彼を含めて死んで「くれる」のを待っているのかもしれません。 「自分が見た世界しか知らない。自分の考えていることは、周りの人間も当然分かってくれるはず」(「死」の教科書 産経新聞大阪社会部 P16) または、命というものに対して自殺するほどの価値も見出していないのかもしれません。 「男子生徒が「彼女に自分の子供ができたら、おなかをボコボコにパンチして殺す」と言い放った」(「死」の教科書 P22) 2)「意見」はあるが、「意志」がない? でも本当のところは、彼は「自分がない」のではないでしょうか。 「みんな、日本人の幼児性や非個性的なこと、「自分がないこと」を嘆いている。しかし、(略)「自分がないこと」こそ、実は自分が望んでいることなのである」(<対話>のない社会 中島義道 P196) つまり、彼は自分の考えとして―自殺は選択肢としてあり得るとしながらも―実行するほどの意志は持たず、現実としてはただただ周りに合わせているだけ、なのではないでしょうか。 「日本では大人になっても「自由」などなく、なりたいものになどなれない」(ひきこもりの国 マイケル・ジーレンジガー P413) 「日本では自分の気持ちを表に出さない子供が多い。そういう子たちは空想の世界でしか自己を表現しようとしません。」(ひきこもりの国 P42) <自殺はしたい。でも、そんなことはできない。>これが、私の考えた自殺しない厭世的な無信仰者の姿です。 「そう。毎日がつまらない。でも、これといってなにがしたいというのはないんだ。将来について、はっきりした自分の考えもない。」(ひきこもりの国 P69)
お礼
回答がりがとうございます。 一種の共感を求めるが故に死なないのかもしれませんね。自分の考えを広めたい、他人と共有したいという気持ちが、虚無に帰したいという気持ちを上回っている場合には、強いて死のうとは思わないかもしれませんね。あるいは、自我をできるだけ相対化して限りなく無に近づく、あるいは周りに同化することによって、自我を相対化しようとするような生き方をしている場合には、自殺しようとする意志が湧かない場合もありそうですね。
- shinya23so
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「どちらにしろいずれ死ぬのだから、 わざわざ苦しそうなことををする必要はない。」 というのはどうでしょう。
お礼
回答がりがとうございます。 死に肉体的な苦痛が伴うならば、それは厭世的な不快と比べて異質ではあるけれど、やはり不快であるので、避けたいということですね。楽に死ねると信じるに足る方法を知ったとすれば、自殺を避けるべき理由がないので、もしかしたら、自殺してしまうかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 何らかの心理的な動きが生じたときに、自我や認識を虚妄だと洞察する人であれば、心の平静を易く保てるので、死に急ぐ必要性を感じないということですね。