• 締切済み

裁判員制度のメリット

大学の授業で裁判員制度について学ぶことになりましたが、どこのサイトや本を見ても反対意見しか見つけられない、または賛成意見でも反対意見に比べると弱い印象を受けるものしかありません。 今考えられるメリットとして (1)裁判時間と費用の短縮 (2)市民の司法への関心が高まる (3)判決に市民の常識が反映される があるのですが、 (1)については、外国と比べて特別裁判が長いわけではない。そしてこの制度が適用される犯罪は非常に限られているからたいした効力はないなどの反対意見でつぶされてしまいそうです。 (2)については関心が高まったところでどうなる?という単純な問題です。より犯罪をしないようにという抑止力になるのでしょうか? (3)については、これは何を持って常識とするか、逆に市民が感情で判決を出してしまわないかという意見もあると思います。 このほかにメリットといえるものがあるのか。 上記の賛成意見(1)(2)(3)をもっと説得力のある説明はできないでしょうか。

みんなの回答

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.4

1.これは運用上の問題であって、「非常に限られているからたいした効力はない」のであれば、限らなければ効力はあるという理屈が成立してしまいます。これは反対なのではなく、条件付賛成ですよ。 が審理時間そのものが、裁判員制度の導入により短縮させる効果はそもそもないとは思いますが。裁判員制度を導入するなら、否応なしに短縮せざるを得ないという構造になっているだけです。 裁判員制度の導入にあわせて「裁判の迅速化に関する法律」というのも成立しており、時間・費用の話はこちらで解決すべき問題でしょう。 2,3の問題の方が本質的な話です。 法律の趣旨にあるように「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ」ることが本質的なテーマです。 http://www.ron.gr.jp/law/law/saibanin.htm 要は司法が民主的基盤を得ることが良いことなのかどうか、この手法にてそれが得ることが出来るのかどうか、あるいは(このような手法で得るものには大した意味がないので)そもそも必要がないのかという話です。 ただどこのサイトや本を見ても反対意見しか見つけられないというのは言いすぎというか何も調べていないだけでは??と思いますが・・・「裁判員制度 メリット」辺りで検索すれば幾らでもみつかります。 で細かい話はそういったサイトでご自身で見てもらうとして。根源的なな話をしておきます。 「犯罪をしないようにという抑止力」「市民が感情で判決」「何をもって常識」という辺りについてははそもそも民主主義のあり方について誤解されています。 民主主義の大原則は"自分のケツは自分で拭く"です。拭き方が甘いと不潔だから機械にやらせようというのが従来の裁判制度、陪審制なり参審制は、例え不潔でも自分でやらせることそのものに意味があるとする立場です。 100人の投票により、結果的に後で振り返ってみれば誤った道を選択していたとしても、民主主義の原則ではそれでOKなのです。正解でも不正解でも多数決の結果が常識となるのです。感情論が多数派ならそれが民主主義的正解です。 ※だからこそ民主主義社会ではその構成員は自身の判断、選択に対して責任を取らなければならないし、逆に公的機関は、文字を読める、理解できる、合理的判断が出来るように構成員を育て、且つ常に情報を公正・公平に公開しなければならないとなる訳です。 この世の理は感情論で判断してオールOKとする社会なら、感情論で何もかも裁いても何の問題もありません。そこに理性や建前を入れるのはおかしいと皆が納得して同意している社会では、そこに理性や建前を入れる方が反民主主義となります。 もちろん従来の裁判制度でも、裁判は機械にやらせようと民主的に決まったわけですからそれも民主主義の原則によれば正しい道なのですが、間接的よりも直接的の方がより民主主義的であるというのも大原則なのです。機械にさせても人力でやっても同じ結果になったとしても、それでも人力の方がより良いものがあるとするか、同じ結果なら機械でもかまわないとするか、そもそも人力だと一貫性が無いなどのデメリットが、良いものというメリットよりもはるかに大きいと思うのかどうかぐらいの違いがあるだけです。

