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この世の中は現実か?

nisekantの回答

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.6

その根底にあるのは、コンピュータはプログラムしてやればどんなことでもこなせるのは勿論、愛想よく協力的に自己表現するべきだ、という考えだった。つまらない仕事をするべきなのはコンピュータであって、ユーザーではない。 これは当たり前のことに思えるかもしれないが、アップル社がコンピュータを発売するまでは、全くそんなふうに考えられていなかった。主流を占めるコンピュータの形式は、年がら年中コンピュータの仕事をしている技術者が開発した原則に基づいている。当然ながら、そういう技術者は、コンピュータ内部の状態を表現する。ありとあらゆる奇妙な符号や略語を平均で覚える。何故なら、彼等にとって興味があるのはコンピュータそのものであって、それを使って何ができるかではないからだ。ところが、一般人にとっては逆だ。 <省略> ユーザー側に負担の大きいコンピュータから手軽に使えるコンピュータへの大変革が遂げられたのは、スモールトークが開発され、それにユーザーイリュージョンが適応されたおかげだった。ユーザーイリュージョンという概念は、ユーザーインターフェース──モニターやキーボードなど、人がコンピュータとのコミュニケーションに用いる部分──の革新的な変化を意味する。初期のコンピュータを開発した技術者達は、ユーザーインターフェースのことなど配慮しなかった。ユーザーは全て専門家だったからだ。そのため一般人には、コンピュータは不可解で扱い難いものに思われた。アラン?ケイは書いている。「かつて、ユーザーインターフェースは、システムの中で最後に設計される部分だった。それが、今では最初に設計される。なぜ最優先に考えられているかといえば、初心者にとってプロにとっても、感覚器官が接するのはコンピュータなのだ。ゼロックスのパロアルト研究所で、私と同僚達が〈ユーザーイリュージョン〉と呼んでいたのはシステムの動きと次にするべきことを説明するために誰もが作り上げる、単純化された寓話である」 つまりユーザーイリュージョンとは、ユーザーが描くコンピュータのイメージだ。このイメージは、筋の通った妥当なものでありさえるれば、正確かどうか、或いは完璧かどうかは、実のところ問題ではないことに、ケイと同僚達は気付いた。例え不完全で比喩的であっても、コンピュータがどう作動するのかというイメージがあるほうが全くないよりましだ。 従って、大切なのは、コンピュータがどう作動するかをユーザーに説明することではなく、首尾一貫した適切な寓話をでっち上げることだ。それも、コンピュータではなくユーザーの立場に立って。現在この単語を記録しているコンピュータは、ユーザーである私に対して、デスクトップのフォルダに整理された一連のテキストを表示している。私は、出来の悪い章をドラッグして右下のゴミ箱に放り込む。一つの章が長すぎるかどうかを知りたいときは、机の引き出しのアイコンから電卓を取り出して使うことができる。 しかし、コンピュータ内部にはフォルダもゴミ箱も電卓もない。大量の0と1が並んでいるだけだ。その量たるやとても書き表せるものではない。コンピュータには何千万という0と1が入る。だが、ユーザーはそんなことは全く気にかけない。ユーザーにとって必要なのは、原稿が仕上がったとき、それをコンピュータから引き出すことだけだ。ユーザーは、大量の0と1に全く無関心でいられる。ユーザーにとって興味があるのは、ユーザーイリュージョンが示すもの──書きかけの章、未解決の事柄やメール、未整理の考えなどが収められたフォルダ、といたものだけだ。 ユーザーイリュージョンはメタファーであり、実際の0と1など相手にしない。その代わり、0と1が全体として何ができるかを問題にする。そう考えると、ユーザーイリュージョンは、意識というものを説明するのにふさわしいメタファーと言える。私達の意識とは、自己と世界のユーザーイリュージョンなのだ。 意識は、世界全体や自己全体のユーザーイリュージョンではない。自分が影響を及ばせる世界の諸側面と、意識が影響を及ばせる自己の一部の、ユーザーイリュージョンだ。 このユーザーイリュージョンは、まさに自分独自の自己の地図であり、自分がこの世界に関与する可能性を示している。イギリスの生物学者リチャード?ドーキンスは言う。「意識が生じるのは、脳による世界のシミュレーションが完全になって、それ自体のモデルを含めねばならぬほどになったときであろう」 意識が、私が抱く私自身のユーザーイリュージョンであるならば、意識は、私というこのユーザーイリュージョンこそが、まさしくユーザーなのだと主張せざるを得ない。そして使われる側ではなく、使う側の視野を移し出さなくてはならない。その結果、意識というユーザーイリュージョンは、〈私〉という名のユーザーと共に機能しているわけだ。 〈私〉の経験では、行動するのは〈私〉ということになる。感じるのも〈私〉、考えるのも〈私〉だ。だが、実際それをしているのは〈自分〉だ。私は、私自身の私にとってのユーザーイリュージョンなのだ。 コンピュータの中にはユーザーにとって興味のないビットが山ほどあるように、〈自分〉の中には〈私〉にとって興味のないビットが山ほどある。〈私〉は、どうやって心臓が〈自分〉の隅々にまで血液を送っているのか、気にかけてなどいられない。少なくとも、四六時中、気にかけなくてもよい。それに〈私〉は、どういうふうに〈自分〉の中で連想が起こるのかも気にしてはいられない。〈私〉は〈私〉自身に関係があることが知りたいのだ。 しかし、個人のアイデンティティとして、また、行動の主体として経験される〈私〉だけが錯覚なのではない。私達が実際に経験しているものもまた、ユーザーイリュージョンだ。私達が経験する世界は錯覚なのだ。私達の周りの世界には色も音も匂もない。それらは私達が経験するものだ。だからといって世界がないのではない。だが、世界はただ存在するのみで、人が経験しないかぎり、世界には属性がない。

tenntennsevengoo
質問者

お礼

とても興味深い回答でしたつまり今か?良くわからないが科学者が考えるものとしては世界は存在する。属性は魂とリンクしたときだけということなのでしょう。 んーーやっぱ何かあるとしか考えられないということでしょう。 んーーーー属性=世界もしくは属性≠世界もしくは属性≒世界どれに あたるのでしょうね?興味深いところです。 回答ありがとうございました。

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