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「事寄せる」が自動詞である理由は?

見間違いでなければ「事寄せる」は自動詞だと表記する辞典と、他動詞だと表記する辞典とが混在しています。観点によって見解が分かれるのだと思います。私見では他動詞と考えるのが自然に思えて、自動詞とは捉え難いです。なるほど自動詞だと思える例文を提示の上、考え方を解説して下さると有り難いです。 また、「事寄せる」の他にも見解が分かれている動詞があれば知りたいです。 ・自動詞と表記する辞典の例(万一の見誤りのときのため、「質問人の読解力によれば」と但し書きを付けておきます) 講談社カラー版 梅棹 忠夫他「日本語大辞典」第2版 小学館     金田一京助他 「新選国語辞典」第8版 新潮社     山田 俊雄他 「現代国語辞典」初版・・・2版未確認 ・他動詞と表記する辞典の例(万一の見誤りのときのため、「質問人の読解力によれば」と但し書きを付けておきます) 学研        金田一春彦   「現代新国語辞典」第3版 岩波       新村  出他  「広辞苑」    第5版 小学館     日本大辞典刊行会「日本国語大辞典」第2版 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kimosabe
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回答No.6

他の方が触れていらっしゃらない観点から回答いたします。 日本語では、他動詞が受身になった場合、   ねずみが猫に殺される。 のように「直接受身」になります。「殺す」という動作の作用を受身文の主語が直接受けるわけです。 一方、自動詞が受身になった場合は、   私は子供のころ親に死なれた。 のような「間接受身」になります。これは、受身文の主語が「親が死ぬ」ということの影響(多くの場合被害や迷惑)を受けるということです。質問者様のことですから、多くを語らずとも例文で納得してくださるのではないかと思います。 さて、「事寄せる」についてです。きちんとした出典のある例文があげられたらよいのですが、おそらくそんな例を見つけるのは困難でしょうから作例します(無理を承知で)。   女性の美しさを花に事寄せる。 これを受身にすると(普通そんな表現はしませんから、どだいここに無理があります)、   花が/は、女性の美しさに事寄せられる。 となり、どうも「直接受身」になりそうです。「事寄せる」は他動詞くさいですね。でもわかりません。実例がありませんから。難しいですね。

sono-higurashi
質問者

お礼

ANo.7も拝見しました。 1 既に理論化なさっていたのか、質問文を読まれてから理論化なさったのか存じませんが「直接受身」と「間接受身」は鮮やかな説明だと感心させられました。 2 実際には「花は、しばしば女性の美しさに事寄せられる」、「行雲と流水は、ここでは無心の譬えに事寄せられている」といった具合に「しばしば」や「ここでは」など座りのよい言葉が補われますので「花が/は、女性の美しさに事寄せられる。」は十分、許容範囲かな、と思います。ご回答の方法は間接受け身が作れるからといって自動詞と即断出来ない事に注意すれば、優れた判定法だと思えてきました。 3 「事寄せる」を自動詞とする辞典は「事寄る」を見出しに収録していないし、「事寄せる」を他動詞とする辞典は自動詞「事寄る」を見出しに収録しているとの法則があるかもしれません(講談社「日本語大辞典」、「広辞苑」、小学館「日本国語大辞典」のみ調査済み、他は未調査)。このことも「事寄せる」を、どう分類するかの問題と不可分な気がします。 4 「事寄せる」=「こと」+「寄せる」ばかりでなく、更にその前に「寄せる」と「寄す」、「す」、「さす」、「せる」、「させる」などとの関係を調べ上げる必要がありそうに思えますが気力が湧きません。 3、4は只の独り言です。 ご回答有り難うございました。 余談ですが阪倉篤義著「改稿日本文法の話」は、なるほど面白く読んでいます。 自動詞派の理論家にも更に登場して欲しいので当分(最長で、ひと月)、締め切らないことにします。これまで回答を寄せて下さった皆さん、ご了解下さいませ。

その他の回答 (6)

  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.7

No6です。 自動詞が「直接受身」になることはまずないでしょうが、他動詞は、  家の南側に高層マンションを建てられて困っている。 のように「間接受身」にもなりうるということを書き落としていました。補足いたします。

sono-higurashi
質問者

お礼

本日は5月19日です。質問文投稿以来、ほぼ一月になります。この先、自動詞派からの新たな回答は期待できないものと考え締め切ります。タイミングが適切であるか否か判りませんが、機械的に最長一月と勝手に決めています。 皆さん、有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

