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建築家と建設

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お礼率 97% (537/550)

今いる多くの建築家達は、なぜ建設家とは呼ばれないのでしょうか?建築家と言うと、あたかも建築のために建築をするように聞こえる。しかし、実際に彼らが作るのは住宅や、さまざまな機能を持った施設であったりする。だから建設家と言うほうがしっくりくると思う。どう思いますか?画家や音楽家と同じようなネーミングは間違いなような気がします。
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質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.4
レベル14

ベストアンサー率 29% (1122/3749)

 Eivisです。

 私に建築に意味が必要かと問われば「意味が無いものなら建築以外の範疇で考えた方がよさそうですね」としか云い様がありません。。。

 イメージしているものが全然違うかも知れませんが、私は建築を文学のように、「純建築」などと云うのは一息納得できないし、お花のように「お芸術」などと茶化すのも滑稽だと思っています。

 やはり純粋培養的というか無目的な建築のイメージが、湧いてこないのですが、私なら別の分野で追及するほうが面白いし、それほど建築至上主義には期待も憧れも持っていないのです。

 カマクラは何でしょう? お遊び?宗教?溶けるから仮設でしょうか、、、ナゴミ空間としては面白そうですが。
 ああ云うほのぼのとした空間は趣味としては好きです。
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

そうですね、では、「遺跡」はどうでしょう?すでにその建築された当初の機能は失ってはいるが、何かと大事にされますよね。それは歴史学的な意味等、様々に理由がありますが、そこを訪れる人々の中にはその空間にいること(体験すること)が目的だという人達が多くいることは事実です。その建築空間を体験することを目的につくられる建築がでてきてもおかしくないという意味で、前回のお礼を書きました。意味が無くても、価値があれば(認められれば)そういった建築が実現するのではないでしょうか?
投稿日時 - 2001-01-21 16:25:47
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その他の回答 (全7件)

  • 回答No.2
レベル14

ベストアンサー率 29% (1122/3749)

 面白い言葉で、新語ですがある意味で的確な表現かもしれません。

 最初に建築家という訳語が出来たのでそう云い慣わして来ましたが、この人たちは「施主:クライアント注文主」から設計依頼を受けて仕事をする人たちです。
 
 一般的には主体性のある「提案型」な方々を建築家と言い、悪趣味でも模倣でも金銭のためなら設計を引き受ける人間・・・そこまで酷くなくても施主の不利益でが明白でも施主の言いなりになってしまう大多数の「設計家の一群」をあなたの言う「建設家」と言っても面白いと思います。

 この他に、設計料を実費と称して受け取り自分で請負い責任分担のはっきりしない工事受注方式が古くから日本にはあり、官庁工事の不透明、不明朗な請負方式は非難の的になっています。
 このようなゼネコンの設計部は建築家とは云わず、一般的には「設計屋」と言います。

 確かに貴方の言われるように、芸術にまで高められる建築家は100年に10人いるか居ないかですから、ネーミングに疑問を持たれるのでしょうが、アーティストはおろかアルティザンにも程遠い自称「建築家」は多いですね。

 私はこの問題は、日本の教育法にも原因があるのだと考えていますが、ここでは語りきれません。
__________________________
 (業務内容) 
 一般的な一級建築士事務所の業務内容の主なものは・・
注文を受けると市場調査、敷地選定から行う場合もあるが、、、一般的には基本設計を行い、関連法規にのっとり地質調査、構造計算、設備設計、見積等を行い関係各官庁に設計図書を確認申請として提出します。

 役所は、法規にのっとり設計されているかどうかを見て確認するので、、、確認申請を出さずに始めた工事は、、、役所の知らないうちに出来たことだと言う不思議な現象があります???
 (これは役所がよく逃げ口上に使います)

 工事が始まれば、工事が設計に基づいて適正に行われているか等をチェックし、その対価として設計料・管理料を施主からいただくのが通常の形態です。
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

ご回答ありがとうございます。詳しいお話ありがとう。しかし、今、現存する建築物の中で、純粋にそのもの自体の存在のために(神殿や、教会、ミュージアムといったような様々な機能を持つことを前提としないで建てられている)建てられた建築物はあるのでしょうか?音楽は、バッハなどは教会音楽(賛美歌)というある種の機能を持ったものもありますが、The Beatlsなどに代表される音楽は、純粋に音楽のための音楽だといえます(ビジネスがなくても成立してきたという事実が音楽にはあるように思う)。建築自体が目的となるような建築は可能でしょうか?
投稿日時 - 2001-01-17 18:15:14


