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ブッダの複数形とは?
- ブッダの複数形について解説します。
- ブッダの複数形が経典に登場することがありますが、これは仏教における特定の文脈で使用される言葉です。
- ブッダの複数形について学ぶことで、仏教の教えや歴史により深く理解することができます。
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梵語のクラスをとった薄れゆく記憶からです。 ブッダは、印欧語の bheudh- に遡る、サンスクリット語の動詞 bodhati 「目を覚ます」「悟る」の過去分詞です。ですから一種の普通名詞で固有名詞ではありません。 ですから固有名詞と一緒に使うと、「ガウタマ シッドハルタ、悟れる者」のようになり、一種の肩書きとして使われるようになりました。 ちょうど「おとうさん」と言うのは普通名詞で沢山いますが、ある家庭では一定の人を指す固有名詞の働きをします。ブッダもそれに似て複数います。
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- michael-m
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ブッダというのは目の開いた者、悟りを得た者という意味なので何人居てもいい、というか人間の生きる意義が悟りへ至ることなのです。 その代表がシャカであり、シャカは行きながらにして悟りの入り口にまで至り涅槃によって完成させたとされます。だから複数居ても当然なんです。 でもシャカに敬意を篭めて仏陀といえばシャカと考え、その他の悟りに至った者を「アラカン」「オウグ」と呼んだりもします。 阿羅漢は修行中のものであるという説もあります。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 過去七仏ということなのでしょうが ▲ ヰキぺ:過去七仏 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E4%B8%83%E4%BB%8F そうなのでしょうが 問題は ゴータマ・ブッダをその中でも どう扱うかなのではないでしょうか? (1) ゴータマ・ブッダは ブラフマニズムにおける主宰神ブラフマンに当たる。もしくは ブラフマンをしのぐ神である。――というようにゴータマを神格化する。 (2) ゴータマ・ブッダは 神ではないが 最高のブッダであり これをしのぐ者はいない。すべては ゴータマに帰しゴータマに発する。――と見る。 (3) ゴータマも過去七仏のひとりとして ほかのブッダたちと同等の存在である。 (4) 過去七仏は過去であるからにはそれとして措いておいて ゴータマ当時において ほかにもブッダがいた。――とする立ち場。 4-1. ジャイナイズムのマハーヰーラがそう呼ばれたというのは 目覚めたブッダというふつう一般の名称だとすればやはり措いておいて ブッダイズムの定義において同じくブッダと呼ばれた――たぶん――シャーリプトラなどが挙げられるらしい。 (5) ブッダは 目覚めたという意味なのだから 言わば人が《われに還った》ときには そのように――なぜなら誰しも ブッダター(仏性)をそなえている――なお弱さを持ち世間のシガラミの中にありつつも すでにひとりのブッダである。――と見る立ち場。 5-1. つまり 誰もがブッダである。 (6) ◆(森 章司:大乗仏教は仏説か) 釈尊は無師独悟されたとされている。 ☆ というとき 《無師》なのはいいとして つまり《独悟》の《独》もいいとして しかもその《さとり》とは どういうことか? という問題が永く横たわって来ています。 6-1. さとりとは何か? が誰にも分からないまま ゴータマをブッダと呼んで師匠としている。あるいは 神としている。 という問題もあるのではないでしょうか? 6-2. マハーワイローチャナ(大日如来)は ほかのすべてのブッダやタターガタをふくむという立ち場も出たわけです。つまり これなどは むしろゴータマを最高のブッダとして果ては神格化するという立ち場に抵抗しつつその同じ崇拝のパタンで対抗しているというようにも読めます。 6-3. 名前が違うだけであって つまりアミターバなどとは名が違うだけであって 《さとり》の中身は同じであるというのであれば 少しは納得しますが でも肝心のその《さとり》について 誰もその中身を明かしてくれません。あいまいの美学とでも言うかのように。 (おあとがよろしいようで というかたちにしまして)。
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回答ありがとうございます。
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