回答No.5

「事寄せる」というのはかなり熟成した言葉で「事を寄せる」では意味を成しません。「勉強する」は言えるのに「テニスする」とは言えないのはどうしてでしょうか。それは「テニスする」が十分熟成していないからです。「事寄せる」はかなり古い言葉で辞書からでも窺えます。したがって不可分の言葉として丸ごと1語としてとってもよいのではないでしょうか。従って私は自動詞ととりたいですね。他動詞の必要条件としてヲ格をとらなければなりません。あるのは「雨に事寄せる」に見られるようにニ格です。 「~に」は目的語(または客語)にあたるだろうかと考えた場合「金になる」「私の叔父にあたる」の例文からして無理な気がします。 なぜなら「あたる」の他動詞は「あてる」があるからです。この例文は「的にあたる」「的をあてる」の例のほうがわかりやすいですね。 質問者さんの他動詞の理由は「体調の悪さを雨に事寄せて」ですか。ううん、確かにヲ格ですね。少しこじつけみたい。

sono-higurashi
質問者

お礼

>>「事寄せる」というのは・・・丸ごと1語 ここまでは肯けます。 >>他動詞の必要条件・・・無理な気が ここも肯けます。 >>少しこじつけみたい。 結局、ここの感じ方で分かれるのでしょうか。違和感があるか否かでしょうか。 millennium-manさんは迷いの無い判定法をおもちのようです。食い下がって知りたいところですが、辞典の見解が分かれるような話題とあっては程々のところで遠慮しるしかないのかなと思います。 分からせようとして下さって、有り難うございました。

  • shiremono
  • ベストアンサー率70% (187/267)
回答No.4

素人かんがえをのべます。 「事 [言] 寄せる」 は複合動詞であり、もともとは 「事 (ヲ)」 + 「寄せる」 でしょう。つまり、「事寄せる」 のなかに目的語がふくまれているので、全体としては自動詞になるとおもいます。 たとえば、NO.1補足の例文を 「雨に事ヲ寄せる」 とかんがえると文が自然になりたつので、 「雨」 は直接的な目的語以外のものに相当するのではないでしょうか。すなわち、 「事寄せる」 は自動詞であるというかんがえかたが成立するとおもいます。 同じような複合動詞でも、たとえば 「勉強する」 の場合には、 「日本語文法を勉強ヲする」 ではヲ格がふたつになって不自然です。それで、この場合の 「勉強する」 (「勉強する」 には自動詞としての用法もある) は全体として完全に他動詞化しているといえるのではないかとおもいます。 個人的には、OKAT さんの回答がとても勉強になりました。わたしは 「自動詞」 派ということにしておきます。

sono-higurashi
質問者

お礼

>>「事 [言] 寄せる」 は複合動詞で・・・まれているので、 ここまでは肯けるのに >>全体としては自動詞・・・ ここになると肯けません。 この他にも肯けるところは多いですが、結論部分になると肯けなくなってしまいます。shiremonoさん特有の方法なのか、普遍的なのか、私には判りませんが判定法をおもちのようです。食い下がって知りたいところですが、辞典の見解が分かれるような話題とあっては程々のところで遠慮しるしかないのかなと思います。 分からせようとして下さって、有り難うございました。

  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.3

 これはまた難しい質問ですね。わたしの手元にある書物(少数ですが)を読んでみましたが、様々な説があり、まとめることは大変難しそうです。英語の場合は、S+V+O という形があるとして、その目的語(O)を主語に置き換えて「受身」の形が出来た場合、その動詞(V)は「他動詞であるという、考えが成り立つようです。しかし、日本語の場合は、「~を」という形が必ずしも目的語とは言えないため、それを真似るのは無理があるようです。例えば        道を歩く。 の場合、「道を」は目的語とは言えない。したがって「歩く」も他動詞とは考えにくい。 このように英語と違って、別の判断方法が考えられているようです。    その一例 存在態を表すとき、「ている」が付くのが自動詞、「てある」が付くのが他動詞という考え方。 「開く(あく)」→「開いている」だから自動詞 「開ける(あける)」→「開けてある」だから他動詞 というのですが、はたしてすべての動詞に適用できるかどうかが問題です。  意外にも、「橋本文法」「時枝文法」などは、この自動詞・他動詞の問題を深く論じていません。「山田文法」に至っては区別の必要を認めていないようです。しかし、実際には辞書ではっきり書いてあるものも存在するのですから、少しは論じてみる必要は感じます。  前にも、このサイトの回答に書いたことがあるのですが、西洋語を通じてこの「自他」の問題が入ってから、学者が論じるようにようになったのですが、上記のようにはっきりさせていない学者が多いのに、西洋語の影響を受ける前にわが国の国学者が、本居宣長を中心として取り上げています。特に本居春庭は「詞の通路」で、現在の「受身」「使役」の助動詞の加わったものを含めて、「おのずから然る・みずから然る」や「他に然する」など、六つの分類を行っています。「自動詞・他動詞」という名称はこのあたりから採られたと思われます。春庭の考えは、佐久間鼎に受け継がれましたが、最近金谷武洋がその著「日本語に主語はいらない」という著で、三上章の「主語不要論」を再主張したのですが、その中に日本語の動詞には形の上から自他の区別が存在すると主張しています。その例を挙げておきましょう。    受身形←  自動詞   他動詞  →使役形   (生まれる) 生まれる  生む   (生ませる)   のようなもので、すでに知られていたように、「日本語の動詞の中には、語幹や、語の一部が共通し、自他の対立を示すものがある」点が、英語とは違うので(英語の辞書を引くと「run」に自動詞と他動詞が存在する。自動詞であるのは自明のことだが、他動詞の「run」は、コンピュータの上でプログラムを動かす意味も持っている)、すでに形の上で区別されます。例を挙げれば  進む←→進める 続く←→続ける 焼ける←→焼く 起こる←→起こす 等々   相当数存在します。しかし、前に挙げた「ている」「てある」を当てはめると、うまくいくのも多いが、行かないのもあります。自動詞側に「ている」は付くが、他動詞側には「ている」も「てある」もつくものがあります。  更に前に挙げた「開く(あく)・開ける(あける)」も「開く(ひらく)」と読むと同形で自動詞にも他動詞にもなると言えます。(傘が開く・傘を開く)    以上、前置きが大半になってしまいましたが、ご質問の「事寄せる」は複合動詞とすると、「寄せる」をどう見るかということですね。上に述べた本居春庭からの線で考えると         寄る(自) 寄せる(他) となるが、「寄せてある」が当てはまるけれど、「寄せている」もあり、「波が寄せたり、返したり」という語句もあるのでまったく迷いますね。わたしが愛用している「大辞林」は自他についてまったく触れていません。「岩波古語辞典」は(ご存じのとおり項目の立て方が特殊ですが)部分的に「自動詞形」「他動詞形」と付け加えてあります。しかし「事寄せる」が自か他かのヒントは見つかりません。はたして、「寄せる」だけ取り出して考えることは是かも含めて、頼りない回答になりました。わたしも「他動詞」派なので「事寄せる」が「自動詞」だという例文も示せませんでした。<m(__)m>    