  • 回答No.1
レベル11

ベストアンサー率 30% (54/180)

建築家というのは、英語で言えば architect で、建物を作るという行為そのものよりは、「建物のデザインや設計」を主に行う人達です。

確かに「建築家」を言葉どおりに解釈すれば「建物を築く人」ということになりますので、本来は、「建築(物)設計家」とでも呼べば正確なのかも知れませんし、実際にそういう人達の事務所は「○○建築設計事務所」というような看板が一般的です。
要するに、名前を簡単にするために、「建築(物)設計家」とかではなくて「建築家」と呼ばれていて、それが定着しているということだと思います。

因みに、「建物を作る人」については、「建設家」という言い方もあり得るかもしれませんが、単に「建設」だと、建物(建築物)だけでなく道路やダムのような土木構造物も入ってきますから、「建築(物)建設家」とでも呼ばないと通じませんよね。

いずれにしても、そういう「建設家」という使われ方はほとんど聞きませんし、建物の建設であれば、
人というよりは企業による工事という性格になりますから、「建築工事会社」のように呼ばれるのが一般的です。
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

丁寧な説明ありがとうございます。しかし、道路やダムのような土木構造物と、住宅などの間に名称としての差異を設ける必要があるのでしょうか。両者ともに何らかの機能を持たされているわけですが、道路や橋などもときにはarchiされるときもありますし、、、
投稿日時 - 2001-01-17 16:00:10
  • 回答No.3
レベル14

ベストアンサー率 29% (1122/3749)

 ふたたび、Eivisです。

 現存でなくても、何も目的のない建築物はなかったでしょうね、逆に建築ぐらい目的と結びついている造型は少ないでしょう。
 まして建築のための建築など無意味なことでしょう。

 したがって純粋表現のためだけの建築というのは思い当たりませんが、発生の時点を考えれば衣服と同様に具体的な必要性から出て来たので当然だと考えます。

 建築の場合は「表現のための表現」よりも「制約の中での表現」に取り組んだ作品にこそ価値があると思います。

 もっとも絵画でも彫刻でも人間が創っている物に、表現のためだけの表現という事が成り立つものなのか私には判りません。

 最初の質問の最後の部分に、画家と音楽家と並べておられますが「建築家」を同列に並べて、芸術家らしく見せるのが不満なのであれば、銀行家、法理家、資産家などの系列に並べるのはどうでしょう。

 画家と音楽家は貧乏人の心も豊かにしますが、建築家は
(少なくとも過去は)豊な人間サイドに奉仕する職業だったのですから!

・・・言い過ぎて御免なさい!    Eivis.
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

・・・言い過ぎて御免なさい!  いえいえ、、{芸術家らしく見せるのが不満なのであれば、銀行家、法理家、資産家などの系列に並べるのはどうでしょう。}そうです、そういうわけにもいかんでしょう、と僕も思います。僕も建築サイドの人間で、憧れもありますが、その巨大さゆえの費用や労働力などに縛られてしまうという点で、自由度が低いのも事実です。しかし、{まして建築のための建築など無意味なことでしょう}はたして、意味が必要でしょうか?建築の場合、(なんにせよですが)それを支持する人がいれば、そのような建築もできるやもしれん、というのが僕の希望なのですが、、、、。

追伸:{発生の時点を考えれば衣服と同様に具体的な必要性から出て来たので当然だと考えます。}そうかもしれませんが、、、稚拙な話になりますが、雪国では「かまくら」があるでしょう、あれは現在必要ないのに意味無く作られその中で遊んだりもしますよね。あれは、音楽を聴いて楽しむことと差異があるのでしょうか。つまり、費用や時間、労力などが許される範囲であれば、(当然のことですが)建築至上的な建築物も頻繁に実現することになると思うのです。
投稿日時 - 2001-01-18 12:37:19
  • 回答No.5
レベル11

ベストアンサー率 30% (54/180)

返していただいたコメントの中で、「道路やダムのような土木構造物と、住宅などの間に名称としての差異を設ける必要があるのでしょうか。」
とありましたので、若干触れたいと思います。

当初のご質問では、「彼らが作るのは住宅や、さまざまな機能を持った施設であったりする。だから建設家と言うほうが」
のように割合簡単に書かいておられて、それとなんとなく専門外の方かと思ってしまって、言葉の説明等をしてしまいましたが、実際には建築サイドの方とのことで取り違ったようですね。

