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障害者を支援する必要性の根拠について

 障害者を差別する、差別主義者や狂信的な能力主義者を徹底的に論破したいのですが、知恵が足りず、決定的な根拠を見い出す事ができません。何故障害者を支援する必要があるのか、についての論理的な説明を、私に教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

 そうですね。自分の事として考えるというのも 一考ですが、障害者の能力を認めないのはおかしいな 自分は、自閉症の子の介助員として学校に勤務しました。  最初は、何とかして「何かできるようにしてあげよう」だったんですが、個人的事情で辞める直前には、 彼の持つ「出来ない能力」の凄さに感服しました。  ユニバーサルデザインだのバリアフリーだの言われていますが、本当に何も分からなくても自然にこれはこうだと行動出来るための構造物(建築から道具まで)の是非を示してくれているんです。  トイレの表示一つからおかしいでしょ?使いやすい公衆トイレってあります?いらないんでしょうか?  ということすら気付かないでいるんですよね。 たとえば、車椅子のヒトの目線・交通を考えるとベビーカーを使うお母さんにも繋がるはずですよね。  「出来ないことは、出来ること」なんですよ! もっとも狂信者には、伝わらないんでしょうね。  想像力がないんだから。 明日、自分が倒れてヒトの手を借りないと生きていけなくなる可能性もあるということを...。

esnobismo
質問者

お礼

 今、社会の中にあるほとんど全ての道具(交通環境なども含みます)はもっとも平均的な人の為に設計されていますよね。この基準をシフトさせていくという、理念としては極めて単純な発想を、理解できない人がいる事が、私には信じられません。 道具の改良のヒントを示唆してくれる、というのは非常に強力な意見になりうると思います。  回答ありがとうございました。

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回答No.9

極論に対して極論で返すなら、 眼鏡使用者はみんな視力障害者ですよね。 日本人の眼鏡使用率は非常に高い。 ということは、日本人の多くは視力障害者である。 でしょうか?そうではないですよね? 考え方、受け止め方です。 眼鏡がファッションの一つになるまでは 差別される時代が長かったのだから、理解されるまで 偏見を打ち壊すまでは、時間と教育が大切だと思います。

esnobismo
質問者

お礼

 偏見を解消する為の教育。インフラの整備等々、他方面からのアプローチを絶えず繰り替えしていく事が大切なのだと思います。漠然とした「時間」ではなく、密度の濃い時間を作りあげる必要があるでしょう。  回答ありがとうございました。お礼が遅れてしまってすみません。    沢山の回答をいただいたので、この場をかりてみなさんにもう一度、お礼を申し上げます。  能力主義者には、「福祉」を「投資」と認識させる事で共通の理解が得られるかもしれません。差別主義者には...、何をいっても通じませんね。

  • kei1282
  • ベストアンサー率37% (95/255)
回答No.8

人間が「信用」というキーワードのもとに「社会」を形成しているからです。 人間は集団を作りお互いを信用して分業や協力することで身の安全を確保し、また分業をすることで作業効率を上げ先進国社会では快適な生活ができています。 障害者差別主義や狂信的な能力主義の基本的なスタンスは「個人主義」です。 障害者の障害のことを外国では「ハンディキャップ」と呼んでいますが、辞典で調べると「ハンディキャップ=不利な条件」となっています。誰でも全てのことができるわけではなく、得意なものもあれば、苦手なものもあるはずです。 つまり、人は誰でも「何らかの不利な条件」をもっているのです。 また、人間は得意なものを自分のためだけに使うのではなく、皆のために使うことが前提となって、社会を形成してきました(一部例外はありますが)。 個人主義を極端に押し進めていくと、「個人の能力は自分のためだけに使って、他人のためには一切使わない」となり、「信用」という言葉は死語になり、最後には「お互いを信用できない弱肉強食の動物の世界」になり人間社会が成り立たなくなります。 そうすると1日の過ごし方が「食料や水を求めて、いかに明日まで生き延びるか」の生存競争になり、現在日本で可能な生活レベルが維持できなくなります。それで良ければかまいませんが・・・。 人間社会が「信用」というものを大切にしなければ成り立たないため、障害者(ハンディキャッパー)を支援する必要があるのです。

esnobismo
質問者

お礼

 その「信用」を、経済社会に一括委託してしまった為に、個々人の意識の低下が起こっているのが現在の状況ではないかと思います。  回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.7

