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裁判員制度について

裁判員制度について 今ニュースをみてたら裁判員制度で裁判やってるとかなんとか…もう普通に裁判員制度ってやつがやってるんだなと思ってみてたんだけど オレには裁判員制度ってやつが全く理解できない オレの理解は極端にはこうだ、法学の知らない素人が5、6人集まってアイツは死刑にすべきだどうだと裁判でやってるってことだ オレははっきり言ってあんまり裁判員制度のことはよくわからんし 法学のこともわからん もしかしたらオレの裁判員制度に対する理解が根本的に違うのかもしれんが オレにも道徳心はあるつもりだ では言わせてもらいたい「人が人を裁いてよいのだろうか?」人が人を裁くのは法ではないの?そこへ法を知らない素人が裁判で…これじゃ犯人もたまったもんじゃないね 犯人どころか被害者だってたまったもんじゃないだろ オレがもし犯罪者あるいは被害者の立場だったらたまらんね 素人に裁かれたらやってらんねだよ 確か裁判員の候補は有識者が選ばれるとかなんとか…裁判員に参加すること事態常識がないじゃないのかね さぞ裁判で死刑判決でちゃったらその裁判員の人死ぬまで呪われそうだな とまぁこんな感じで裁判員制度について周りの人の意見と自分の意見の温度差がわからんので暇あったらお願いします!

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  • 回答No.8

>オレがもし犯罪者あるいは被害者の立場だったらたまらんね 素人に裁かれたらやってらんねだよ 加害者は大丈夫です。1審しか裁判員制度が適用されませんので、不服があれば上告すればいいのです。 被害者は元々検察にお願いするしかないので、検察次第ですね。 被害者は民事裁判でも起こせばいいと思います。 >裁判員に参加すること事態常識がないじゃないのかね さぞ裁判で死刑判決でちゃったらその裁判員の人死ぬまで呪われそうだな その逃げ道のために「選ばれたら拒否出来ない」という言い訳が出来るようになっています。 >とまぁこんな感じで裁判員制度について周りの人の意見と自分の意見の温度差がわからんので暇あったらお願いします! 個人的には容疑者が逮捕された時に「死刑だ!」と声を大にして叫ぶ人が多いので、だったらお前が裁けばいいじゃネェかと思っています。 それはやだというわがままな人も多いのが不思議ですね。 ということで、容疑者と犯罪者の区別もつかない人が多いので、この制度は非常に有用だと思っています。

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その他の回答 (7)

  • 回答No.7
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2343/4488)

