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『発心集』の現代語訳について教えてください。
訳があっているかどうか、教えて頂きたいです。 【発心集・序文】 仏の教へ給へる事あり。 「心の師とは成るとも、心を師とするなかれ」と。 【自分で訳したもの】 仏が教えておられる。 「ものの道理の教えとなっても、ものの道理を教えとしてはならない」と。 全訳の本が無いので、辞書を使って調べたのですが なんだかよく分からなくなってしまいました。
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専門家ではないので、あっているかどうか、いまいち自信はありませんが。 心(感情や欲望)を律する師となることはあっても、 心(感情や欲望)の方を師としてはならない。 つまり、 感情や欲望をコントロールするべきであって、 感情や欲望の方に振り回されるな。 というような意味ではないのでしょうか。 『発心集』自体、呼んだことがなくて、前後関係がよく分からないのですが、 仏教の教え、ということであれば、上記のような意味になると思います。
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- Parismadam
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はじめまして。 No.2の方が正解になります。 「師」とは、ここでは「先生」つまり、言うことを聞かなくてはならない人、従うべき先導者、支配者という意味で用いられています。 「心」とは、ここでは「頭=理性」に対比する語、つまり「感情」として使われています。「心=感情」は理性ではコントロールできないもののことです。 従って、ご質問の「心の師とは成るとも、心を師とするなかれ」は以下のように解釈されます。 感情の支配者となってもいいが、感情が支配者になってはいけない → 感情を制御できる人になりなさい。感情に支配される人にはなってはいけない。 → 感情に翻弄されず、感情をコントロールしなさい ということを言っているのです。 以上ご参考までに。
お礼
丁寧な回答をして下さり、 ありがとうございます! 師と心について、よく分かりました!
- ANASTASIAK
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これは、有名なことばですね。 つまり、「自分の考えが正しいとおごって、他の人の教えを相手に ないようなことであってはいけない、ということです。
お礼
回答頂き、ありがとうございます!
お礼
ありがとうございます! この訳によって、発心集のいいたい事が 分かりました!良かったです。