hossy0802
質問者

お礼

大変参考になりました。 ありがとうございます。 もう少し、ネットや文献でメリットについて調べて生きたいと思います。

  • 10ken16
  • ベストアンサー率27% (475/1721)
回答No.3

私見ですが (1)裁判時間と費用の短縮   現在でも、特に刑事事件では   検察側に不利な証拠や証言が   認められないケースがあると聞きます。   冤罪が起こったり、それをを覆すことが難しいのは   この証拠能力の評価の偏りがあるためです。   裁判員制度では、裁判員の負担軽減のために   実際の審議に入る前に、論点の絞り込みとして   採用される証拠を決めてしまうそうです。   現在は(一応)裁判の公開性が保たれています。   今後は、論点の絞り込みが非公開の場で行われても   それを知ることは出来なくなり、   結論の決まったシャンシャン総会のように   形式的な審議となる可能性をはらんでいます。   このとき、証拠の絞り込みに偏りがあったとしても、   結果に対して『市民感覚』のお墨付きを与える一方   責任を拡散させてしまう恐れがあります。 (2)市民の司法への関心が高まる   大半の人は、関わりたくないと思っています。   ワードショー的におもしろおかしく傍観する分には   法律番組も面白いでしょうが。   ある程度の関心は多くの人が持っています。   しかし、裁判員制度というのは、   「司法判断をプロ以外の人がする」ことですから   ほとんどの人は二の足を踏みます。   見るのは良いけど、自分が判断の当事者には   なりたくないというのが普通の感覚でしょう   関心というのは、後付の理由で無意味だと思います。 (3)判決に市民の常識が反映される   市民の常識と法が相反する場合、   どうなるのでしょう。   民事でも、当事者の性別が逆だったら   判断が変わったりするのが一般的ですが   それは裁判の場でもよいのでしょうか?   知財案件の場合は、国益・判例などを鑑みて   総合的に判断する必要がありますが、   一般の人にそこまで期待できるでしょうか。

回答No.2

現在の裁判は制度では、司法試験合格者だけが関与して判決が決まります。裁判官(判事)、検事、弁護士、皆人間なので、時には誤りも犯します。専門職だけで決定している制度に、矛盾はないのかと問いかけても答えは出てこないように思います。彼ら以外の一般人は裁判について殆ど知らないのですから当然です。 現在の制度を変更したくない人達(特権階級とは言い過ぎでしょうか)は反対するでしょう。しかし、一方で、判決が不自然だと考える人、裁判の迅速化を願う人、様々ですが、このような人達を裁判制度の改善・改革を願っており、その一端として裁判員制度を受け止めているように思います。 裁判官、検事、弁護士の原告・被告に対する態度(言い過ぎですが実に横柄な態度を示します)から、かれらの実態を、一度、一般社会人に見て貰い判断してもらういい機会になるかと思います。法律の解釈も、専門家と一般人との間で幾分異なるかも知れません。 最終的には、警察での取り調べ・検察での取り調べも、一部始終録画にしないと駄目な時代がくるかと思います。そうしないと、冤罪は回避できません。裁判官の多くは、検察調書を鵜呑みにしているように思います。取り調べに立ち会っていないので、書面に矛盾が無ければ、それで話しのつじつまが合うので、異論は差し挟まないと思います。 司法試験合格者が多くなれば、判事一人の仕事量が減り一つの事件に掛ける時間も増えます。また弁護士が増えれば、競争が激化して適当にしていた仕事も一生懸命やるようになります。我が国の司法制度全体を改善・改革するという観点からは、デメリットは少ないようにおもいますが、如何でしょうか。支離滅裂な点もありますがご容赦下さい。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.1

この前、ある検事の講演を聴いたのですが、 「裁判員制度はやってみてだめだったら廃止されるでしょう」 と言ってました。たぶん、その方向へ向かうでしょう。

hossy0802
質問者

お礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます。

関連するQ&A

  • 裁判員制度について

    大学のゼミで裁判員制度について(裁判員制度の導入についての是非)ディベートすることになりました。ただどういった経緯でこの制度ができることになったのか、よくわかりません。 僕は昔裁判官の社会経験・感覚の欠如によって世論や社会通念を著しく逸脱した判決を下すことがあると言うようなことを聞いたことがあります(ただの気のせいかも知れません)。 これは法律家の方から言えば司法の独立を考えれば世論に即した判決をする必要はないと言われてしまうかも知れません。そのほかにもご批判があるかも知れませんが、それは抜きにしてそのようなことが裁判員制度に賛成する材料の一つとなると考えています(僕は裁判員制度賛成派です)。もしこのような判決があるとするなら、そのような判決をまとめたような文献はないでしょうか? また裁判員制度について詳しいサイトや文献がありましたら教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします

  • 裁判員制度について教えてください

    裁判員制度がさっぱり分かりません。 裁判員制度は、市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するのが目的だそうです。一般に、「市民が持つ日常感覚や常識」というのは、身近なこと、多くの人が体験しているものなどから作り出されると思います。 ところが、裁判員制度の対象となる事件は、外患誘致罪、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、強姦致死罪、危険運転致死罪、保護責任者遺棄致死、身代金目的誘拐罪など一定の重大事件に限られています。これらは、普通の市民には最も縁遠いものですし、経験したことがない人がほとんどのはずです。 また、報道によると、裁判員候補者からの電話相談に応じる最高裁のコールセンターには、1日4000件近くの問い合わせがあり、その約半数が「辞退」に関する質問だったそうです。 質問は以下の3つです。 裁判員制度の対象事件を、どうしてこれらのように、普通の市民には最も縁遠い、未体験のものに絞るのでしょうか?むしろ、軽微な(身近な)犯罪の方が、「市民の持つ日常感覚や常識」が反映されやすいのではないでしょうか?逆に、軽微な(身近な)犯罪や民事事件、行政事件などには「市民の持つ日常感覚や常識」は反映させなくてもよい、ということなのでしょうか? また、「国民の義務」ということになっていますが、果たして国民の多くが司法参加を望んでいるのでしょうか?司法の迅速化よりも司法参加を望んでいるのであれば、そのデータを知りたいと思いました。 最後に、裁判員制度は成功する(長続きする)と思いますか? 以上、よろしくご教示のほどお願いいたします。

  • 裁判員制度について

    こんにちは。大学生です。 裁判員制度について質問なんですが、メリットとして、国民の司法への関心と理解を深めることや冤罪防止などのほかに、どういったものが挙げられるでしょうか。 面白みのある(意外性のある)、様々な視点からのメリット的な影響など、いろいろ教えてくだされば嬉しいです。

  • 裁判員制度

    裁判員制度について教えて頂きたいのですが、一般市民から選ばれた裁判員は一審のみと聞きました。裁判制度は三審制なのになぜ高裁・最高裁の裁判員にはなれないのでしょうか?一審の判断は尊重するというものの結局控訴して逆転判決が出た場合、一審で裁判員が決めた判断は紙くずになってしまうわけですよね。 また、素人目にみれば重大な刑法犯罪ではなくて、家庭裁判所で争われるような近所や家庭内トラブルなどの方がよっぽど市民感覚が必要ではと思うのですが、なぜそのようなものには導入されないのでしょうか?教えて下さい。

  • 裁判員制度について

    近いうちに裁判員制度が導入され、市民の中から無作為に選ばれた人が裁判の判決に関わることになると聞きました。 しかし、どうして裁判員制度を導入するのかが分かりません。これまでの裁判や裁判官の判決に特に問題があるとも思えません。市民の視点から事件を見ることで、納得のいく判決がでるかもしれませんが、感情とか偏見、先入観に左右されてしまったりしないのでしょうか?そういったことは裁判官にも言えるかもしれませんが・・・、罪の重さを量り、人を裁くことを誰もがしてよいのか、疑問に思います。

  • 裁判員制度

    2009年5月までに「裁判員制度」が開始されますが、 みなさんは「裁判員制度」の導入に賛成ですか?反対ですか?理由等もあわせてお願いします。 みなさんの率直な意見お待ちしています。 この問題の性質上、ポイント・お礼等は賛成・反対それぞれ1人にさせていただきます。

  • 裁判員制度の対象が、重大な刑事事件に限定されているのは、なぜですか?