sono-higurashi
質問者

お礼

傾向に過ぎないとはいえ、自・他動詞の形式的な見分け方があることや江戸時代には自・他動詞の研究が緒に就いていたことなどを知ったのは有益で参考になりました。 具体的な用例が決まる前に自・他を述べることは不可能という立場もあるらしく、自・他を記さない辞典も珍しくないのは当然なのだと思えてきました。 全く特異な動詞を見つけてしまって困りました。判りやすい例文の二つ三つ示し「どうじゃ、自動詞であろうが」と言って下さる方はいないのでしょうかねぇ。 毎度のご回答で、大変有り難く思っています。

回答No.2

NO1です。後から回答を読み直してみましたがとんでもない読み違いをしていました。「事」を「車」取り違えてしまいました。失礼しました。 要は自動詞と他動詞の相違ということになりますが、日本語の自動詞、他動詞の区別はかなりむつかしいようです。自動詞は:  牛が歩く。牛が道を歩く。  雨が降る。雨に降られる。 のように、ヲ格をとったり、受動態を作ったりするするので、英語のように簡単に文型上の相違として、他動詞・自動詞の区別ができないという面があります。確かに広辞苑では他動詞下二となっていますが、例文がないのは本当に困りますね。よく調べてみます。

回答No.1

「車寄せる」が合成動詞になっているので余計に判断を難しくしているのでしょう。語源的には「馬寄せ」から出た語で古くからある言葉のようです。「馬寄せ」「車寄せ」という名詞は存在しますが、「車寄せ」は「車を寄せる場所」という意味で「車寄せる」という動詞は聞きなれない語です。辞書を見られたそうですが「読解力」を問題にさえるのなら、その例文も付記していただきたかったですね。 これを他動詞にするのなら「車を寄せる」としなければなりません。「車寄せる」を他動詞とするのならば目的語が必要であり、自動詞と考えざるをえないですね。「車寄せる」という動詞は場所が問題視される動詞で「屋根の下に車寄せる」というように使い、目的語は問題視されないでしょう。

sono-higurashi
質問者

お礼

ANo.2を拝見しました。確かに紛らわしいです。「言寄せる」や「こと寄せる」も記しておけばよかったのに済みませんでした。 「質問人の読解力によれば」は例文を読む力では無く、それぞれの辞典を正しく使うための記号の説明など、凡例を含めての読解力の積もりでした。言葉足らずで、こちらこそ失礼しました。

sono-higurashi
質問者

補足

講談社カラー版 梅棹 忠夫他「日本語大辞典」第2版に自動詞とした上で、例文「雨に事寄せて欠席する」があります。 字面としては登場していませんが欠席の「真の理由」(甲)は「体調が悪いが、相手に心配を掛けさせたくないから会いたくない」など「雨」(乙)以外にあるのでしょう。つまり相手への善意から(甲)を伏せて(乙)に置き換えてしまうのですから、実質は目的語(甲)があるのだと思います。(甲)を(乙)に寄せているのは書き手であって、(甲)が勝手に(乙)に寄るのではないので、この例文の場合も他動詞に思えてなりません。これが質問人の感覚です。 急ぎませんので、もしも良い助言があれば是非お願いします。

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