今回の「名称としての差異」云々のことですが、その前に、そもそも当初のご質問ではどのような点がポイントなんでしょうか?
建築家と呼ばれるような方々の姿勢なりあり方のことを問題にされているんでしょうか?
その上で、現状では、多くの建築家がその名にふさわしくないので、「建築家」と「建設家」をそれぞれ区別して使った方が良いというようなことでしょうか?
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

ポイントは、「建てる」という行動の理由です。
たとえばですね、「住むこと」ができるなら住宅じゃなくても別の方法が考えられることがあります。つまり、「住むこと」を何かを建設することで解決しているわけです。寒さを防ぐ方法は、衣服を作って着るだけではありません。言いたいことは、ファッショナブルに活躍している建築家と呼ばれる人たちも、ダムや地下道を建設している人たちも、何か目的を達成する手段として「建てる」という方法をとっている、何かのために、建物を設けているわけです。ダムを建てたいからダムを建てているのではないでしょう。(発電や、水量のコントロールなどのため)
そこに、「ある建築物を実現したいからこれを建てているのです」、というような人たちがいるとしましょう。彼らは建築のために建築するのです。前者の、何かのために「建てる」という方法を選択した場合(別の手段を選ぶこともできるということが仮定できる)とは違う理由で「建てる」のです。前者のような、あくまで一手段として建物を設ける職人的人々を「建設家」とし、後者の建築物自体を目的とし建築する建築至上的人々を「彫刻家」のように「建築家」として社会的な立場の違いを明確にしたほうがよいと思うのです。「家具職人」は「彫刻家」ではありません。
 そういう考えから、今いる多くの建築家と呼ばれている人々は、工芸職人と同じような意味で「建設家」という名称がふさわしいと思うのです。後者のような人々が実際いるいないに関わらず考えられるので、言葉の使用としてはっきり区別できるならしたほうが誤解を招かずにすみます。
投稿日時 - 2001-01-21 17:32:51
  • 回答No.7
レベル11

ベストアンサー率 30% (54/180)

>建築至上的建築家の概念を名指しする時は新語?「建造家」なんてのはどうでしょう?
"造" という文字を使うと、造形とか創造とかも連想しますし、creative なイメージが出るかも知れませんね。

ただ、「建造」という言葉も、「建造物」という使い方としては、かなり定着しているようには思います。
要するに、
建築物や土木構造物を計画し設計し、それを実際に作るという "行為" については、「建設」という言い方が一般的ですが、
(「建設業」とか、つい最近まであった「建設省」のように)
一方で、そのようにして作り上げられた施設自体については、「建設物」とはあまり聞かなくて、「建造物」という言い方が一般的で、
たとえば、
 ・ 刑法にある「"建造物"侵入罪」とか、
 ・ 文化財関係では「歴史的"建造物"」や、昔の町並みを保存しようということで指定される「伝統的"建造物"群保存地区」とか
のように結構使われますよね。
ということで、「建造家」と言っても、建築至上的建築家というニュアンスがうまく伝わるかどうかは、やっぱり心配はありますね。

どうも、用語の関係では水をさすような話ばかりになってしまってすいませんが、いずれにしても、
「人々がそこで住んだり仕事をしたり集ったり、というような通常の目的や機能を全く意識せずに構築物を設計・建設し、
そのようにして作られた空間なり場に、結果として人々が集ったり憩ったりするかも知れない」というような建築至上的建築
(こういう理解でいいですか?)については、もしそれが実際に成り立てば、大変楽しいでしょうね。
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

ネーミングはどの様にしてこられたんでしょうかね。確かに難しいです、名前で新しいものを指定するのは。しかし、建築至上的建築物も建造物以外のなにものでもないので どうしようといったところですね。

>・・・こういう理解でいいですか?
そうです。
>どうも、用語の関係では水をさすような話ばかりになってしまってすいませんが、
全然、むしろ言葉の話ですから歓迎です。
>もしそれが実際に成り立てば、大変楽しいでしょうね。
それを共感できてとてもうれしいです。

 ここからは別の質問になりますが暇だったらぜひ回答してください。
何故今まで、そういう建築至上的建築の出現がなかったのでしょうか?どう思われますか?僕としては、裕福でない時代では、その巨大さゆえの費用がまかなわれなかったという理由ぐらいしかあげれません。もしかすると、建造物というとその影響力の大きさばかりが着目され利用しようという意見が、もっぱらだったのかもしれません(全くいいかげんな推測ですが)。建築至上的建築が意識されなかったのは今と同じだったでしょう。
今後それが実現するとしたら、どのような理由がそこにあると思われますか?
きっと、よっぽどの素晴らしいものじゃないと無理でしょうね。なにせ一人では実現できないものですから、、、、
投稿日時 - 2001-01-25 23:47:02
  • 回答No.6
レベル11