『機会の平等』論を徹底的に押し進めることで、論破の糸口 を掴むことができませんか? 障害者といえども、人間の機能の一部が故障しているだけ で、人間のすべての能力が失われているわけではありません。 例えば、私の本業はIT技術者ですけれども、この職業は 別に足が不自由でも勤まりますし、聴覚に支障があっても メール等で意志の疎通は十分可能です。 またネットで知った人なのですが、なんと視覚障害者であ りながらも、凄腕のプログラマをみたことがあります。 さすがにビジュアル系のOSを操作したり、プログラムを 作るのは無理ですけれども、そうでないプログラムについ ては、達人級の腕前でした。 障害者であっても、障害に影響されない職業につき腕を磨けば 健常者と同等以上の生産性を発揮できます。 私に言わせれば、障害者を差別・排除することで、かえって 社会の生産性を落とし、経済発展の足かせとなってしまう のではないかと考えています。 障害者をただ保護するだけでは何の問題解決にもなりませ んが、彼らの自立を支援することで、社会の発展に寄与す ることは、疑うべくもありません。

esnobismo
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。お礼が遅れてもうしわけありません。  会社の資本を使って、障害者が健常者と同じように働ける環境を作る事が、企業の、そして社会の常識となればいいのですが。

noname#22689
noname#22689
回答No.6

彼方が無償の愛をお持ちなら 他人がどうであれ構わないの では・・・ ディベートを挑むのなら別ですけど・・

esnobismo
質問者

お礼

 「私が」「あなたが」の話ではなくて、一般性を持たせたかったので、質問しました。また、ディベートを挑まれ続けている為に、みなさんのお知恵を拝借したかったのです。  「無償の愛」という言葉は極めて曖昧な定義の表現で、どのように使われているのか分かりませんが、無償の援助や奉仕の事であると理解させていただくと、  僕は「無償の愛」を意識できないくらい、人的な支援を最小限に押さえ、現在障害者と呼ばれている人たちが完全自立できるくらいに環境を整える事が必要では、と考えています。無償の愛を持ち続ける事は、僕にとって本意ではありません。 それに、1人の力は、とても弱いので。  回答ありがとうございました。

  • abichan
  • ベストアンサー率56% (225/397)
回答No.4

 次のように逆説的な問いかけをして見て下さい。  差別主義者には「障害者には生存権はありますか。ありませんか。」「生きる権利はありますか。あなたの愛する人が交通事故で両腕を無くしたらあなたはその愛する人の生存権を拒否するのですか。」と・・・  狂信的な能力主義者には、成果・能力主義の土俵での議論ではなく、社会として障害者と共に共生することを問い掛けてみましょう。また、障害者ではなく健常者においても当然社会生活において成果・能力に優位差はあることも伝えましょう。「劣位の健常者も社会から排除するのですか。」「あなたがアインシュタイ、エジソン、湯川秀樹と一緒のグループであればあなたは相対劣位者となりませんかその時あなたはは排除されるのですか」と・・・    また、社会においては色々な仕事・役割があり全てが絶対的優秀者(本来定義ができません)でまかなえるものではありません。それぞれの職務適応性に応じ社会に適応できます。  障害者の方には特に「仕事に人を」ではなく「人に仕事を」の考えを持ち、その人にできる仕事・役割を探してあげる優しい社会であって欲しくないですかと・・・  差別主義者や狂信的な能力主義者に「あなたもいつ障害者になるとも考えられます。その時に今のあなたの考えの方と出合ったらあなたはその考えを受け入れられますか。」とフィードバックしてみてはいかがでしょうか。    因みに、「障害者の雇用の促進に関する法律」第二条の四(事業主の責務)においては「すべて事業主は、障害者の雇用に関し、社会連帯の理念に基づき、障害者である労働者が有為な職業人として自立しようとする努力に対して協力する責務を有するものであつて、その有する能力を正当に評価し、適当な雇用の場を与えるとともに適正な雇用管理を行うことによりその雇用の安定を図るように努めなければならない。」としております。  http://www.nginet.or.jp/box/kyourow.html#chapt1   

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=278163,http://www.jaed.or.jp/index.html,
esnobismo
質問者