#2です。 お礼ありがとうございます。 >それなら裁判官評価制度とか審判評価制度にすればいいのにね(笑) 要は裁判官が正しい審判ができているかを監視評価できてればいいんでしょ? 面白い考え方ですね。たしかにそういう解決法もあるかもしれません。でも、日本ではその前に検察が、起訴を行なうか?という判断があり、まずそこに「検察審査権」というもので、監視の目が入っています。ですので、一連の裁判の過程でそういう審判のあるということを知っておいてください。 一応、「裁判」について、説明しますが、刑事裁判の場合、検察が起訴をするかどうか、を判断します。ですのでまったく同じ罪状(つまり同じ法律違反)でも起訴されたり、起訴されなかったり、することがあるのです。この時点で起訴をしなかったことが不当とされると、検察審査会が不起訴不当の決議をして、再度起訴するように手続きが開始されます。この検察審査会も裁判員と同様、一般の市民が担っています。 次に、 >「人を裁くのは法であり人は人を裁いてはいけない」ということです など「法」に対する信頼感が厚いようですね。しかし、法律はとても不完全なものです。 こういう言葉があります。 曰く「ローマ人の最大の発明は法律である」(それまでも法律はありましたが、王政などだと為政者の都合のよいように変えられてしまいます。ほぼ厳密に法律を遵守し、法に国の基礎を置いた始めての国がローマだという意味です) 曰く「世界は神がつくりたもうたが、法だけは人間が作った」(だから、神が創った自然世界の完璧な調和と違い、法を元に暮らす人間社会の不完全さを嘆いた、西洋の言葉) 私は不完全な「法」に依存して、裁くほうがもっと危険だと思います。 もし法だけを頼りにして人を裁くなら、完璧でないと困ると思いませんか? 日本の法律を見てみても、尊属殺人の否定(1995年法改正により刑法から削除)など法律そのものが時代の流れで否定されたり、死刑に対する永山基準のように、刑法にはどこにも書いていないのに事実上法律と同等に扱われる判例も存在します。 時代の流れで法律が否定されたり、逆に飲酒運転の厳罰化のように重くなったりするのは、当たり前のようですが、それは人間の営みで時間がたつことで変化するのであり、法律はそれを追認するだけともいえます。 また判例も(今までは職業裁判官や検察官・弁護士などだけでしたが)裁判ごとの論争や世論への対応などを経て、形成されるものといえます。 つまり「法」自体が人々の暮らしの変化や価値観の変化に伴って、どんどん変化しているといえるのです。 このような状態で、あるタイミングでの「法」が完璧といえるのか?といったら、完璧なわけがないと私は思います。 ですから、法にすべてをゆだねるのは、むしろ危険が高いと考えます。 そして、これが核心だと思いますが、 yamazaki_s「感情で人を裁いている」ことをすごく心配なさっているのではないでしょうか。 つまり公平性・平等性について大きな疑問を持っているように思います。 この点については、私も同じ危惧をもっています。しかし、新聞などで検証記事を見る限り、あまりその心配は必要ないように感じます。(朝日新聞は毎日裁判員裁判の検証記事を載せており、私はほぼ毎日確認しています。) むしろ、同じ罪状でも情状の余地がある被告に対しては軽を軽めにしたり、再度犯罪を起こさないように更生措置のほうに判断の重きを置いている傾向がはっきりと出ています。これは検察も裁判官も、同じように驚きのコメントをしており、裁判員のほうが、犯罪と社会を結びつけ、犯罪者も社会の構成員の一人である、と認識している傾向があるといえます。 また、裁判員制度とほぼ同じ時期に「被害者参加制度」が出来、裁判員の前で被害者(あるいは遺族)が量刑に対して訴求する裁判が増えていますが、裁判員のコメントを見ても、裁判の量刑判断の一覧からも、あまりそれに流されていない、傾向がはっきり見て取れます。 ですから、「感情で人を裁く」というよりは「法」や量刑基準に基づいて、しっかりと判断しているといえると思います。 もちろん「人が人を裁く恐ろしさ」を忘れてはいけません。しかし、足利事件のような冤罪事件を検証してみると「どうして職業裁判官が、無罪の判決を勇気を持って出せなかったのだろう」と思う事件がたくさんあることに気づきます。 ですから「人を裁く恐ろしさ」は職業裁判官だから持ちえるとはいえません。 以上のように ・裁判過程で監視の方法は一応あること ・法は不完全であり、それは人々の日々の営みによる価値観の変化によるものであること ・裁判員裁判だからといって「感情で裁く」とはいえないこと を考え、また犯罪者を裁くことをやめる、わけにはいかないことを考えれば、法治国家であり民主主義国家である以上は、裁判に市民が参加するのは民主的な方法のひとつである、と思います。 裁判員は普通の市民であり、市民として日常の生活の中で「責任」を負って行動しています。もし彼らが(私も含めて)感情で人を裁くということであれば、世の中の公平性や平等性は簡単に崩れます。 それが分からないほど、日本人は馬鹿ではないとおもいますし、大人(成人)とはそれぐらいの責任と自覚は持ち合わせている、ものだと思います。 一応、私は大学で法学を学び、特に刑事訴訟法については詳しく学びました。人間が行なう裁判は問題がありますし、日本の裁判制度はもっと問題があります。しかし、裁判員制度はその問題をあぶり出し、改善していくひとつのきっかけになるだろう、と私は期待しています。

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  • 回答No.6
noname#113190
noname#113190