ベストアンサー率 30% (54/180)

始めに、おたずねいただいた「土木構造物と、住宅などの間に名称としての差異を設ける必要があるのか」という点ですが、
確かにある機能なり目的を持った施設ということでは同じ性格だとしても、より具体的な分野を意識して議論したり整理したりする場合には、必要に応じて自ずからブレークダウンして言葉が使われると思います。例えば、広く学者という言い方はありますが、必要に応じて社会学者、経済学者、文学者のように使われますし、更に例えば文学者については英米文学者、国文学者というような区分で使われたりもします。
仮に建設家というような総称を使った場合に、たとえば建築物の建設に携わる人と、ダム建設に携わる人とでは分野が明らかに違いますから、そういうブレークダウンしたレベルではどのように呼ぶのだろうかというのが私の触れた趣旨です。
建築物の関係では、たとえば「建築建設家」とでも呼ぶんでしょうか、というのが、おたずねしたい点です。

それと、「建築物自体を目的として建築する建築至上主義的人々に限って建築家という"名称"を」というご趣旨に関しては、
建築とは何かという定義なり概念整理の問題もあるかと思いますが、機能なり目的を意識しない建築というのは、どうも実態上ピンと
来ないという印象もありますし、たとえば実際にこれまでの歴史上でどのような人物を念頭に置かれているんでしょうか?
いずれにしても、もしそういう人なり職業分野が実在したとして、その場合には建築家というよりは、「構造物造形家」とか、
「屋外造形家」のような呼び方の方が馴染みそうにも思いますが。

一般には、建設という行為は、建築分野であろうと土木分野であろうと、その目的物が有するべき機能の確保は前提であって、
ただ建築分野については、造形や意匠についての取り組みがより大きく求められたり許容されたりする分野ということだと思います。
また、そのような建築分野への係わりについては、設計だけでなく、施工なども含めた段階がありますし、
設計に当たっての造形や意匠などへの係わりや思いの度合いであるとか、係わりの段階に応じて、
たとえば自己紹介であれば、「建築家です。」、「建築デザインをやっています。」、「建築設計をやっています。」、「建築構造をやっています。」、「建築設備をやっています。」、「建築工事をやっています。」のようにいろいろ使い分けされるんだろうと思いますし、
いずれにしても「建築」という部分は共通のように思います。
その中に、「建設家」という概念を持ち込んでも、既に「建築」として分類されているものを一段上げるだけで、実効性が伴わないようには思います。
たとえば、わざわざ「建築設計建設家」のような言い方はしないだろうと思います。
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

回答ありがとうございます。
>たとえば実際にこれまでの歴史上でどのような人物を念頭に置かれているんでしょうか?
 特に念頭においている人はいませんが、そういう人々が想像できるのです。やはり言語上では想定が可能なので、そのように分けないと話がめんどくさくなってしまう時があったのです。ほとんどの人が理解しがたかったようですが、長々と説明すれば解ったと言う人もいました。
>建設家」という概念を持ち込んでも、既に「建築」として分類されているものを一段上げるだけで、実効性が伴わないようには思います。
 確かにそのように思います。言語の意味なんてその仕様の問題ですから、一般に普及してない建築至上的建築家の概念を名指しするのに「建築家」とし、今までの建築家と呼ばれてきた人々を、「建設家」とするのは確かにややこしい。しかし、はっきりさすべきだと思うので、建築至上的建築家の概念を名指しする時は新語?「建造家」なんてのはどうでしょう?「建てる」ことに共通し、その目的に違いがある、包括的と形容できるほどで大きさを持つ「オブジェ」を創ることを専攻にする人々。
 今は社会的にも認知されず、存在していないかもしれませんが、でてきてもおかしくないように思います、未だに。音楽のように、ビーチのような自然造形のように人を集めることができるし、大事にされる空間を、今までより創ることができるだろうと。
投稿日時 - 2001-01-24 06:28:06
  • 回答No.8
レベル11

ベストアンサー率 30% (54/180)

