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よい価値観とわるい価値観をあおっていいものか
人間一般にとってよい価値観(健康でヴァイタリティー旺盛など)があるのは仕方ないとして、それをむやみにマスコミであおる、取り上げて、ますますその価値観を助長し、マイナスのほうの価値観をますます下げる(マスコミでは取り上げないのでこれは引っ込んでいるべきだという価値観)という社会的な動きは、マイナス価値観を運命的に背負っているものにとって、あまりに過酷で非情なものではないでしょうか。なぜ、国を挙げてこんな唾棄すべき動きに同調するのでしょうか。
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マス・メディアの特性として、プラス面・マイナス面どちらもある程度単純化され強調されるのは仕方のないことです。 幾つか理由があるのですが、今思いつくだけ上げてみようかと思います。 1)マス・メディアは大衆を相手にする。 マス・メディアは大衆を相手にした、情報発信です。 大衆とは、様々な人がいて、特に情報を理解する為の知識量の違いによって、同じ情報でも(受取手の)格差が生まれてしまいます。 その為、マスコミには解説機能(情報を分かりやすく説明する)が求められます。 しかし、時間的・空間的(紙面の字数とか)などの制限から必ずしも十分に行えるとは限りません。 故に、分かりやすくするために単純化が行われます。 2)市場経済の原理 日本は自由主義経済を標榜しています。 自由主義経済の根本は、競争原理です。 競争である以上、商品を多く売った方が生き残る事になります。 商品を多く売るためには、良いイメージを植え付けなければなりません。 そのためには、マイナスイメージを強調することで相対的に自社製品のプラスイメージを上げようとします。(保険は病気や事故を、洗剤はカビやウィルスを強調といった感じです) また、多く売るためにはそのメッセージを多くの人に伝えなければなりません。 そこで、1)と同じような理由で単純化・強調が行われるのです。 3)言論の自由の問題 国家が直接マス・メディアに介入すると、「言論の自由」が奪われる危険性が高くなります。 政府の介入で一番怖いのは、政府にとって都合の悪いことが隠されてしまうことです。 マス・メディアには、政府を監視する役割があります。 政府も人間である以上、都合の悪いことは隠したがるでしょう。 それをさせないために監視し、時には指摘して政府が暴走するのを防ぐことが必要となります。 監視はなるべく多くの人が行うのが良いのですが、一般人にとっては目の前の生活の方が大事なので、そんな事は出来ません。 故に、マス・メディアが国民・市民の目の代表のひとつとして監視することが求められるのです。 しかし、マス・メディアは時として世論を形成し「言論の自由」を奪い、政府の行動を後押しすることがあります。米国のイラク戦争前が、良い例でしょう。(当時のマス・メディアは殆ど開戦に賛成で、反戦を訴えると激しく非難された) 「言論の自由」が保証されなければならないマス・メディアが、「言論の自由」を奪うというパラドックスが生まれることになるのです。 5)マス・メディアも営利団体 マス・メディアも立派な営利団体です。 営利団体である以上、利益を上げなければなりません。 利益を上げるためには、沢山の人に視聴や読んでもらわなければなりません。 沢山の人に視聴や読んでもらうためには、高い知識が求められる教養番組よりも、誰でも楽しめる娯楽番組の方が良いわけです。 人は、多くの場合「単純なイメージ」で行動を決めます。 そこに営利関係が介入すると、「単純なイメージの強調」という事が行われるのです。 以上、思いつくだけ上げてみました。 参考になれば、幸いです。
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- KusutoFuna
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実際にその様な動きがあるのかは知りませんが考察として プラスな価値観:健康的、活動的、勤勉、明朗快活などポジティブなこととすれば マイナス価値観:不摂生、非活発、怠惰、根暗などなものでしょうか? とすると国家としては健康で明るく元気にバリバリ働く好青年の方が一杯いた方が好ましいわけです。 しかし法治国家ですから「マイナス君」を大々的に粛清することは出来ません。 そこでマスメディアによるキャンペーンにより「プラス君」には益々自信を持ってもらい、 軽度の「マイナス君」は感化して「プラス君」に変え 更正不可能な「マイナス君」は社会的に圧殺し、表舞台から、あるいはこの世から消えてもらう・・・。 って感じですかね。 別にメディアからその様な印象は受けませんが・・・。
お礼
早速ご回答ありがとうございます。 メディアから印象受けませんか?私はもうしょっちゅうです。近年の映画も音楽もしかりです。マイナスの価値も大事にしていくという柔軟性が欲しいところです。 でも、ご回答の趣旨にたいへんすっきりしたものを覚えました。国家のためにあおっている。合理的ですね。
お礼
大変詳しいご回答、ありがとうございます。 まったく納得いたします。 ストレートで単純なイメージが基本原理として一人歩きする原則は、大変迷惑で場合によっては危険なものです。政治とは、この危険で厄介な低レヴェル公害をうまく処理するというのが第一義なのかもしれませんね。