ご質問者の感覚ですと、ステーキは食べたいが、牛が屠殺されるのは自覚したくない、魚は食べたいけど捌かれるのは見たくないというように考えている気がします。 肉を食べるためには他の生物を殺さなくてはいけない、誰かがこの部分を担わなくてはいけないのは自明の理、自分の手は汚したくないというのはどうなんでしょうか。 人が人を裁くことはできないかも知れませんが、犯罪を抑制するためには誰かが裁いていかなくてはいけない、死刑だと間違えたときに嫌だという気持ちは分りますけど、それなら職業裁判官ならかまわないのでしょうか、彼らだって人間ですから、後で冤罪だったと判れば罪の意識はあると思いますよ、誰だって同じなんですから、彼らは警察の捜査が未熟だったからこうなった、自分のせいではないと責任を転嫁しているかも知れない、それが毎日なら日常になって人の命の重みなど感じなくなってきていると思う、そうでなければ頭がおかしくなってしまう。 一般市民だって罪の意識は出ると思うし、後日判断ミスと判ったらやはり悩むと思うけど、先の屠殺とステーキの話し同様、自分の人生を賭けるくらいの真剣さで考えた結果なら、仕方ないと思うし、素人だからこそ1個の裁判に真剣に向き合えるのではないでしょうか。 私は選ばれたら、感謝して全力で審理を尽くします、職業裁判官がいい加減に形式だけで決めるより、被告にとってよほど良いことだと信じます、例えそれが死刑であり、後日冤罪だと判ったら、あの世でお詫びするつもりです。

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  • 回答No.5
noname#113190
noname#113190

法律論は横に置いておいて、目の前の人間が正しいことを言っているか嘘つきか、あるいは罪人だが反省しているか口先だけか、そんなことは誰にもわかりませんが、実社会での経験が薄い職業裁判官より一般市民のほうが自分の身を被告に置き換えて考えれば心情もわかるかも知れない。 職業裁判官の場合、官の証言は無条件に受け入れるが、一般市民は警察などの公務員がごまかしをすることを知っているから、正確な判断ができるかも知れない。 私自身警察に濡れ衣をかぶせられ、犯罪者扱いされたが、その時警察が発した言葉が「あなたは有罪であるという前提で動きだした以上、有罪にするための捜査は尽くすが、無罪にするための捜査はしません」という一言で不信感を持ってしまった、どうやら碌な証拠も出ないので、不起訴になったが、いまだに犯罪者扱いは受ける。 この陪審員制度によって、警察の捜査も透明性が高いものになってきたし、官という閉鎖社会でなく、一般市民という開かれた社会で納得できる証拠を出す必要が出てきたので、意味は大いにあると思います。 他の回答者も書いているように、法律論は専門家に任せ、一般市民は一般常識に従って、判断を行えばよいだけですから、私は期待しています。

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質問者からのお礼

お答え頂いた内容はなんか裁判官や警察検察の問題で裁判そのものにはないような気がします それはそれで対処すればいいことだと思います 僕が理解できないのが2つあります そのようなお答えをいくつかいただいてるのですが どれも今の裁判そのものの仕組みの問題点を直接的かつ合理的に説明できてるものは一つもありませんでした要するになぜ合理的な制度にならなかったのか?ということが一つの疑問点ですじゃあシンプルに野球で例えましょう 審判が判断がいい加減でだめですと じゃあどうしますか?野球の仕組みを変えて審判を五人にする?オレなら審判の資格を厳しく選定して なおかつ試合中審判の判定を常に監視する仕組みにするね 野球の仕組み自体は問題ないしね 問題は審判だから審判自体に対しての改善方法が妥当かつ合理的だと思う とまあその程度の問題で一般人が裁判で死刑だのどうの…人が人を裁いてはいけない 人を裁くのは法であるという道徳心を逆撫でするような問題とそれに対する制度とはとても理解できない 人が人を裁いてその罪悪感を感じるのか もし裁判員に選ばれてその裁判で死刑になったとき人を死刑にしたことの自覚をもてるだろうか 人を裁くとはとても恐ろしいことなんです

  • 回答No.4

裁判官(員)は、証拠の信憑性を判断することになります。 問題となるのは信憑性の薄い証拠を簡単に有力視してしまうことで、この傾向が職業裁判官のみだと大きくなる・冤罪が多くなるということです。 裁判員制度の目的と、これまでの問題点は、必ずしも合致していません。 それは事実です。 ただ裁判で重要な部分は法律知識以外の部分が多く、法律知識そのものは合議に加わる判事が適宜手助けすれば、それで事足ります。実際裁判で最も重要なのは事実認定ですから。