>ここからは別の質問になりますが……何故今まで、そういう建築至上的建築の出現がなかったのでしょうか?…・・

私自身、これまではそういった面についての考えをめぐらしたこともなかったもので、特にコメントできる程の見識は持ち合わせて
おりませんが、既に caballero さんが触れておられるような"費用"面での問題はあるでしょうね。
絵画や彫刻などのように持ち運び可能でマーケットも形成されている分野とは違いますから、普通の個人では、
実際に作り上げるための場所や資金が大きな壁になるでしょうし。
昔であれば、絶対権力者からの依頼とか、大資産家からの全くの趣味としての依頼とか、いずれにしても相当のスポンサーシップが伴わないと成り立ちにくいでしょうね。
それと、仮に成り立ったケースがあるとしても、その成果については、「建築至上的建築」というよりは、
いわゆる「屋外造形物」として解釈されてきたんじゃないだろうか、とも思います。

因みに、「越後妻有アートトリエンナーレ」という取組みがありまして(「妻有」は地域名で、「つまり」と読みます)、
参考になるかどうかは分りませんが、以下に関連サイトをご紹介しておきます。
昨年行われた「アートトリエンナーレ2000」では、確かイギリスから参加したあるアーチストが、逆立ちしたような家
(家の骨組みをイギリスにある自分の家のそれと同じ方向に、要するに「恒星座標」上での同じ方向に合わせたもの)
を建てたりというようなこともあったようです。

ところで、ふと思ったんですが、ヨーロッパの教会建築物、日本の寺院などの宗教建築物というのも一つのジャンルをなしていて、
多くの観光客を集めたりもしていますが、この分野については、たとえば「教会建築家」、「寺院建築家」のような呼び方でも妙には感じない、ということでしょうか?
補足コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

失礼ながら、ここに、総じてお礼を書かさせていただきます。
このような質問に皆さん付き合ってくださって、本当に感謝しております。また、質問の類的にも、点をつけるのは無理があるのですが、つけない寄り付けた方がいいかと思い、おこがましくもつけさせていただきました。ですから、どちらの回答が上位というわけではなく、私が共感を得られた方の回答に次点をつけさせて頂きました。mayapapaさん、私の我がままなお話に、長く意見を添えてくださりほんとうに感謝しております。理解してくださる方がいることが分かり、私が自信をなくす事がなくすみ、本当によかったと思っております。Eivisさん、新たな、私と異なるご意見は非常に貴重なものでした。今後、私が独りよがりにならないことを感謝いたしております。ありがとうございました。
 皆さん本当にありがとうございました!
投稿日時 - 2001-05-01 09:41:52
お礼コメント
caballero

お礼率 97% (537/550)

回答ありがとうございます。
>たとえば「教会建築家」、「寺院建築家」のような呼び方でも妙には感じない、ということでしょうか?
難しい所ですが、バッハなどは教会音楽家と呼べそうですが、その活動の根底にあるのが宗教心以外に、やはり芸術至上主義的な精神が意識的か無意識的かにせよあったと思うので(バッハは賛美歌を当時の教会ではとても演奏できないような風にアレンジをしたりして異端児扱いをされていたという話がある。宗教建築では無理な話です)同じ宗教の仕事にしても、建築の場合は(確かによいといえる教会建築や神殿もありますし、大胆なものもあるのは事実ですが)依頼主の要求がその建築の根底の多くに介入するので、精神としては芸術至上的とはいえない。ですから、今までの(通例の)意味で「教会建築家」、ないし「寺院建築家」のような呼び方をしても、それは、専門的にそれを専攻しているという意味でとる(そのときだけ教会を建てたから教会建築家というのではなしに)ので全然平気です。
 ところで、アートトリエンナーレに出品されている多くは「屋外造形物」ですね。建築になりえるものもありましたが、それはあくまで存在の形式の分類ですから、、、ここの会場にはコンセプトのあるものが多くありましたが、(意見の分かれるところですが)究極的には、芸術至上主義というのはノーコンセプトであると思うのです。ですから、いくら建前上で教会音楽、ないし教会建築という名前がついていても、芸術至上主義というのは芸術家自身(もしくは体験者)の作品に対する精神のあり方のはなしで、作品(客観的な結果)には関係のないことだと、、、(たとえ、建前は「ダム」でも見る人によってはアート作品になりえる)と思うのです。いつも思うのですが、原始の洞窟壁画などの解説で、豊穣を祈って書かれたとか、様々な理由をつけられますが、あれらは描きたいから描いた作品であったかもしれないし、落書きかもしれない。それを決定つける証拠はありえない。唯一決めることができるのはその体験者の精神だけだと。書き詰めで申し訳ないですが、以上のことは、どう思われますか?
投稿日時 - 2001-01-28 10:29:57
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