お礼

 「仮にあなたが・・」の問いかけは、相手が頑に「それでもいい」と開き直られると、議論が膠着状態に陥ってしまいます。実際に障害を持った時、彼等はうろたえるのだと思うのですが、議論のうえでは、あまり力を持たないようです。  能力主義者、成果主義者が共通して持っている認識に、「もっと効率を上げないと、人類全体が共倒れになってしまう」というものがあるようです。能力のない者はお荷物だ、という発想はこれによって正当化されているようです。もちろんまやかしだと、僕は思いますが。  同じような意見を持っている方がたくさんいて、心強いかぎりです。  回答ありがとうございました。

  • acacia7
  • ベストアンサー率26% (381/1447)
回答No.3

先進諸国が人に対し肉体的な労働力以外の価値基準をもつに至ったからでしょう。 実際問題、芸術などの分野で障害者が才能を発揮したりする場合も多く、 その様な個で自立は難しい人が特異な分野で発揮するすばらしい才能を 無視する事を良しとしなくなったためでしょう。

esnobismo
質問者

お礼

 芸術に対する評価は、尺度が様々で、論拠としてはいささか弱いものがありますが、現実社会において力を持つのは、こうした感覚的な事実のほうだと思います。理屈を意識しない分野での尊敬や羨望を集める事が出来たなら、状況はずっと良いものになるのでは、と思います。  お礼が遅れてしまってもうしわけありません。回答ありがとうございました。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.2

こんばんは。 主張するにはそれなりの論拠だけではなく、主張される esnobismo さんに経験などに裏打ち去れた信念が必要だと思いますので、素人である私の考えるものがいい論拠かどうかは不明ですが、参考になればと思います。 まず>障害者を支援する~という発想がそもそもいけないのではないでしょうか? 「支援」=「してあげる」ととられやすく、「それならばなぜ『してあげる』必要が・・・」という議論に陥ります。 「してあげる」のではなく、社会には全ての人が「健康で文化的な生活を」(憲法より)送れることが明記されているのです。 ですから行政にはそれを保障する義務があります。 介助者やヘルパー、各種スタッフは「してあげてる」のではなく、行政や社会から委託?された作業をしてるだけなのです。 つまり、基づくべきは憲法ではないでしょうか? それをする理由はすなわち憲法です。 もう一つ。 障害者とは何をもって障害者というのかという事です。 車椅子じゃないと移動できない人は障害者で通るでしょう。 では松葉杖の人は?足を骨折した人は?足を捻挫した人は?足をすりむいた人は?・・・ 障害の程度というのははっきり境目が決められるような物ではなく連続したものです。 つまり障害という概念そのものが、今の社会に適応できない人を排除する発想ではないでしょうか? 生物としての人間という種は、常に可変性を持っています。 先天性障害児は全く遺伝的な素因がなくても常に一定の確率で生まれるようになってます。 それは人間という種を変化するであろう環境に適応させて生き伸びるために作られた仕掛けそのものです。 だから今の環境に適応しづらい人を排除して今の環境に100%適応できる人のみを残せば、環境の変化によって人類は亡びてしまいます。 天変地異が起これば、今の健常者が障害者かもしれないのです。 つまり障害者がいるからこそ人間という種が亡びないでいられるという事ではないでしょうか? とまあ、私はこんな風に考えてますが、いろんな考え方があると思いますし、私の考え方はもしかするとよろしくない可能性もあるでしょう。 少しでも参考になれば幸いです。

esnobismo
質問者

お礼

 障害の定義は、僕とまったく同じ意見です。障害者が、障害を感じなくなるまでに、建築物から社会のシステムにいたる全てを整備しきれていないのが、一つの問題であると思います。今、社会にある全ての道具が「障害者」という概念を生み出しているのだと思います。  後述の進化論的観点からの意見も試したのですが、経験的にしか証明されない自然淘汰を使った反論では、論拠に乏しく、決定的にはなり得ませんでした。僕は、この観点が、もっとも実際的だと思ったのですが...。  回答ありがとうございました。

  • Singollo
  • ベストアンサー率28% (834/2935)
回答No.1

ひとつには、それが国際世論の趨勢であり、逆行すれば日本が孤立するということ もうひとつには、それが、社会保険同様、自分がその立場に陥ったときのための備えであるということ などが挙げられると思います

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