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質問者からのお礼

それなら裁判官評価制度とか審判評価制度にすればいいのにね(笑) 要は裁判官が正しい審判ができているかを監視評価できてればいいんでしょ? とにかくオレはあんまりこの制度詳しくないから裁判員制度と聞くと裁判に一般人巻き込んで死刑だのどうのって決めてるような感じがしてしまいました だからオレは裁判員制度に賛成でも反対もないです ただこれだけは間違いなく言えるのは 「人を裁くのは法であり人は人を裁いてはいけない」ということです でもこの制度がオレの持つイメージのようなものであればもちろん反対です その法案がでてきて通ってしまった そしてそれに賛成意見の人がたくさんいるということに残念に思います そうであるならばやはり国民全体の道徳心が低下してしまったのでしょうか 低倫理の民主主義国家になったら善も悪もまたその審判もバランスがはちゃめちゃになっちゃいますね そもそもこの国に儒学の教養がこんなに低下しなかったらこの制度の話もなかったかもしれませんね

  • 回答No.3

判事3人・裁判員6人での合議ですよ。 素人だけで決めるわけではありません。 法律については判事が教えてくれます。 その上で事実認定や、法廷刑の範囲内でどの程度が適当かを判断します。 実際判事の仕事は誰からも管理されないので、ろくに証拠の信憑性も調べずに有罪にするようなことが起きています。職業裁判官のみの体制こそ、もっともいい加減だったりします。

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質問者からのお礼

じゃぁ素人は不要なのでは? 証拠の信憑性は証拠を調べる人の問題で裁判で証拠の信憑性を変えられるものでないのでは? 例えば冤罪とかいい加減なのは裁判官ではなく検察なのでは?仮に裁判官に問題があるのなら裁判官に対する仕組み制度をうんぬんで裁判そのものの仕組みは問題ないのでは? はっきりオレの意見はもっと簡単というかシンプルですが 裁判員制度の目的と今まで裁判の問題点ははっきりいって合致していないようなしきれてないような的外れのような気がしますよ

  • 回答No.2
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2343/4488)

>「人が人を裁いてよいのだろうか?」 その問題があるから、裁判員制度もありうるのです。 >人が人を裁くのは法ではないの? ではその法はどうやってできるのでしょうか。日本は民主主義の法治国家ですので、法は選挙で選ばれた議員の賛成多数で成立します。日本人が望めば、殺人犯は死刑だけ、または死刑廃止というのも選挙結果しだいです(まあ、難しい部分はありますが・・・)つまり法も人が作っているのです。それも私たち自身が関与した(選挙で選んだ)人が成立させているのです。 では、裁く人はどうしましょう。裁判官もやはり「人」であることには変わりありません。法学部を卒業し司法試験に受かったから裁く資格がある? でも所詮人間であることには変わりありませんし、裁判所というところに勤めている組織の中の人でもあります。 結局「人を人が裁く」ということは常に正解がないのです。ただ法律と生活している人の感覚があまりに離れてしまうと、法自体の信頼性が失われてしまいます。 法と生活感覚が離れてしまうことがあるのか、と聞かれれば残念ながらすごくある、といわざるを得ません。 だから常に「法」も不十分ですし、「人が人を裁くこと」も不完全なのです。 裁判員制度が一番良い答えなのかは分かりません。しかし日本の根本である三権(司法・国会・行政)のうち、国会と行政は選挙などで国民の監視を受けるのに対して、司法はあまりにも国民の監視(というか国民の責任)が果たされてきていませんでした。 司法への国民の参加、というのは主権在民の民主国家であれば、重要な方法のひとつ、といえると思います。

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質問者からのお礼

分かりやすいご説明ありがとうございます。確かに民主的視点で考えればあなたの言ってることは納得できますし、もっともだと思います ただオレは逆に倫理的に考えてみたした 民主的に考えれば極論ですが死刑にならなくてもよい人が皆が死刑になるべきと思えば死刑になりうる可能性が0ではないということは人を裁く考え方ではないと思います 当たり前のことですが感情で人裁くべきでもないと思います 儒学の観点から言えばとっても理解できるものでないと思います

  • 回答No.1
noname#107141
noname#107141

〉オレには裁判員制度ってやつが全く理解できない   そのとおり全く理解されていないようですね   理解できないのであれば実際に傍聴されたほうがよいと思います。   裁判員制度の必要性を感じると思いますよ。   いずれあなたにも声がかかると思います。

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質問者からのお礼

質問を理解できていないようですね(笑)

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