    裁判員制度の対象が、重大な刑事事件に限定されているのは、なぜですか? wikiぺディアを読みましたが、裁判員制度の目的の一つに、 「国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、 司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的」 とあります。 国民が裁判と接する可能性が高いのは、実際は刑事裁判ではなくて、商取引や離婚問題などの民事裁判のはずです。 発生件数も桁違いに多いはずです。 なので、裁判員制度の対象には、そういった民事裁判を取り上げるほうが無理がなく、明らかに有意義だと思っています。 なのになぜ、わざわざ裁判員自身に負担が大きくて、判決自体も裁判員個人によって大きく振れ幅がありそうな 「重大事件」にだけ適用するのですか? そもそも、日本国内では、死刑制度に対する賛成・反対の意見すら大きく2分している状態なのに・・・ 重大裁判を一般国民が裁くことが、裁判制度に対する国民の理解と信頼の向上になるとは、到底思えません。 司法府が、自分たちの裁判制度の問題点を、一番厄介なものから順番に国民(裁判員)へまる投げしているだけではないでしょうか? いまの裁判員制度は、国民のことを考えた制度とは到底思えません。 裁判員制度の対象となる裁判を重大事件に限定している意図や目的が全く理解できません。 何か、そうしないといけない特別な理由などがあるのでしょうか?

  • 裁判員制度の意義・対象について

    裁判員制度について色々わからないことがあるので質問させて下さい。 (1)裁判員制度は「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的」とされているのですが、なぜ対象案件を「重大な犯罪」に絞っているのでしょうか?参加を促すことにより理解と信頼向上を狙うならば、銃犯罪より比較的軽い犯罪でもかまわないのではないのですか? (2)そもそも、司法に対する信頼はもともと下がっていたのでしょうか? (3)理解増進、意外にもっと裏の?目的はないのでしょうか? また、趣旨が少しずれるのですが、 (4)裁判員制度を用いると、オウムの麻原の裁判のように非常に長引く裁判期間を短縮させることにつながるのでしょうか? お答頂けるものだけでもお願いします。

  • なぜ裁判員制度など?

    こんにちは。 タイトルの通りです。私はなぜ裁判員制度を導入しようとしているのかが理解できません。私は理系学部の学生でして法律のことについては全くの素人なのですが、そもそも人を裁くのにおいて、裁く者の個人的な感情により判決が左右されないように全国一律の判断基準として作られたのが法律であって、その複雑難解な法律を運用して公正明快な判決を導くことのできるプロフェッショナルとして裁判官があり検事があり弁護士がいるのでしょう?そして裁判に関わるだけの知識をもっている人間以外をふるいにかけて落とすのが司法試験ですよね?裁判に関わることを許されるために全国の学生たちは大学の法学部に通いロースクールにいき毎日司法試験に向けて勉強しているわけですよね。それがいきなりどうして何もしらない素人がそういったステップをぶっ飛ばして裁判で弁論することを許されるのでしょうか。裁判員制度を導入するのは一審のみで、それ以降では従来通りの「プロだけの裁判」になると聞いたのですが、そんなことでしたら果たして一審で決着の付く裁判など出てくるでしょうか?どうせ一審は素人の関わった判決だから、ということで控訴というのでしょうか上告というのでしょうか無駄に裁判期間を長くしてしまうのが関の山ではないでしょうか。どういったメリットを望んでいるのかわかりませんが、制度の導入や運営にかかる手間を考えればあまりに代償の大きな余計な取り組みだと思うのですが、所詮は素人の戯言なんでしょうか?あなたの意見をお聞かせ下さい。

  • 裁判員制度について

    裁判員制度について 今ニュースをみてたら裁判員制度で裁判やってるとかなんとか…もう普通に裁判員制度ってやつがやってるんだなと思ってみてたんだけど オレには裁判員制度ってやつが全く理解できない オレの理解は極端にはこうだ、法学の知らない素人が5、6人集まってアイツは死刑にすべきだどうだと裁判でやってるってことだ オレははっきり言ってあんまり裁判員制度のことはよくわからんし 法学のこともわからん もしかしたらオレの裁判員制度に対する理解が根本的に違うのかもしれんが オレにも道徳心はあるつもりだ では言わせてもらいたい「人が人を裁いてよいのだろうか?」人が人を裁くのは法ではないの?そこへ法を知らない素人が裁判で…これじゃ犯人もたまったもんじゃないね 犯人どころか被害者だってたまったもんじゃないだろ オレがもし犯罪者あるいは被害者の立場だったらたまらんね 素人に裁かれたらやってらんねだよ 確か裁判員の候補は有識者が選ばれるとかなんとか…裁判員に参加すること事態常識がないじゃないのかね さぞ裁判で死刑判決でちゃったらその裁判員の人死ぬまで呪われそうだな とまぁこんな感じで裁判員制度について周りの人の意見と自分の意見の温度差がわからんので暇あったらお願いします!